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2009年7月31日 (金)

秩序とカオス

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伊藤公象 WORKS 1974-2009  秩序とカオス

東京都現代美術館[MO+]

2009年8月1日(土)〜10月4日(日) 休館:月曜日 

開館時間:10:00〜18:00

一般=1000円 学生=800円 中高生・65歳以上=500円

主催:財団法人 東京都歴史文化財団 東京都現代美術館/読売新聞東京本社/美術館連絡協議会

東京都現代美術館では現代美術の各時代の動向を振り返り、その歴史的な意義を検証するために、日本のベテラン作家の個展を開催してきました。本展はその一環として日本を代表する作家、伊藤公象の35年間の歩みを紹介するものです。

伊藤公象は土を素材にした陶造形で知られる作家です。1932年に金沢の彫金家の長男として生まれ、十代の頃に陶芸家のもとに弟子入りしましたが、その後 は伝統の世界から離れ、美術という概念を問い直すような新しい表現を土を素材にして追求してきました。ある時は土を凍らせ、ある時は乾燥による土の収縮や 亀裂を創作に採り込むなど、自然現象を活かした独自の造形は早くから注目を集めました。1978年にはインド・トリエンナーレ、1984年にはヴェネツィ ア・ビエンナーレにそれぞれ日本代表として参加するなど、その活躍の場は国内を問わず海外まで広がり、土の造形のパイオニアとして高い評価を得てきまし た。

本展は作家が所蔵する主要作品を軸に、各地の美術館が所蔵する代表作を加えて、伊藤公象の作品の全貌を紹介する回顧展です。土に本格的に取り組み始めた 1974年から現在に至る約35年にわたる軌跡を通して、人為をできるだけ抑え、自然の作用を採り込む有機的な創作の世界をご紹介します。また、当館の広 大な展示空間にあわせて構成される大型インスタレーションや新作もご堪能いただけます。

豊かな生命力を喚起してやまない伊藤公象の作品は、自然と人間との関係性が問い直される21世紀にあって多くの示唆をわたしたちに与えてくれるでしょう。(MOT HPより)

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毎年夏休み期間中の東京都現代美術館は、恒例のスタジオジブリ関係のアニメ企画展で親子連れを中心とした集客を図り、入場料収入の確保とともに美術館としての存在価値をアピールし、また現代美術への親しみ易さへの入り口としている。
今年もこの伊藤公象展より一足先にメアリー・ブレア展が開催されている。

私はこの伊藤公象という作家については全く予備知識なしで内覧会を見た。
まさに有機的でなのだがミニマルなパーツが群で構成するその迫力と表情は、経験したことのない体験である。写真では絶対にわからないその表情は触ってみたい衝動にどうしても駆られる。が、手を触れてはいけません。
会期中の毎週日曜日には、アーティストトークをはじめ、作品の一部を触って確かめながら鑑賞できるツアー(やっぱり 触ってみたいと思うよなあ)タッチ&トークやワークショップなど多彩な特別プログラムも用意されている。

エントランスホールの一番奥には ヤノベケンジ氏のジャイアント・トらやん が・・。
どうしても気になります。
MOTコレクションの常設展示も夏休みバージョンということで楽しめます。
題して「夏の遊び場ーしりとり、ままごと、なぞなぞ、ぶらんこ」
いわゆる現代アートの名作から若手の新作まで「日常とアートを繋ぐ」工夫がされています。
が、トらやんは8月9日まで。お見逃しなく・・。ここだけ撮影可です。

しかし、ヒトの少ない夜のトらやんはちょっと不気味でした。

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この東京都現代美術館では、来年の2010年2月2日〜3月22日まで、「サイバーアーツジャパンーアルスエレクトロニカの30年」という企画展が開催される。アルス・エレクトロニカといえば、私にとっては1984年のドナウ川を光と音で包み込んでしまった冨田勲のシンセサイザーパフォーマンスが、日本人でもここまでできるのかと強烈な印象だった。(ブルックナー音楽祭だったかも)。その後坂本龍一や岩井俊雄、池田亮司、明和電機などがコンピューター界のオスカー賞といわれる賞を受賞して、日本にもお馴染みとなった。

