音楽三昧
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今年も自宅の隣の公園でどんど焼きがあった。
ここに引っ越してきて15年。
娘達が小学生だったころまでは家族でしめ飾に書き初めを焼いてもらい、お神酒をいただき、花餅をあぶっていたが、最近は家族代表で一人です。
お餅が焼ける前に顔が熱くなってしまうし、髪も上着も煙にいぶされ匂いがつくのでなかなかの苦行です。
11時くらいに竹が組まれ、近所の人が三々五々しめ飾などを持ち寄ってきます。見栄えのする注連縄やだるまを上の方に取り付けたり、崩れ落ちる時のバランスを考えながら積み上げていくのはベテランのおじさんたち。花餅の受付は12時30分から、点火は13時30分、そこからお神酒が振る舞われ、火が鎮火してお餅があぶれるようになるのは14時過ぎだ。
毎年1000人から2000人の人出だったらしいのだが、新しいマンションが建ったり、3年前に地下鉄が開通してからは新住民が増えたり、規模が大きいので話を聞きつけて出かけてくる人が増え、最近は3000人以上とか。
お餅の準備も大変で足りないほどだそうで、前は枝だったのが竹になり、テントもふたつに、そして行列の整理やスピーカーの設置などなんだか地域の行事も大げさになってきた。
今年はお天気がよく、暖かいので子供達が待っている間に凧揚げやら転げまわっ遊んでとても賑やか。親達もなれていてビニールシートを敷いてピクニック気分で鎮火を待つ。寒いと結構しんどいんだけど ここ数年はお天気がいい。
我が家は私一人なので午前中に注連縄を持参し、一旦家に戻り、火が鎮火した頃に再度出かけるという要領で。。
今年は人出が多く、もうお餅もありませんでしたので煙だけ浴びてきました。
今年もしっかり煙を浴びて 無病息災を願いました。
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家族揃って健康で新年を迎えられたこと、昨年のお礼と今年も良い年でありますようにと初詣は家族4人揃って明治神宮で参拝しました。
明治神宮のおみくじは、いわゆる吉凶を占うタイプではなく、ひいたくじ棒の番号ごとに明治天皇と皇太后が詠まれた和歌をいただく。それを持ち帰り、日常生活の指針とするのだそう。裏面に和歌の解説があり、さらに最後に括弧で一言でその内容が表してある。家族一同、それぞれになかなか含蓄のある一年の計を味わいました。ちなみに私のは「忍の一字に撤しましょう。」......。 深い。
明治神宮のおみくじを英語ではPOEM DRAWING というんだ、と家族一同うなずく。。
毎年「最高の人出」というテレビや新聞の報道を他人事のように眺めていた明治神宮の初詣だったが、とうとう初体験となった。これまでずっと近所の氏神様でした。
原宿駅前の南参道の鳥居をくぐったのが午前3時5分頃。5分程歩いたところの大鳥居をくぐった少し先に参道一杯に広がる待ち列の最後尾があった。88度(直角じゃないらしい)に参道が曲がるところで5分に1回くらいの間隔で境内に人が溢れない程度の集団に区切られる。その集団が本殿方向に送り出されるたびに徐々に前に進む。区切るテープを持った警備の人達が列を割って入ってくる手際とか、前に進ませる誘導は長年のノウハウがあるようでなかなか見事に整然としている。上の画像の本殿前に辿り着いたのが3時50分頃。お賽銭を後方から投げ込むと危険なので、最前列の人が参拝を終え左右に流れて行く旅に少しずつ前に進むことができて、ちゃんと拝殿前に拝むことができた。その後、長女の就活お守りをいただき、おみくじを引くといきは並ぶことも無くかなり余裕。原宿に戻る途中にある屋台村で具だくさん豚汁と鳥つみれ生姜汁をいただいて温まる。ここも並ばずに買えて、椅子に座れるくらいの程よい混み具合だった。
事前にネットで調べたら、午前0時を境内や拝殿前で待って参拝する人、別の場所でカウントダウンをしてからとか、紅白を見終わってから来場する人が殺到する2時頃までが最初のピークで、鳥居をくぐってから参拝、原宿に戻るまでに2〜3時間かかるけど、その後は始発電車が動き始める前の3時から4時頃が三が日の中では比較的空いている、というのが共通した情報だった。それでゆっくり3時過ぎにきてみたのだが、その通りだった。
