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2006年10月28日 (土)

管理と自治

Dscf3978

地元のウッドデッキで出来た広場では、週末ごとによくイベントやコンサートが開かれている。
今日も全国大会常連レベルの私立の中高一貫校の吹奏楽部の演奏会があって、ピクニック気分でとてもはつらつとした音楽に触れられる機会がとても多い。明日も同じように別の学校のコンサートがあるらしい。

で、自宅のあるマンションでは 今日は年1回の管理組合と自治会の総会だった。
すでに10回目迎える管理組合の総会と、やっと昨年できたばかりの自治会の2回目の総会だ。ハードウエアの管理とソフト面での円滑なコミュニケーションを目的とした活動は、自分自身の財産としての価値を維持て行くために共同住宅としては当然のことなんだけど、ルールとマナーの違いすら考えたこともない人や、人任せで無関心な人がいるのは何処も同じだ。だいたい、2.6.2の定理というのがあるけれど、総会への出席者、委任状による参加者、そして全く無関心という人の割合が見事に当てはまる。ま、会社だろうが 地元の活動だろうが、組織されるとだいたい上位2割のポジティブでキャパシティの大きな人が 6割の普通の人たちのモチベーションを維持しながら、ことをうまく運んで行くというのは本当によく出来た構造だ。だから、元々の数が少ないと その2割の人の能力のバリエーションの幅に影響してしまい、課題の大きさによっては解決能力に限界がすぐ来てしまいがちなはずだ。マンションはそこそこの総戸数と間取り、価格帯のバリエーションが必要だと思ったのが、私がこの地域、このマンションを選んだ理由でもある。もうひとつデベロッパーの信用度もあるけれど、財閥系か交通形か公共系(自治体系、政府系)などそのデベロッパーのブランドを信頼したという事自体で既に同質な住民であるという安心感もその共同住宅の性格をかなりの部分で醸成しているようだ。
卒業研究で 千葉ニュータウンをフィールドワークの対象としてサーヴェイを通じて得た知見は今でも生きている。同世代、同質な住民、相似様式の建築群だけの地域は、一時の活気や心地よさ以上に経年によりコミュニティとして大きな課題を抱え込むことになってしまうことは、様々なニュータウンの過去の失敗や現状で、売り手の論理と買い手の知識不足による重要な問題として明白になっている。
私のマンションの設立時の管理組合は、ニュータウンと家族の未来に希望を持ったまさに30代半ばで子供が就学前後、働き盛りでエネルギーもたくさんある世代が担っていた。10年を経て、そのメンバーは社会(会社)での中心となり、子供達も成長して家族も地元から地域を広げた活動へと移行して行く中、今度は設立時に社会の中心だった団塊の世代がリタイアし始め、これからの生活の主体となる地元の活動やコミュニティに目を向け、支援、主導する立場を認識し始めてきたのである。さらに個人を楽しんできた若い世代が子供を育てるようになり、自分の財産を意識して管理組合に興味を持つようになってきた、といった具合に、活動の主体となる世代がうまく交代し、かつそれぞれの立場を理解しあえてきていることを感じた総会だった。
すでに成熟した街の個性を知って暮らす安心感、一旦形成された街があらたに徐々に変化して行くことを楽しむゆとり感、栄枯盛衰を繰り返すように過去の経緯とは異なるあらたな利便性を追求する再開発地域での斬新感、などなどそれぞれのその時のライフスタイルに合わせて住む地域を選んでいるのだと思うけど、なかなか自身のライフステージの変化に合わせて、街そのものがぴったりとスピードにあった変化を伴って行くことはまずあり得ないだろう。それで不便さや窮屈さを感じてしまうことが多いようだけれど、それを補ってあまりあるのが、多分地域の人々の考え方や,コミュニティの活発さなんだと思う。まさにそれが財産価値の維持する活動そのものなんじゃないかとつくづく感じる。
ニュータウンならではの街や人の著しい新陳代謝の繰り返し、日々変化する風景や旺盛な活動も、地域の未来に希望を持った様々な世代の住民あってこそ と言うのを実感する週末であった。

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