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2009年3月 1日 (日)

「おくりびと」を見て思うこと

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昨日は、地元のシネコンが話題の「おくりびと」の再上映を始めていた。その上、「今日1日、どの映画でも1000円!」というキャンペーンをやっていたので見に行ってきた。

2番目に大きいスクリーンの劇場が割り当てられていて、350席がほぼ満席。
ニュータウンなので、ショッピングセンターのテナントや映画のプログラムも子連れのファミリーを主にターゲットとしていて、普段はそういう若い層が多い。しかし「おくりびと」の観客は、この街のどこにいたのかと思うほど中高年の夫婦(私もそうだけど)や女性同士などが大多数だった。
そして、おばちゃん達の大きな笑い声とすすり泣く嗚咽に会場は満たされておりました。

売り切れだったパンフも午後には売店に届き、しっかり「アカデミー賞外国語映画賞受賞作品」と刷り込まれていた。今週になって緊急増刷したんだろうねえ。

映画は評判通りのいい映画だった。アカデミー賞をとるほどの日本を代表する傑作か?と問われれば、意見もいろいろあるとは思うが、見て損は無いと思います。

授賞式に参加した滝田監督と主演の本木雅弘ばかりがメディアに露出しているが(実際 凄いと思うが)、実は小山薫堂ファンであり、久石譲ファンである私は、小山氏初の映画脚本であること、チェリストが主人公ということで音楽担当の久石氏の職人的な仕事ぶりについて注目していたのだった。しかし、秋の公開時には見損なっていたので、アカデミー賞にノミネートされた時点で再上映、拡大上映になることをちょっと期待していた。
ワーナーマイカルでは受賞前の21日から2週間限定での再上映は決まっていたようだが、これで一気に「凱旋上映」に格上げで、大集客となったわけだ。

脚本としての魅力はいくつもある。

細やかな指先の動きから美しい所作への布石を感じさせる「チェリスト」という設定。この脚本はヨーヨーマのCDをずっとリピートで流しながら書いたのだそうだ。コントラバスの楽器ケースって音楽仲間では「棺桶」って言うんだけど、そういうことも意識したのかな。
 普段のラジオ番組や雑誌のコラムなどでお馴染みのサービス精神、こだわり、ウイットは、台詞の中にも十分は反映されていて、コメディーのようにクスリという笑いが随所に散りばめられていることもこの作品を楽しませてくれる。

そして「料理の鉄人」の放送作家らしい「食」へのこだわりや、向田邦子さんのエッセイからヒントを得たという今回の映画の重要なエピソードである「石文(いしふみ)」に込められた「言葉や文字がなくても、相手にきちんと「伝える」こと」は、いろいろと考えさせられる。

小山薫堂氏は、映画の舞台になった山形県にある東北芸術工科大学に09年度新設される「企画構想学科」学科長に就任している。この学科用に小山薫堂氏はじめ彼の秘書らが綴っているブログというのがあるんだけど、実に大学の先生ぽくない雰囲気。ここで「企画構想学科」では「『普通の事の価値』を学んで欲しい」と言っている。「おくりびと」の脚本家としてのインタビューやパンフレットにもこの映画で一番書きたかったことは、「『普通』って何だろう? でしょうか」と言っている。「普通を見直すきっかけ」が彼の今の最大のテーマであり、それを教育でも実践しようとしているようだ。アカデミー賞受賞脚本家が教授として講義してくれるっていうんで、倍率があがるんじゃないかな。

脚本がよかった、というのも事実だと思うのだが、久石譲氏の音楽がこの映画をさらに劇的にしていることも間違いない。映画全体が壮大なチェロ協奏曲のようなのだ。音楽好き、クラシックファンも十分に楽しめる。

そして、やはり“納棺師”の企画を自分で持ち込んだという主演の本木雅弘の演技は凄いね。何が凄いって、チェロを弾くシーンのフィンガリングやボウイング。特にベートーヴェンの「第九」第4楽章冒頭のレシタティーボをオケのメンバーとして弾くシーン。手だけプロの奏者の吹き替えで撮影することも多い中、周囲の奏者とズレることもなく、ヴィブラートまでかけてちゃんと弾いているように見える。エキストラで出演していた山形交響楽団のビオラ奏者のブログによると、映画の撮影のために事前に相当の特訓したそうだ。「本木さんのために本木さんが憶えてきたボウイングに山形響が合わせたくらいなので、アマチュアとしては相当なレベル です」とある。チェロの指導は、元G-CLEF(90年にNHK紅白歌合戦にも出演したインストバンド)の柏木広樹氏が行ったとクレジットに出ていた。調べてみると、楽器店のシーンについても語っている対談があった。、ソロのシーンも、音楽に合わせて演奏の演技をしているのではなくて、演技に会わせてプロ(都響首席の古川展生)が演奏しているのでは、と思えてしまう。

そして、映画を見ていて涙を誘うのは「死」に向き合うことになる遺族の思いだけではなく、何より本木氏の“納棺師”としての所作の美しさに感動してしまうからだ。

22日のエントリーに書いた「概念を言葉で定義する「西洋文化」に対し、定義がなくとも伝わる茶道のような「東洋文化」にあって、価値観のコンセプトは「話では通じない」から「身体で悟らす」ことを目指したのだと言う。」ということにも通じるのではないかと思ったのだ。

アカデミー賞受賞理由のヒントは、ちょっと神秘的な文化の違いを魅力的に描いたからなのかと感じた。

チェリストとして、納棺師として いずれも“プロの職業”として見えるまでに技を習得してしまう、俳優としてのプロ意識が凄い。ものすごい観察力で、その本質を見抜く力を持っているんじゃあないかと。

様々なプロが集結しての作品。

そしてそのメッセージが日本から世界に発信されたことは、アメリカの「チェンジ」の賜物かもしれない。

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コメント

彼はオケが解散しなければチェリストとして、生きていったかも。いわば広告に騙されて納棺士になり、広末にすら「不潔』と詰られ、苦悩する。その彼がチェロを弾いて自ら慰めるシーンも胸を打つ。チェロは彼にとっても慰めなのだ。

この映画はまさしく生と死に向き合い,生死に対する畏敬を大げさでなくユーモアを持って語る。彼が卵を産むためだけに遡上し、生み終わって精魂尽き果てて川を流れていく鮭を
注視するシーンもある。山崎努のセリフに、「人間は生き物をを喰って生きている。だから出来るだけ美味いものを喰わなければ」と述べる。哲学者はこうは言わない。納棺士の仕事は彼が引用さしてくれるよう頼みこんだ『光る蛆』に尽きる。
蛆がいなければ、人間は浄化されてあの世にいくこともできないのだ。彼が十数年も賭けた映画だけのことはあるのではないか!

投稿: woody | 2009年3月 4日 (水) 09時57分

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