風のない夜だったこと、それほど大混雑ということもなくスムーズで、森からの冷気も人混みに遮ら並んでいる間も雲間の月を眺めながらそれほど寒くはなかった。でもこの時間帯の参拝客のほとんどが20代の仲間同士やカップルなど若い人ばかりだったなあ。並んでいる間、隣の集団は流暢な日本語を話すフランス人の留学生と日本の学生さん、後ろも中国人の留学生同士、その他ロシア人など国際色も豊かだった。あの中で家族連れはほとんどいなくて、多分私は最高齢の部類でした。(一組だけ 私たちより少し上の年齢の家族連れいて ちょっと親近感覚えましたけど)
カウントダウン後の渋谷の街は、ちょっと恐怖を感じるくらい若者達の群れと歓声で溢れかえっていて、自由な雰囲気と解放感に家族連れで歩くのはちょっとはばかれる雰囲気だったけど、明治神宮に初詣に来る若者達はちゃんとマナーを守っていて、日本のお正月らしいとても粛々とした気持ちのいい場だった。
渋谷区役所前地下公共駐車場まで歩いて戻り、駐車場を出たのが5時前。6時前には自宅について、温かいリビングから初日の出を家族で拝みました。
実は、2013年は東急文化村オーチャードホールで、東急ジルベスターコンサートのエルガーの行進曲「威風堂々」の演奏が終わった瞬間に迎えました。そう、テレビ東京で生中継されていた番組です。
長女は大学生になってからオーチャードホールのアテンダントのバイトをはじめ、昨年のジルベスターコンサートも裏方としてここで迎えていて、家族3人は自宅でテレビで見ていた。今年も長女がバイトで会場にいるなら、私たちは客席で新年を迎えようじゃないか、と思いそれが実現した訳です。
一般発売は電話が繫がらないまま30分以内で完売というくらいチケットの入手が難しいとのことだったけど、優先販売は予約申し込み後の抽選ということだったので11月締め切り日に申し込んでみた。その結果12月1日に当選通知が。
2012年へのカウントダウンへのボレロは熱演のためアップテンポになってしまって、7秒前に演奏が終了、しばしの無音状態の後、パーン!という状態だったので、今年はハラハラドキドキ。
今回は藤岡幸夫氏の指揮する東フィルのかなりのアップテンポと凄まじい熱演、途中の激しいルバートなどもありながら最後の和音の残響とともに素晴らしいタイミングで新年を迎えることができた。これまでこの番組をずっと茶の間のテレビで見てきたけど、その中でも一二を争う程いい出来じゃなかったのかな。客席は大歓声とともに湧いてスタンディングオベーションで讃えた。
テレビ中継はコンサートの第二部で、その前に1時間弱の第一部の演奏会があった。そこで演奏された 金子三勇士のピアノによるラフマニノフのピアコン2番と吉松隆のサイバーバード協奏曲が素晴らしくよかった。特に須川展也氏のサキソフォンのよるサイバーバードは須川氏のアドリブも炸裂してそのテクニック、音色と共に強烈な印象が残った。次女は初めて生で聴くクラシックの現代曲なのに身を乗り出して面白がっていた。一番の収穫だったかもしれない。
汚いとか人気のなかった昨年の大河ドラマ「平清盛」だが、我が家は1年に渡り全放送を視聴して楽しんできた。ドラマ全体の演出を支えたのは音楽を担当した吉松隆氏の曲であったことも大きいと思うのだが、「カルタス」とともにこの「サイバーバード協奏曲」も使用されていたようだ。だからその響きに違和感なく受け入れられたのかもしれない。
全くの余談だが、吉松氏のブログに「昨今のドラマや映画の世界は、音楽の「総予算」というのが決まっていて、そこからオーケストラにかかる費用やパート譜制作費などが引かれ、最後に残ったのが「作曲料」になる仕組み。なので、大きな編成の曲を書けば書くほど、音符の量を書けば書くほど作曲家の取り分は限りなくゼロに近付いてゆくというチキンゲーム。今回これだけ好き勝手に大量に書いたので、残りはほとんど雀のむにゃむにゃ・・(T_T)」というくだりを見つけ、いやー、大河ドラマの音楽担当になればかなり儲かるのかとおもいきや、大変なんだなあとw