アルス・エレクトロニカの作品を中心とした来館者参加型のインタラクティブ作品やワークショップなど特集なので、多彩な日本のメディア芸術に触れることができる絶好の機会として今から楽しみなのである。

ちょうど同じ頃2月3日(水)~2月14日(日)まで国立新美術館では恒例の文化庁メディア芸術祭の作品展が開催されているので、冬の東京はメディア芸術で活気を帯びていることだろう。

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2009年7月26日 (日)

3年ぶりの未来館

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中2の次女の夏休みの学校からの課題は、博物館と美術館に行くこと。
ま、当然行くだけじゃなくてレポートを書くらしいのだが。

昨年の夏休みは二人で大原美術館アートサイト直島イサムノグチ庭園美術館と長距離ドライブの旅をしたので、書くことは山ほどあったのに・・。

じゃあ今年は、私の実家に帰省した折に明治村へ行こうか(毎度、私が行きたいだけだが・・)という提案に、それは社会科だから・・・。理科系の博物館じゃあないとだめなんだよと。さいですか・・・。
そういえば長女のときは家族で八景島シーパラダイスに行って、出来たばかりのイルカのドームを堪能したっけ。

ということで、今日は朝から急遽 日本科学未来館へ。
前回は2006年5月3日だったので、3年ぶりだ。
展示の3分の1くらいが新しくなっている感じで、以前見たものもまた新鮮な発見があったりして大人も十分に楽しめた。
相変わらずASIMOくんは大人気で、拍手がわき起こっている間に、私たちは空いている展示を楽しむことに。

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3年間での展示表現の進化は著しい。
3Fの「技術革新と未来」のゾーンは「想像力と創造力」をテーマにしていて、その原動力を「むすびつける」「くみあわせる」「ひらめく」「みならう」「きりかえる」という5つの観点から紹介している。今年の4月にリニューアルしたばかりだそうだ。

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ここで興味深いのは、原理や現象をわかりやすい模型やビジュアルで理解する、という受け身の学びだけではなく、来館者それぞれが考え、みんなで共有しようというアクティブな展示にたどり着けるようになっていたことだ。身近な夢を科学技術でかなえるにはどうしたらいいか、大きなホワイトボードならぬブラックボードに様々な技術要素を並べ、つなげたり、組み合わせたりして、ディスカッションする場だ。実際に中学生くらいの女の子二人が「自分の記憶と他人を記憶を共有したい」と白マジックでテーマを書き込んで、二人で技術要素をペタペタ貼り出していたし、大学生くらいの男子グループ5〜6人がわいわい言いながら、何やら取り組んでいた。他人に思考過程をたどって気づき、ジブン達でブレストして、カードソートして、シナリオつくっちゃうみたいなことを体験させちゃうツールになっている。

これって、凄い仕掛けだし、その仕掛けにちゃんと来館者が楽しんでいる様子がまた凄い。日本の未来は明るいんじゃないと単純に思えちゃう。英語のコーナーもありました。着想や、思考が違っているようで、この比較も面白い。

あちこちの職場にあってもいいんじゃないかなあ。

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5Fの常設展「地球環境とフロンティア」エリアの国際宇宙ステーション(ISS)に関する展示もリニューアルされていた。こちらのリニューアルはちょうど1年前の7月31日だったそうだ。体をつくる元素、大気、重力、温度、宇宙線シールドなど、地球と宇宙の環境の違いや生命体が生きる条件などを粘土アニメーションを使ったし親しみやすいストーリー仕立ての視覚で構成されている。細部までウイットにとんでいて、小さな子供も楽しいし、大人もこういう見せ方だと隠れ意味なんか見つけたりと感心させられる。

3Fのリニューアル展示には、デザイン、グラフィックデザイン、デジタルメディア制作、映像制作、製作・施行 それぞれの担当会社の名前がきちんと記載されていたが、ここの展示では見つけられなかった。誰かなあ、ととっても気になる・・。

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5Fの常設展示ゾーン「生命の科学と人間」の医療コーナーは2006年12月にリニューアルされたいたらしいが、私は今回が初めて。

