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2008年10月19日 (日)

察知力

Dscf2278

人間中心設計やら デザインとは、をわかりやすく説明せねばならない機会も多い。
人を観察し、その背景に隠された本当の要求や価値を見つけ出すことが今はとても重要なのですよ、と。そしてそれを表現するのがデザイナー。
じゃあ、それが出来るのが本当にデザイナーなのか、という自問自答になる訳です。

優れたユーザビリティエンジニア、ユーザーエクスペリアンススペシャリスト、そしてデザイナーといわれる方々は、ヒトの行為からその背景にあるものを読み取り、具体化することに確かに優れている。ノンネガティブからさらに新しい価値を提供する上を目指している。
ユーザビリティエンジニアと言いながら、表層的な現象やチェックだけを評価としてまとめ、本質的なことに繋がる考察がほとんどない報告に対して、質問を投げかることの空しさを感じることも多い。何が違うのだろうか。

最近読んだ本にのなかに「察知力」という言葉があった。
サッカーの中村俊輔氏が同名の新書を出していて、既に9刷を重ねるほどビジネス書として売れていることは後で知った。結局は自身の気づきを高めて、判断力の精度を高めて行くという意味では同じことを言っていると思う。(まだ中村俊輔の本は読んでいません)

たとえば、出前でとった食器を洗って返すかどうか。正しいかどうかではない。合理的に考えれば、どうせ飲食店で確実洗うのだから必要はない。でも洗って返す人は、回収に来た人、お店の人が気持ちがいいだろうと気持ちに配慮している。他人ごとを自分のことのように考えられる力があるかどうか、という考え方だ。それを行動に移すかどうかは別。そういうことを考えてから判断しているかどうか。

職場に落ちているゴミを自分が拾うか拾わないか、隣で鳴っている電話をすぐ自分でとるかとらないか、会議室の椅子やボードで使った磁石を元に戻してから部屋を出るか、出ないか。

いいか悪いかではなく、その状況における行為について、するしないでどう影響を与えるか、関係する人の気持ちはどうか、を考えることが出来る力だということ。

好奇心や探究心、学究的、努力的であっても、実はこの察知力の強弱がユーザビリティエンジニアとしての適性だったり、力の大きな差となって成果に表れているのではないか、と思ったりしていた。それはコミュニケーションの幅広さだったり客観性だったりするのかもしれない。

となると、マネージメント的には 察知力がいかに重要か、気づかせる機会を増やしてあげることがポイントになってくる。
そうなると、「こうあるべき」というビジョンを掲げ、高い動機付けでひっぱる今までのようなマネージメントではなく、影響を受けていることに気づかないよう支援していくマネージメントが重要だということに気づいてきた。
そのリーダーがいるいない、マネージメントがされているといないでは、全く雰囲気が異なるというようなこと。

そうなるとマネージメントではなくヒューマンスキルを磨くということなる。
これは、ビジネスだけではなく、日常的なシーンでも重要だ。察知力を自然に高められる人材は、様々な環境で自己改革や適応力にすぐれ、周囲からの信頼感も増すポジティブなタイプだ。メンバーの察知力が向上できれば、大きな組織変革も可能になるだろう。

一人で指導するのではなく、ヒューマンスキルというのは相互作用だというのがここ数年に感じてきた実感だ。
環境の変化の中で観察と実行を繰り返しながら経験を積み、花を咲かせるような時間と精神力のいる修行のようなものかもしれない。

 

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