ジルベスターコンサートは21時30分開場で、開場まえから多くの人が待ち列をつくっていて、扉が開くとともにロビーは大混雑。クロークにコートを預けようと並んだ列がちょうど長女が受付をしてるところで、思わずいい笑顔で働いている姿も眺められました。
第1部は22時開演、22時50分頃終了。30分の休憩の間、カフェエリアでは年越し蕎麦なども振る舞われた(400円ですけど)。生中継の始る10分前、23時20分頃になると新人アナによる番組の構成やら観客へのお願いなど前説があった。そして司会の茂木健一郎氏と森本アナによる15秒の生番組宣伝を経て、フロアディレクターの会場に響きわたる5、4、3、2、1のカウントともに23時30分から第二部の演奏会と中継が始った。
観客にはあらかじめ上の画像のような小さなLED灯が配られていて、「星に願い」をの曲の時に指揮者の指示で上手から順番に点灯してください、の説明があった。
帰宅してから元旦の昼間に録画で見てみたら、会場が夜空の様でとても綺麗でした。我が家族の3人分の星もちゃんと確認できました。私はくるくる回していたし、次女は点滅させてたのが効果的に。。
実は録画を見て感じたことがあります。
マイクで拾うを音はとてもバランスよく上手く調整されていて、どの曲も隅々まで綺麗に聴こえるし、奏者の表情や楽器もスコアに沿ってよく見えるのだけれど、会場でのダイナミックな強弱といういうか息づかい、奏者の意気込みみたいなものは伝わらないんだなと。
カウントダウンで演奏された威風堂々、失礼ながらこれが東フィルなのか!? というくらい、奏者全員の圧倒的な熱演と意気込みがあの感動を生んだといっても過言ではない。
弓のスピード、ボーイング、身体の動き、あの会場でしか味わえなかった感激は、あの場にいた人々が共有した替え難いものだったということが、あらためてわかりました。
やはりコンサートは一期一会です。
アンコールも含めて24時45分に終演。クロークでコートを受け取りホールの外に出たのは25時過ぎ。東急本店横のスターバックスでお仕事の終わる長女を待ち、26時過ぎに合流。そこからまだ賑やかさの残る渋谷の街を抜け、浜崎あゆみのカウントダウンライブの余韻が残る代々木第一体育館横を歩いて明治神宮に向かったのでした。
新年を家族で感動とともに迎え、その足で初詣をし、清々しく気持ちのいい元旦でした。
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伊豆高原広のとある別荘地の北側斜面に建つ友人宅からの富士山。
富士山は、このベランダからの眺めだ。写真のちょうど中央の奥に頭だけが覗く。
ここは大学時代の同級生が最近暮らし始めた自宅だ。
大学を卒業後、彼はグラフィックデザイナーとして某メーカーのデザイン部門に就職、その後北米駐在や欧州での仕事をし、ここ数年は日本の本社に勤めていたが、6月末に早期退職し都内からここに引っ越してきた。
たまたま春に仕事で久々に彼と会う機会があり、そこで初めて退職することを知った。
夏を過ぎ、そろそろ落ち着いたかなと連絡を取ってみたら、なんと伊豆に住みはじめた、というのでビックリ。ゆっくり話をしたいから遊びに行くよ、と連絡をしてみたら、せっかくだから泊まっていけば、というお誘いに、それではと、お互いに昔のノリが嬉しい。
紅葉シーズンの混雑が収束し、雪が舞い始める前にと、もう一人に親友と訪ねてみた次第。
そうそう、大学の時は研究室もサークルも違っていながら、3年から卒業研究の頃までほぼ毎日一緒に学食にランチを食べにいっていっていたし、そして社会人になってからも同級生の事務所に月1回仕事の後、酒とつまみを持ち寄って集まり、デザインで世の中に役に立つことは出来ないか、などというディスカッションのような雑談をしていた仲間同士なのだ。20代の頃の話だけどね。
軒にぶら下がる干し柿。彼の東北にある実家の柿の木になる実を全部とってきたんだそうだ。一部は干し柿にしたけど、皮むきの手間が大変と、残りはヘタの先を切って焼酎につけて強制的に甘い柿に変身させていた。
枝は暖炉用の燃料用。この確保の話と加工の道具や話がまた面白かった。
自宅の全景。赤いポストが素敵だ。朝、新聞取りにくるのが大変だなあ,って思ってたら新聞をとっていなかったw.
