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2006年8月 1日 (火)

北軽井沢ミュージックホール

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Dscf0443_2東京方面から軽井沢に向かうには、関越から上信越道に入って、碓氷軽井沢ICから北上するのが一般的だ。今回、私は藤岡JCTから上信越道に入らず、そのまま関越を北上、渋川伊香保ICから国道17号、353号、145号を使って長野原へ、そして146号を南下するルートを辿った。目指すは26年ぶりの軽井沢ミュージックホールだ。

Dscf0444_1大学に入学して入ったオーケストラでビオラを初心者で始め、4ヶ月後、合宿を通してやっと合奏の楽しさ、面白さを経験した思い出の場所だ。上野に集合して電車で長野原へ、そこから北軽井沢までバスに乗って初めてきたときのことを今でも覚えている。音楽に対する厳しさで有名だった金管トレーナーの今井先生指揮で、ブルックナー4番のtuttiは、最初にに音が出る

Dscf0452その瞬間までの団員全員の極度の緊張感は凄かった。
最終日の室内楽演奏会では、先輩たちの数々の室内楽を羨望のまなざしで聴きほれた。自分も1年先輩の編曲によるビオラ科のみ11名全員によるパッヘルベルのカンンを演奏して参加し、ビオラパートの結束力と仲の良さは、そのときから今もって続く仲間として記念すべき場だったのだと今になってつくづく思う。

小沢征爾が桐朋の若いメンバーの手ほどきをする機会がメディアで紹介されたり、サイトウキネンのメンバーが「北軽井沢でパート練習、分奏、個人練習などをたっぷり合宿しながらやったわね。その時と同じ」というインタビューで答える場面にしばしば出会うにつけ、ちょっと気になっていた。やはりこの「北軽井沢ミュージックホール」は桐朋の夏の練習場所だったのだ。数年前に小沢征爾氏から寄贈を受けた町は、雨漏りのするホールの屋根にビニールシートをかけたり、映画大会などのイベントをして修復、保存を手探りしてきたらしい。今後 町の芸術拠点とし維持管理していくことが長野原町の総合計画の中にも盛り込まれている。ちょうど私が訪ねたその時、桐朋の関係者の方が、4日のこのホール存続のためのチャリティーコンサートの準備のためにいた。少し話をしたが、ここでクラリネットの講習会を開いたりするのだそうだ。

プロのみならず、日本のアマチュア音楽、とりわけ大学のオケマンにとっては、計り知れないほど貢献した合宿所だ。1980年を最後に老朽化のためほとんどのアマチュアオケが志賀高原に合宿先を移動して、忘れ去られた存在となっていたが、今もこうして、当時の面影のまま存続していることは、我々の思い出とともに大きな意味があると思う。

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