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2008年4月29日 (火)

クワイア

Dscf0805

今日は、娘が出演するハンドベル連盟の関東大会だった。
青学講堂に聴きにいくのがこの数年のゴールデンウイークの恒例行事になっている。
でも、多分今年がもう最後かもしれない。

ハンドベルの音楽を聴いたことのある人、というのは
世の中にそんなに多くないのだろう。

私が初めて聴いたのは中学3年の12月だ。
中学の同級生から、そいつの彼女がオケで出演するからということでチケットをくれたので、金城学院中学、高校のヘンデル「メアイア」の演奏会を愛知文化講堂に聴きに行った。
ハレルヤコーラスで聴衆全員が起立するのにも驚いたが、アーメンコーラスの壮大なフィナーレが響き渡ったあと、そのアンコールで、場内の照明が一斉に消え、「きよしこの夜」のメロディが単音で会場に染み入るように響いた瞬間は、感動的だった。

その時の指揮者が宗教音楽の第一人者であった池宮英才氏で、金城学院の音楽を指導していたのがMIケリー氏だったのである。そんなスゴい人たちだったとは、その当時,知る由もない。
その1年後、私は男声合唱の一員としてその舞台に乗っていた。

ちなみに私の通っていた高校は、浄土宗の坊さんを養成するための学校が起源である男子校だった。そんな仏教系の学校が、プロテスタントの女子校のメサイアの演奏会に賛助していたのだから、音楽の力というか、当時の校長、音楽の先生の抱擁力の大きさは今考えてみるともの凄いことだったのじゃないかと思う。

あれから30年。
娘が中学生になって、クラブ活動はオケに入ってバイオリンを始めようとしたが人気が高くて抽選で落選。次に選んだのがハンドベルだった。30年前のハンドベルしか知らなかった私には(それでも知っているだけかなり珍しい方だと思うが)、娘達の演奏を文化祭で聴き、また初めて関東大会、全国大会で他団体の演奏を聴いたとき、その曲の広がり、奏法の幅広さなど、その発展ぶりに目を見張った。そして、あの30年前に聴いたハンドベルがまさに日本の黎明期だったことも連盟の活動から最近知った。ハンドベル連盟が結成されたのが、1976年、初代の理事長が池宮氏であったとは・・。当時日本で活動していたクワイヤ(演奏グループ)はわずかに7グループだったという。その1つを目の前で聴いていたのだ。それが今や600グループ。そのうちの1つに我が娘が参加しているというのも何か奇遇だ。

今日も、いくつかの演奏を聴いたが、指揮者無し、自分たちだけで音楽を作り上げ実に楽しそう、かつ緻密なアンサンブルを奏でる女子学校、熱血な指導者に引っ張られるように情熱的な音楽を奏でる共学校などなど、室内楽から大編成のオーケストラまでを聴いているような、個性豊かな選曲とハンドベルの様々な奏法を駆使して披露してくれるる機会は貴重だった。

朝9時30分から夜8時まで、1日で55団体の演奏を運営する事務局も大変だ。
しかし、運営サイドのミスでたまたま娘達の学校は、
人数も音の数も多かったためか必要なベルが用意されておらず、
演奏を始める前にベル探しに多くの時間を費やすことになってしまった。
進行時間を守ることも運営側にとっては大事なことだが、
演奏者側にとっては多くの時間を費やして練習をし
それぞれにわずか10分間の演奏でその成果を十分に発揮するには
ひとつのベル(音)たりとも疎かにできない大切なことだ。

ま、そういう事故も運営側、演奏者側双方の教訓になって
今後よい方向に進んでいくことを期待しましょう。

一人では音楽が成立しない楽器、
ということは、責任感、集中力、協調性がなくては音楽が奏でられない楽器なのだと思う。

独特の世界観があるので、なかなか一般的には馴染みにくいのかもしれないが、
このような音楽の世界があることを体験し,楽しむことができるのは幸せだ。

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