手前が南側で緩やかな斜面、家の向こうの北側は勾配がある斜面。
中はスキップフロアになっていて、南側に車庫と入り口、右の部屋が奥さんが陶芸をする工房があり、北側へ数段あがった2階が大開口のリビング、リビングの下がお風呂や寝室など。ちょっと説明しにくいけど、土地の勾配、眺望、導線がとてもよく考えられていた。
眺望の良い北側大開口の木造住宅、そして天井が高く暖炉付き、というのはもう私が理想とする住宅の見本のようなものが実際に存在し、そこで生活をしている事実はあまりにも衝撃的だった。そう、憧れのような空間と生活をする友人の勇気というか決断に嫉妬すら感じた。
彼は結果的に海外が長く、日本にいる間は賃貸物件住まい。最近まで都内に住んでいたが、週末にゆっくり過ごせる別荘をと土地探しに3年をかけていたのだそうだ。探しに探してこの土地を気に入り、そして自分で家の設計までやった。さすがデザイナーですな。建築は不動産屋さんに紹介してもらった地元の工務店に頼むことで、設計料や建築費をリーズナブルにするとともに、自分自身の理想の生活を手に入れたという次第。
まだ社会人になって4年目の頃。自分自身が転職したばかりのその年に、親友の大学の同級生とともにニューヨークに旅行する計画をたてた。HISもインターネットもまだ無かった時代、お金はないけど下っ端で責任なんてないから休みは取りやすかったので、クリスマス前に日本を発ち元旦に帰国する、という航空券とホテルだけついた2名から催行という格安のツアーを旅行会社の店頭で見つけた、さらにホテル代を節約することを目的にニューヨーク駐在になったばかりの友人宅に宿泊して、どこかに連れて行ってもらおうと考えた。その友人というのが今回訪ねた彼。
当時、彼は6月に結婚したばかりの新婚さんだった。その初めてのクリスマス、正月にのこのこ日本から独身の男二人が図々しく泊まらせてもらいにいったのだった。
大晦日、男2人でキャッツを見終わった後にブロードウエイまで自家用車で迎えにきてもらうことにしたのだが、有名なカウントダウンのためマンハッタンは道路封鎖の規制がはじまってしまい落合場所のホテルまで車が近づけない事態に陥りながら、携帯電話もない中なんとか奇跡的に遭遇できたり、さらに元旦の朝には新婚の奥さんがフリーズドライから料理してくれたおせちをいただき(後から聞いたら、駐在先の上司から届けていただいたかなり貴重なものだったらしい)、空港まで高速道路をぶっとばしてケネディ空港まで送ってもらったという超迷惑なことをしたので、お互いに一生忘れない思い出になっている。
一宿一飯のお礼は、彼がニューヨークに駐在した記念になるものをという要望から,当時立体版画という独自の創作活動で脚光を浴びていたジェームス・リジィの作品を二人でSOHOのギャラリーで買ってプレゼントした。まさに訪問した年の新作で、作品名は A BIG APPLE。
今回、ちゃんと工房の壁に飾ってあって 四半世紀ぶりの再会をはたした。それが上の画像。
夜は、近くの街の小さな魚屋さんにお願いしてあったという伊豆の幸を肴に、手土産に持参した日本酒(久保田の萬寿!)をちびちびやりながら暖炉の火を眺め ながら話が弾む。ちゃんとニュヨーク旅行時の写真(リバーサルとそのダイレクトプリント)が入ったアルバムを今回は持参したので、懐かしい昔話も。なんと 豊かな時間なんだろう。
翌朝は別荘地内にある沼を一周する道を3人で散歩。風と鳥の声しか聴こえない。
同い年で、世界で活躍した企業勤めをリタイアし、豊かな自然に囲まれた自分で設計した自宅で静かに過ごす生活を始めた友人。
一番近いコンビニまで車で10分以上、最も近いバス停までも街路灯の無い真の闇の様な山間を歩いて10分程。何でも揃うショッピングセンターには車で15分ほど。全く不便ではないにしろ、都会での生活に見切りを付け、人生90年時代の残り30年40年をどう心豊かに過ごすかを考え、行動に移した彼。体力や気力が衰えた時にことも視野に入れていた。
人それぞれだが、自分の仕事や生活 家族を見つめ、これから30年の生き方、豊かな時間 豊か生活ってなんだろうとをじっくり具体的に考える機会を与えてくれたといっても過言ではないだろう。
ありがとう友よ。
今度は妻と二人で遊びにいきます。
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マンション自治会主催の秋祭りに参加しました。
とてもいい天気。
マンションの駐車場の屋上が公開空地となった広場。
ちょっと空気が冷たいけど青空と温かい日射し下でご近所さんとのビールは気持ちいい。
昨年、管理組合の理事長をしている時に自治会との定期連絡会をはじめ、その縁で昨年はじめて秋祭りにさんかしたくらいなんだけど。
その定期連絡会で会長さんに提案した古本交換市。