「ともに進める医療」というコーナーの入り口に「今月の質問」というスペースがある。その質問に対してYes Noで補色関係の色のメモ用紙に自分の考えをメモして 壁に貼っておくと、それぞれの意見が一覧できるという単純な仕掛け。今日の午前中だけの分でもこれがまた、6歳、8歳のつたない文字ながらシンプルな意見や、20代の学生さんの鋭い意見、70代の方の達筆でかつなるほどな意見まで、見ているだけでいろいろ考えさせられたり、感心したり。Endoxa(エンドクサ=古代ギリシャ語で「良識あるみんなの考え」を意味したこ言葉)というのだそうです。アナログなコミュニケーションという手法で多様な価値観を再認識して、多くの選択肢から賢い選択をすることの大切さ、社会的な問題まで意識させ、一方的な学びに陥らないよう工夫しているところが、開館以来の教訓なのかな、とポジティブに解釈してみた。

 

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体験型常設展示施設「情報科学技術と社会」の一角、メディアラボもリニューアルされていた。日本発のテクノロジーと創造性を融合させたアート作品「デバイスアート」の第4期展覧会としてクワクボリョウタ氏の7作品が展示されていた。題して「微笑みトランジスタ」。9月28日まで。

上の画像はクワクボリョウタ氏の最新作2点のうちのひとつ、「ニコダマ」の目を閉じた瞬間。静止画で撮影するのは難しいんですよ!これは手のひらにちょうど乗るくらいの大きさで、時々赤外線通信で協調してパチパチ瞬きする目玉二つのガジェット。

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最新作2点のうちもうひとつの「シリフリン」は体験できる。人類が進化する過程で切り捨てた部位の1つである「しっぽ」を、再び手に入れられる という作品だ。装着者の腰の動きをセンサーがとらえ、複数のサーボで構成された多関節構造がクネクネというしっぽの表情生み出す。パネルのタイトルロゴ「シ'|フ'|ン」を見て、次女は「ジブン」と読んだ。私は「シリフリン」だと思ったのだが、、作者としてはリを濁点として読ませ、「ジブン」と二重の意味合いを持たせなのだそうだ。なんとか、親子で一人前・・。

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外は真っ青なアオゾラの下、プールに実物大ガンダム、26時間テレビに向かう多くの人で大変に人出のようだった。

そんな賑わいをよそに親子でちょっと知的な会話と時間を過ごすことができて充実した休日となっとのでした。さあて、レポートは何を書くのかなあ。

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2009年7月25日 (土)

一勝九敗の挑戦はつづく

UNIQLO CALENDAR の ブログパーツ 入れてみました。

発表からすでに1ヶ月以上たってますけど。
ユニクロ発、新感覚カレンダー。
郵便番号を登録すると、自分の街の天気が表示されます。

映像は今は話題の人や街がミニチュアのように見えるチルトシフトレンズで撮影した映像の早送り。
音楽はFantastic Plastic Machineと、サックスフォニスト清水靖晃。

その心地よさは見ていて飽きません。

2007年6月にUNIQLOCK が登場した時もセンセーショナルだった。その後、世界3大広告賞を制覇しちゃったんだから、そのプロモーション戦略は大成功だったといえよう。
アイデアとそれを実現する高いクオリティの醸し出す世界観が凄い。
テレビ広告に比べれば低予算だろうし、ブランド力のアップも含めて費用対効果は著しくコストパフォーマも高い。
それから2年、実用性まで加えての新たな提案。

ユニクロイントロダクション」というコンテンツも見逃せません・・.

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2009年7月22日 (水)

日食に思う

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帰る時にエレベーターで一緒になった同僚が「いいもの見せてあげますよ」と見せてくれたのが部分日食の画像。
会社の玄関前で、ふと空を見上げた時、一瞬薄くなった雲間から見えたところを撮影したものだそうだ。雲がちょうどいい具合にフィルターになって、肉眼でもしっかり見えたそうだ。
東京は西麻布で11時9分頃のこと。東京の食の最大が11時13分頃だったので、ほぼ一番欠けていたときでしょう。
素直に悔しい、羨ましい。
似たような画像が今日は至るところにアップされているので、画像としてだけなら珍しくもないが、見えた瞬間の感動を直接聞けて共感できた。で、デジカメのモニターを道ばたで撮影させてもらう私。

