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2008年10月12日 (日)

テレビでの音楽

Dscf2238

平日はほとんどテレビを見ない。
週末になると録画したドラマや定番番組を結構見る。

日曜日は朝6時30分からの「建物探訪」
9時からの「題名のない音楽会」
9時45分から「新日曜美術館のアートシーン」
20時から「篤姫」
21時から「N響アワー」と つづく。

先週の「N饗アワー」はハンス・ドレバンツ指揮のマラ5だった。
1、2、4、5楽章 全部聴いた。
ホールで聴くときは、その席での音響と視覚で、全体感とともに緊張感や奏者の雰囲気などを楽しむ訳だが、テレビでは、ディレクターの意思による音と映像で間接的に楽しむことになる。
CDであれば、音だけで音楽を想像し楽しむのだが、繰り返し聴いても耐えられるよう編集により音のバランスと演奏の傷は修正され、完成度が高いの言うまでもない。

マラ5の第1楽章の冒頭、当然のようにトランペットがアップで映し出される。
首席の津堅氏が構えるトランペットが小刻みに震えている・・。
超ベテランであっても極度の緊張状態だったのか。
後半は震えも止まったようで、やっと楽器がなってきたと言う感じでしたが。

弦楽器奏者であれば、あの揺れては返す波のような哀愁を称えた陶酔感がたまらない4楽章、そのまどろみの中から、アタッカで入る5楽章冒頭のホルンの第1音は、夢から覚めて音の歓喜へと誘う入り口だ。約15分間の全休符からオケ全員と聴衆の意識が集中するGPの中、あの第1音をホルン奏者が吹く勇気は計り知れない。
その後の弦楽器の第4楽章の余韻のあとの第2音。
なんと第1音が上手くいった安心感からか第2音は外れた。
第4楽章のまどろみから 心地よく目覚ましてくれることを期待していた聴衆にとってはちょっと後味が悪い。
音楽全体から見れば小さな傷だが、聴き手はその傷を自ら癒すために前の音楽を再トレースすることになる。プロの音楽会であり、聴き手の期待する音楽の完成度を損ねる行為となればなおさらその失望感は強くなってしまうのではないだろうか。
大太鼓の強奏では、ホール全体を揺るがすほどの空気振動がマイクの入力レベルを超えたのか、すべてのマイクロフォンのセンサーが物理的に大太鼓の音圧を拾ってしまったのか、他の楽器が聴こえなくなるような現象が2回起きた(テレビの調子がおかしくなったかと思った)。音楽は聴こえなくなったが、それはそれで、音響ディレクターの顔が青くなる様子が目に浮かぶとともに会場の迫力、大太鼓の音がすべてを包み込む雰囲気を想像できる面白い出来事だった。
5楽章では多少の乱れよりも、ベルアップや強奏により、音楽を奏でることの溢れるような喜びを奏者の表情とともに波打つようなサウンドとアンサンブルに期待してしまう私には、ちょっと物足りなさを感じてしまったのだった。
N響の演奏としては熱のこもった非常に好演の類に入る演奏会だったのではないかと思うが、過レンガを積み上げるような楷書体の音楽を目指した指揮者と、うねるようなダイナミズムを奏者の主体性とともにマーラー節として期待する私の違いをあらためて確認したようなものだった。 

テレビというのは、映像で音の迫力や奏者の表情により精神性を補ってくれるが、逆の効果となるときは残酷でもある。しかし、それはクラシックの再現音楽として宿命、ライブとしても面白さでもある。

ともあれ、26年前の学生だった頃の自分たちの演奏が耳に染み付いいて思い入れが強いので、こうるさい聴き方になってしまうのだが、あの時のトランペットとホルンの同級生の演奏がいかにもの凄かったのか、ということをあらためて思い知らされたのである。

そして、今日の朝、「題名のない音楽会」でスーパーキッズオーケストラの 生き生きとした表情と音楽に胸を躍らされてしまった。
感謝の気持ち、音楽をする喜びに溢れているのである。

日曜日の朝、朝刊で必ず読む楽しみにしているコラムがある。
転職を考えているなら朝日新聞の日曜日の朝刊の求人欄を見よ、と友人から教えられたのは23年前のことだ。実際にこの求人欄を見て応募もしたことがある。転職を考えていなくとも、日曜の朝の求人欄は世相を映す鏡として私は今でも毎週読んでいるのだが、この欄に掲載される各界の賢人達による「仕事力」というコラムがなんとも含蓄あるのだ。
単行本にもなっていて、同僚の節目などにプレゼントしたこともある。

今朝は指揮者の佐渡裕氏の第1回目だった。
題名のない音楽会では、夏休み企画としての少年少女合唱団や高校の合唱団、吹奏楽部のクリニックを佐渡さんが直接指導する場面を放送してきている。
いずれも、子供達の表情と出てくる音楽がみるみる変化する様に視聴者は感嘆せざるを得ない。佐渡氏の関西人としての「突っ込み」「ぼけ 」やといったサービス精神も番組を盛り上げ、音楽の感動を一人でも多くの人に、というプロとしての「仕事」の強い使命感をこのコラムで改めて認識できる。

基礎ができている、ということがもちろん大事な要素であることは確かだが、それ以上に何のためにやっているのか、まずは自分が楽しい、そしてそれを共有する人が楽しく感じる、感じてくれてありがとう、そういう関係性の基本というものを指導しているのだと思う。

そして、夕方には先日亡くなられた緒方拳さんの遺作となったドラマ「風のガーデン」の9日放送分を録画で見た。いきなりオープンイングの音楽で「薔薇のない花屋」と同じ雰囲気を感じてしまった。やはり、篤姫と同じ吉俣良氏が担当していた。

アカデミックな音楽教育を受けてない現場で叩き上げた「音楽職人」としての「劇伴」の感性が受けているだろう。これまたヒットの予感である。



 

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