提案を受け入れてくれて昨年末、3月末と2回の募集で5月の防災訓練で試験販売したところ好評。自治会がそういうことをやってくれるというのが定着し、今回の秋祭りでも本だけじゃなくてゲームや未使用の贈答品結構集まった。住民がいらなくなった本や贈答品を無償で自治会に提供し、自治会が1冊10円〜100円くらいで販売するというもの。それは自治会の活動資金にもなるし、売れなかった本は廃品回収に。
私はちょっと出遅れて豚汁や唐揚げなど食べ物は大人気で売り切れ。
しかたなく駄菓子をおつまみにご近所さんとだべってました。
そして恒例の大ビンゴ大会。結構いい商品があたるのでこの時間だけ大人もたくさんあつまってきます。
今年はな〜〜んも当たらなかったけど 楽しいひとときをでした。
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10月下旬から11月の上旬まで、東京都内は恒例のデザインイベントが目白押しになる。
Tokyo Midtown DESIGH TOUCH はミッドタウン開業からスタートなので5周年目。今年のテーマは「デザインとあそぶ」。10月26日にミッドタウン・ガーデン芝生広場に建築家の谷尻誠氏による巨大な木製ジャングルジムが歓声。子供達の歓声が広がって楽しい。私もお昼休みに革靴で頂上まで昇ってみました。ひょいひょいと上がってくる子供達にしばしの眺めを譲って降りるのに慎重で時間のかかるネクタイ姿のおじさんはさぞかし無様だったことでしょう。
東京デザイナーズウィークは、21年目だ。NPOデザインアソシエー ションがニューヨークのデザイン展示会「NYデザイナーズサタデー」を真似てインテリアデザインの展示主体ではじめたのだが、開催場所の変遷、拡大を経て、今は広い意味でのデザインの発表の場になっていて、デザイン系学生から企業、大使館まで幅広い層が出展し、8万人が集まる大デザインイベントになっちゃった。2007年から2010年までロンドンの100%designと提携していた頃に出展者として参加していたので思い入れはあるが、昨年の震災の影響、100%designとの契約切れで大きく変化した。海外,特に欧州大使館、企業の出展がなくなり、華やかさや目玉に欠ける一方で、日本の文化やアート、アジアの発信に特徴を見いだしている変化点にあるようだ。
主会場の明治神宮絵画館前にオープン2日目31日(水)の夜、ナイトチケットで訪れてみたが、満月の煌煌とした光に照らし出されたテントはガラガラの観客にちょっと寂しそう。
定点観測をしてきている私としては、プロのデザイナーや企業関係者が新しいトレンドの探索や発掘に訪れる姿や常連の出展者が減り、インタラクションの表現が増えるなどの変化や「Hello Design !」というスローガンに象徴される様な、デザイントやアートのプロ向けのトレードショーという目的から、一般の人にもクリエイティブに触れたり、楽しめるデザインとアートのエンターテイメントにフォーカスを変更したことが顕著になったと感じた。
7日間の会期,毎日夜21時までという長い開場時間に出展者の負荷は相当大きいと思うが、台風が襲って1日閉鎖した一昨年、震災の影響で会期を変更した昨年などを挽回して天候もずっとよかったこともあり、今年は過去最高の悲願の100万人超えを達成したそうだ。お祭りとしては集客してなんぼ、ということでは目標を達成したのだろうが、デザインのクオリティは間口が広がった分、以前とは異なるイベントになっていくんだろうな。
1999年〜2004年頃まで、インテリアショップのイデーの黒崎さんが中心となって開催していた「TOKYO DESIGNERS BLOCK」は、それこそ青山を中心としま街中がデザインイベントとか化して、とても面白かったという印象がある。欧州を中心とした大使館が一部を開放し、デザインのイベントを開催したり、ワインやオードブルを楽しめにそこを巡ったりした。そのTOKYO DESIGNERS BLOCKを引き継ぐ形でDESIGN TIDEが2005年にスタート。デザインの新たな潮流 (Tide)を、東京から作り出していこうという目的がネーミング表れていて、当初は美大の学園祭の様なノリの会場だったが、ミッドタウンに場所を移してからはハイセンスで見やすくなった。その分、ドロドロしたエネルギーは薄まってしまった様な気もするが、こちらの方が、デザイナーのメッセージ性やトレードショーとしての意気込みもクオリティも高い。
デザインオフィスnendoの佐藤オオキ氏が手がけたコカ•コーラのコンツアーボトルを100%再利用した、テーブルウェア “Coca-Cola Bottleware”の特別展示が美しかった。
メイン会場の会場構成、デザインは毎年異なる建築家やプロダクトデザイナーが手がけていて、今回はどうなっているのかも楽しみ。
今年はインターデザインアーティストの識咲誠と多摩美術大学プロダクトデザイン研究室が、梱包資材のプチプチ、それも製造元から製品をつくる途中ではじかれ再生にまわされるロス品を使用して「ゆるくまとめる」をコンセプトにした「大きな樹の下に集う」というイメージが具現化されていた。
5ヶ月にわたる制作過程も展示されていて,面白かった。