私はその時間、机でお仕事してました。
晴れていたら木漏れ日観察をして、地面の木陰の写真を撮ろうと思っていたのだけれど、朝からの土砂降りでちょっと無理かなあとは思いこんでいた。都会は空が狭いので、お昼休みにちょっと視界の広い裏手にあるお寺に散歩してみたが、どこに太陽があるのかも解らないほど空は真っ白。食が終わった12時40分頃になって急に明るくなり、影が出来る程薄日が射してきたのだった。夕方、また雨がポツポツしてきたけど。

夜、ニュースでは鳥取砂丘のラクダの上とか、京都で舞妓さんがグラスを覗いている姿とか日本の各地や様々な地域や航空機から太陽を眺めている様子や、動物園での動物の行動などが放映されていて面白かった。衛星から地球に写る月の丸い影の画像が移動して行く様子と日食の仕組みをCGで紹介してくれるところがテレビらしい。人間も引力バランの関係で出産が多かったのかなあ。

小学校の頃 部分日食を下敷き越しに見た記憶がある。
今は便利なので、インターネットのデータベースでさくっと調べてみたら、1969年3月18日の15時頃のことらしい。小学校2年生かあ。この年の7月20日にアポロが月面着陸し、人類初の一歩を記した。日本時間7月21日の午前中はその瞬間のためにNHKの生中継にかじりつき、西山千という人の「同時通訳」に驚愕と感動したことも鮮明に覚えている。
その翌年、大阪万博で月の石と対面した。日本中が いた世界中が月ブームだった頃だ。まさに高度経済成長のまっただ中、技術の進歩と人類の未来は果てしなく広がっているようだった・・。

次回の太陽の天体ショーは2012年5月21日(月)の朝7時30分ころに、九州から関東にかけての太平洋沿岸のどこでも最大9割が月に隠れる金環食が見られる。
梅雨の前で不安定な天気かもしれないが、通勤前、通勤途中にゆっくり観測可能なので、かなり期待できそうだ。

そして皆既日食は2035年9月2日(日)の午前10時前後の3時間、能登半島から霞ヶ浦のあたりまでの広い範囲で見ることが可能だ。
26年後のことです。
世の中どうなっているんでしょう。
大ロマンです。

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2009年7月20日 (月)

五感で楽しむ

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午前中、近所の公園の池のほとりでちょっと自転車を降りて佇む。
10分程じっとしていると、次々とトンボが低空飛行してくる。
大きくて鮮やかなギンヤンマ、背中が白いシオカラトンボ、まだ初夏なのに赤いトンボもいる。ナツアカネかな。

今日は曇り空で日射しがないので、水面を渡ってくる風が心地よい。水に触れなくても水温を感じることができる。蓮の花と水の匂いが混じり合う。

虫取り網と虫取り籠を持った子供達が遠くで時折歓声をあげながらちょこちょこ走り回っている。

蝉のなき声もニイニイゼミとアブラゼミは聞き分けられる。

姿は見えなくともヒヨドリ、ムクドリ、シジュウカラ、ハクセキレイの声も聴こえる。お〜、まだ婚活中なのか 随分とお上手なホトトギスのラブソングも響き渡る。

目を閉じればそうえいばトンボをはじめ様々な虫の羽音も聴こえて、飛び交う方向も感じられるようだ。

するめを割り箸の先にぶら下げている子供が遊んでいるところに行ってみる。

クレソンが密生している水辺にシオヤトンボがじっとしている。しばらくするともう一匹がよってきた。トンボも恋の季節だ。さきほどのギンヤンマが低空でせせらぎ沿いに滑空して何度も通り過ぎて行く。トンボ道のようだ。

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ふと下を見ると、小さなザリガニと目が合ってしまった。

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自宅から数分、毎日通勤で通る道沿いにある公園では、こんな自然の豊かな営みがある。身近な自然に触れるだけで、好奇心が五感を刺激して楽しむことができる。