いずれも駆け足ではあったが、今年もデザインのイベントを一通り体験しました。
景況感もよくない昨今、デザインの重要性はこれまで以上に注目されている中で、発信する側、受け止める側それぞれにこれまでの延長ではもう収まりきれない、対応できないかつて無い悶々とした転換点にいることと、少しずつ見えてきた新しい兆しを感じたのではないだろうか。定点観測してこそ見えてくるトレンドと変化もある。
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幕張メッセでのCEATECからの帰りに東京ステーションギャラリーに寄ってみた。
東京駅復原工事完成記念展】 始発電車を待ちながら 東京駅と鉄道をめぐる現代アート 9つの物語 |
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事前に平日は10時から、土日祝は9時から配布される入場時間帯指定の整理券がないと入れないし、混雑しないようゆっくり鑑賞できるための配慮らしいけど、しばらくはフラリとついでには難しいかもな。11月くらいが狙い目かと考えていたのだが、たまたま東京駅経由だったので寄ってみた。
改札口前のドームは見上げて写真を撮る人でごった返していたが、すぐ横のギャラリー入り口は整理券配付もなくひっそり。おかげでゆったり見れた。
Twitter上では「あの人」で有名な東大の広瀬通孝教授のインタラクション作品も面白かったが、何よりクワクボリョウタ氏の「LOST #8(tokyo marunouchi)」を小さくて大きな空間に浸る時間は至福。この作品のために入場規制をしたかったのだろう。
私が鑑賞した時は90秒バージョンだったが、構成からするとロングバージョンもあるはず。
本城直季氏の「tokyo station」は 全てがミニチュアに見えてしまうという一斉を風靡した俯瞰写真。現在はbeforだけで10月下旬には丸ビル屋上から撮影したafterの《new tokyo station》が展示されるそうです。
展示室内は写真撮影できないが、最後の展示室を出た休憩室は創建当時の煉瓦がむき出しで残り、窓からは丸の内駅前広場と丸ビルの夜景が窓越しに広がる。
そしてその休憩室を出てミュージアムショップを経由した出口に向かうには北口ドームが上から眺められるテラスを通る演出。
下からは撮れないこんな写真が思うがままに撮れます。
ドームを見上げる人、帰路を急ぐ人、流れゆく人の影を見下ろしていて飽きることがない。
このギャラリーのVIは廣村正彰氏。トイレのサインも凝っていますので必見。
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力強く品位ある表現に向き合う静かな時間を過ごしてみた。
メッセージ、展示内容、構成とも素晴らしい。
タイトル:企画展「田中一光とデザインの前後左右」
会期:2012年9月21日(金)〜2013年1月20日(日)
休館日:火曜日(10月30日、12月25日は開館)、年末年始(12月27日〜1月3日)
開館時間:11:00〜20:00(入場は19:30まで)
入場料:一般1,000円、大学生800円、中高生500円、小学生以下無料
会場:21_21 DESIGN SIGHT
田中一光氏は無印良品の発案者の一人であり、1980年の無印良品誕生から亡くなるまで良品計画のアートディレクターを務めている縁でMUJI 東京ミッドタウン店ではト「田中一光展」も28日まで開催されている。
MUJI東京ミッドタウン店で買物するときに、企画展の入場レシートを提示すると、田中一光編集 の「無印の本」が貰える。
非売品ってなってたけど3900円1988年発刊の絶版!在庫僅少、お早めにらしい。
私は1991年にMUJI West Soho (英国1号店)開店記念のノベルティとして配布された風呂敷の復刻版(税込 1,550 円)が限定商品として売っていたので、それと共にゲットした。
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かながわ県民センターで「マンションみらい塾」の管理費削減/管理会社変更理事長様体験談というところでパネルディスカッションに参加してきた。
これまでの歴代理事さん達の努力あっての今なのだが、たまたま管理会社の変更、震災による自治会との連携、管理規約の全面改訂、修繕積立金の見直し改定に重なったので詳しくなってしまっただけなんだけど。
お世話になったマンション管理士さんへのお礼と悩める同士のに少しでも参考になればと参加した。
ちなみにマンション管理組合の来期の役員には改選8名に対し立候補がなんと5名も!これまでせいぜい1〜2名だったから前代未聞。311以降、なんか住民の意識も少し変わったかな。
9時30分から12時30分までの会が終わって、ランチは赤れんが倉庫で開催されているオクトーバーフェスタでビール!っと思ったら台風で中止だった。
で、予定変更で関内へ。
横浜市民ギャラリーで開催されている「ニューアート展NEXT 動く絵、描かれる時間」という恒例の注目新人アーティスト展を見る。
作品は金澤麻由子とSHIMURAbros。二人は剛柔のコントラストのある傾向でそれなりに楽しめた。
ギャラリーのある横浜市教育文化センターというところは初めてだった。
この建物は前川國男の設計。
一番上の画像はエントランス外部の2階層分の吹抜けの空間に設けられた天井
照明部分。コンクリート打ち放しの巨大な庇の大胆な造形の中に塗り分けの三角形がいきなり印象的だ。
内部のロビーもいかにも前川國男的。
階段室はなんと真っ赤。
ここって確か 横浜交響楽団の練習場なんだっけ。
しかし、なんと耐震不足と老朽化で来年閉鎖、取り壊しという。
同じ築40年で前川建築のDNAを持ち合わせた東京都美術館は再生したのに。
建築の永遠性を探究し、タイル貼りに拘り、そのタイルの剥離等が懸念される「後張り工法」の解決策として「現場打込みタイル工法」を生み出してここで実現している。
それなのに消える運命。惜しい。
実は見納めに来たのでした。
その後、急に暗雲立ち込め怪しい雲行きが台風の急接近を漂わせてきたので撤退。
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東京駅丸の内駅舎前広場にて開催された「TOKYO STATION VISION トウキョウステーションビジョン」を見てきた。
東京駅丸の内駅舎保存・復元工事完成を祝う記念イベントで、駅舎をスクリーンに最先端技術である「プロジェクションマッピング」を用いて、高精細フルCG映像を投影するという、前代未聞の映像スペクタクル。
運がよかったのか観賞エリアでゆったり多くの人の歓声に包まれながら初日の2回の上映を堪能した。
世界最高レベルのプロジェクションマッピングですよ。
都心の公共空間でこれ程のクリエィティブなイベントを実現したことが素晴らしい。
東京中から集めたらしい46台の高輝度プロジェクターからの光も美しかった。
19時から鑑賞エリア(普段は正面の待機タクシーの溜まり場)を開放する予定らしかったのが、前日のNHKニュース9でリハーサル風景を放映したためか、人がどんどん集まってきてしまって30分早く鑑賞エリアへの入場が始っていた。
ちょっと東京駅地下のグランスタで腹ごしらえをしていたら、TwitterのTLですでに凄い人というつぶやきを発見。19時過ぎに丸の内側に出てみたら鑑賞エリアの中央付近はもう立錐の余地もない。立ち見の人の間を縫ってちょっと奥へ回ったら隙間があったのでそこで座り込んで待つことに。。周囲も座り込んでお弁当で腹ごしらしたり、老若男女多彩な世代がいまかいまかと待っていた。
あと1時間もあるのか、、と思っていたら、予定を変更して19時30分から上映開始とのアナウンス。周りから拍手。さらに混雑のため観賞エリアは入れ替え制とさせていただきます、のアナウンスに「えー!」とブーイング。
上映は予定より30分早
く始まった。
冒頭に超重低音がしばらく響くのだが、これは鑑賞エリアのスピーカー近くにいないと多分周囲には聴こえない。
1回目約10分の映像が終わると観衆から拍手!
続いてテントのスタッフ達からも拍手。大成功!
感動しました。
そのまま1回目の鑑賞者をエリアから入れ替えようとするも、まったく誘導が上手くなく、全員出切ることなく、また次が入ってきて満員になることもなく2回目の上映が始った。
鑑賞エリアは結構余裕な状態のまま私たちも2回目の鑑賞。
通路を挟んだ工事エリアではヘルメット姿の作業員の方々も手を休めて観衆していた。
しかし今日は周辺大混雑で8時からの2回目で終了。
予定の8時20分 8時40分は中止。鑑賞エリアからはわからなかったけど、周辺の道路は人が溢れ、自動車の通行も麻痺状態だったらしい。
中止のアナウンスも伝わらず8時から3回の上映を見学するつもりの観衆にパトカーが拡声器で中止を伝えたりしていたが、帰りがけには知らずに8時以降の鑑賞に来た人が駅員に食ってかかって抗議しているのを何人も見た。
主催側の読みや対応がまずかったみたい。明日はスムーズにより多くの人が楽しめますように。
このプロジェクト費用は 建築の保存復元費用と同様に丸の内周辺の空中権売買で賄ったらしい。JR東日本の意気込みは凄いな。
妻と二人で観賞後、期末テストの勉強で1人で留守番してる次女にグランスタの丸の内坂エリアでお土産買って帰宅しました。
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第10回情報デザインフォーラムに参加してきた。
上の画像は、夕方 会場となった津田沼の千葉工業大学の校舎から見た夕陽。
東京湾越しにスカイツリーと富士山を一望できる絶景でした。。