都会では真っ暗な暗闇で五感を磨くエンターテイメント体験というイベントがある。そのアイデアの実現と視覚障がい者の社会参加の機会という意味合いは大きいと思うのだが、私は相互理解の入り口ということの意味に90分8000円の料金とアテンドは違和感を感じざるを得ない。そういう場を設定しないと 五感をあらためて認識できないとか、人と人との相互関係のバリアーを考え直せない社会なのか、と。あえて私の問題意識と課題はここで詳しく述べないが。

社会というのは人と人の関係だ。人とモノ関係、人と環境の関係、そのインタフェースとしての感覚。障がいというコトバを社会との関係性で捉えて活動をしている方々にも、きちんと背景や問題とその深さを重く認識している人と、表層的な手段を提供することで理解したつもりの人がいて錯綜しているように思う。

そういうことを包括的に考えて、感覚という人のインターフェースの意味を捉えてみると、その磨き方の基本はやはり自然との対話から育まれる心の豊かさがじゃないかと。

そうそう ヴァンクライバーンピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんのクロッピングされたような報道にも違和感を覚えていたのだが、彼が出演した「題名のない音楽会」を見て、ラフマニノフの2番もよかったが、J・マスト作曲の「インプロヴィゼーションとフーガ」の演奏を聴けたことが何よりの収穫だった。この報道に接し、ピアニストにとって「目が見えない」ハンディややこのコンクールの性格の背景をどこまで理解しようとした人がいただろうか。音楽は演奏技術だけでなく、作曲家の精神性まで読み解いて、さらにそれを自分の内面性にまで昇華して創造的に発露する表現手段だ。このコンクールのために書かれた新曲をここまで自分のものにして演奏できる実力こそが、まさに限られながらも研ぎ澄まされたインターフェースと本人の感性の賜物だ。お祭り騒ぎでなく、一人の音楽家としての成長を楽しみに見守ってゆきたいのだ。

 

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2009年7月19日 (日)

今日は夕焼けと虹

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18時44分  自宅から北西方向 八王子の高尾の山に沈む夕陽。

昨日は雲が多くて、中途半端な天使のはしごをちらりと見せて雲隠れしてしまった日没。案の定、朝から時々ポツポツと雨が落ちたりという中途半端な蒸し暑い一日だったが、夕方にはアオゾラが覗いた。

この夕焼けなら明日も晴れて暑いのかなあと思いつつ、
気象情報は前線が南に下がって冷たい空気が入るので今日よりも過ごしやすい一日と。日食の22日に関東地方はお天気がよくなさそうとも。

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次女の「虹だあ!」の声に夕陽とは反対側の窓に。
18時47分 夕陽と正反対側に 虹が現れる。

久々にグルリと半円を描くくっきりとした虹に感動。
この画像は51分頃。
約10分間 夕焼け空に美しい虹をベランダから堪能。

梅雨明けと言えども、
すっきりした青い空やモクモクした入道雲といった
いかにも夏らしい空も長続きしていないが、
ダイナミックな虹は夏らしいかも。

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今日は妻方のご先祖様に家族の健康を感謝しにお参りをしたのでそのご褒美かな。

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2009年7月18日 (土)

本日の夕焼け

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18時13分 自宅から

予想に反してすっかり梅雨が明けてしまった。
梅雨が明けたら セミは夜にもなくし、ニイニイゼミだけだったのが
今日からアブラゼミもなき始めた。

子供たちはもう夏休み。

映画館は子供向けプログラムで早朝からフル回転、
無印良品にさえ、夏休み工作用の「段ボール恐竜組み立てキット」とか
発掘キット」なるものが 店頭に積み上げられていた。

ネットストアでの扱いがないようなので 店頭のみの販売か。
そういうのを手に取って欲しそうにしているのは
子供じゃなくて、たいていお父さんなんですけど。あ、私・・!?

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2009年7月16日 (木)

幸せの仕組みって?