朝からミーティングして、メンバーでディスカッションしていろいろな視点で気づきがあり、課題も見えたのだけれど、フォーラムの発表ではなかなか全体像や背景、課題を上手く整理して説明できず、聴講した方々には理解が不十分だったり、誤解を与えたりしたところあるようだ。
ただワークショップという場は一つの手法であって、制限された情報や時間の条件の中であっても多様な知見から紡ぎ出されるアウトプットの質は一定以上でなければならないし、そのために課題は振り返り短期間に回して本質に近づいていく仕組みなんだけど。
詳しくは浅野先生の情報デザイン研究室のブログで。
参加者にはHowとWhatを混同していたり、魔法の手段のように思っていたり、アウトプットのグラフィックに固執するあまりプロセスがどうしても表現できなかったり、またその逆だったり、組織の中での合意形成に悩んでいたり、いろいろな課題を抱えていることもあらためて透けて見えた。
ワークショップもレクリエーション代わりなったり、ワークショップ温泉などと浸っているだけで効能があって気持ちよくなったりの勘違いを揶揄する言葉があるくらいだから。
ワークショップデザイナーって「コミュニケーションの場づくりができる人材」として今や履修証明の育成プログラムやら資格認定もあるらしいので、単なる場のデザインやファシリテーションのテクニックに留まらない手段と目的をきちんとしておかないと何でもありになっちゃう。セミナーやプログラムに参加して ,気がつきましたあ、やり方覚えましたあ、では出発点に立っただけなんです。
一番大事なのは、ビジネスとしての失敗と成功の事例を実践的に体験した上での、効率と
本質を見抜く目利き力、多様性をリスペクトし合える受容性のバランス、そして何より、これ以上でなければ一流のビジネスとして通用しないというクオリティを超えるところまで引っ張り上げられるかのリーダーシップなんだろうな。
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我が家の家族アルバムは、私が結婚してから1年分を1〜3冊に纏めてきている。
1990年から1999年までは上の画像のカラーのアルバム。
21色あるというので21年間は大丈夫だろう、とこれに決めてせっせとアルバム数を増やしてきた。が、なんと10年目にしてメーカーが倒産。製造中止になってしまって手に入らなくなった。
1999年の途中から上の画像の下にある、ちょっと無機的で事務っぽいが、無印良品のアルバムバインダーにしてみた。これならロングライフ商品になるであろうという期待。
以降せっせと13年間。と思っていたら、2008年以降はポケットアルバムにプリントを入れたまま、家族アルバムにまとめるのをさぼっていた。いつかいつか、と先送りにしてもう4年。
この夏休みの宿題として2008年から2012年まで、5年分の家族アルバムを作った。
結婚以来、22年間35冊の家族アルバムが繫がった。ホッ。
そうだ、2004年の夏の家族旅行は北海道に行った。長女が中学生になった年。そこから旅行の写真はデジカメになった。デジカメで撮った画像はパソコンにいれてしまう。フィルムカメラで撮影すると現像に出してプリントしないと見れないから、そのままプリントから厳選してアルバムをつくっていた。デジカメにしたその年から旅行ごとにフォトブックというのを試しに作り始めた。iMacのiPhotoからフォトブックを開いて、画像を流し込めば、それなりにレイアウトしてくれるのに驚いた。注文したフォトブックは1週間程でドイツで印刷製本されて届いたのにまず驚いた。画質はオンデマンドプリントの品質がまだまだだったので満足とまではいかなかったが、夏の思い出を1冊に纏める記念としては十分だった。今から8年前の話だ。
2008年は次女が中学生になった年。子供達が小学生を卒業してしまうと学校行事や家族のイベントで写真を撮ること事態が極端に減少してしまう。子供達は友達同士の行動になり、時間や都合も合わなくなり、そもそも写真を撮られるのをいやがる。
家族アルバムを作るモチベーションが下がったのも何となくうなづける。
もう少しお手軽に品質もよく、とうことで当時はまだデジタル画像を纏めて1冊にするというビジネスでは先駆的だったPhotobackというゼロックスプリントでCDサイズのフォトブックを注文してみた。これが記念としてよかった。
以来、イベントごとにデジカメで撮影した画像はPhotobackに。
今年の夏の旅行も「国宝三昧 2012」として注文、先日届いた。
写真、というのは自分でその時空を切り取る作業、それをリアルに手元に残して皆で眺められること
ただ、デジカメはついプリント
ちょっと意識して習慣は継続していきたい。
ちなみに作業中、リビングに散らばった過去のアルバムやプリントを妻や子供たちがちょっと拾って眺めているだけで、この時はああだった、これがきっかけで、、、とたくさんの話題が。。
やっぱり写真を眺めると、いい時間が流れます。
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