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自分のやりたいことが思うようにかなわない、とか本当にやりたいことなのかわからないとか。

他人から言われたことは、やらされている感があって、自由度も自分らしさも発揮できなくて嫌だと思う。
そうはいっても、家での家事、育児、学校の宿題、課題 社会に出てからの仕事というのはまずは基礎をやって覚えなさいということが多いから、どんなつまらないことも目の前のことをきちんと達成してみる。

なぜそうした方がいいかというと、そうするうちにだんだん新しい目標が見つかるから。
そうすると他人から命ぜられたことでも、他人を喜ばせるスキルが身に付く。

相手が喜べば、何らかそれを目に見えない報酬として感じ、そして目に見える報酬として手に入れることに結びついて、自分も幸せな気分になれる。

それが自分のやりたいことになって、他人を幸せにすることに繋がれば、これほど継続的に強いモチベーションは無いと思う。

これって、生きて行くということ そのものな訳ですね。

シンプルに 自分が周囲に何をしたら楽しい 心地よいと思ってくれるだろう
と考えることが一番シンプルなスタートなはず。

だから若かろうと そこそこ年をとっていようと悩んだら、やっぱり目の前のことをとりあえず一生懸命に手を抜かずにやってみる。そしたら誰かが喜んで 自分も嬉しい。

この幸せの仕組みはカンタンそうで実は時間もかかるし、
自分勝手な自身との戦いでもあるので紆余曲折もある訳で。

みんな結構そうして 幸せをつかんでるんじゃないかと。

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2009年7月14日 (火)

働くって?

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「働く」という意味も、「労働」という言葉は聖書で「苦役」を意味するので、欧米人は仕事に対して償いや罪といった暗い意識を持っているという内容のコラムを読んだことがある。

労働する必要のないエデンの園で罪を犯したために、そこから出て人間はこの世界で働いて罪を償わなければならなくなった。
一方で、日本人にとって働くことは一種の自己実現であり、創造だという労働観が存在しているのだという。現代になってその価値観が変化していることは言うまでもないけれど、大きく根本的なところでは 古い労働観に縛られているところもあって、欧米や若い世代とのすり違いも起こり始めているのだろう。

自分を育ててくれる仕事を自分で見つけ始めていく、そういう中で社会や日本らしさがまた成長して行く。

この話は 朝日新聞の毎週日曜日の求人欄のコラム「仕事力」に、2006年11月19日12月10日の4週に渡って掲載された、思想家・人類学者の中沢新一さんの談話だ。

私にとっては非常に印象的で、日本人としての働き方を考える時、必ず思い出すし、人と議論とするときも話題にすることで、いろいろ気づきがあるのです。

以下 コラムから一部抜粋、引用

「労働」という言葉は西欧では「LABOR」、聖書で「苦役」を意味します。エデンの園で、労働する必要のない状態にいたのに、そこから出て行かざ るを得なくなった。罪を犯したために、人間はこの世界で働いて罪を償わなければならなくなった。欧米では仕事に対して償いや罪といった暗い意識がつきまと います。労働はもともと苦役なんです。しかしレヴィ=ストロースは、日本においてはまったくそれが感じられないと言うのです。彼は、人形作り、焼き物、塗りなどいろいろな職人に会い話を聞い ていますが、誰もが「仕事をすること自体が楽しく、うれしい」と語ることに大きな驚きを感じています。仕事で何かの成果が表れてくるというのは、果物が実 るのを見るようなものだから、とみんなが口をそろえる。小さな町工場のおじさんたちまで、そう語ったと。

その観察は正しいと私は思います。日本人にとっては、農民から職人、町工場の技術屋さんからサラリーマンまで、働くことは一種の自己実現であり、創造なんですね。心の奥底にそういう労働観が存在しています。

現代人は、近代の労働観に縛られているところがありますが、でも、根本には古い精神層が生きていて、簡単に消えないと思います。

近代の労働倫理は日本人の中で変容が始まっていますが、しかし権力に近い人たちは相変わらずの近代価値観にしがみついていて、それが時代錯誤になりつつあることに気づいていない。

日本のモノ作りには、合理的なシステムだけでは説明できない要素が含まれていると思います。例えば芸術的要素の一つとして「コツ」を挙げることができますが、はっきりと言葉で伝えられない不合理な部分を持っていて、現在の自動車や家電品にも、その感覚的な日本人の仕事ぶりがうかがえます。

頭で考える合理的なシステムでは生まれない。日本人の芸術とは、有用性のモノ作りで実践してきた極意そのものではないでしょうか。

自然と触れ合いたい、動物や植物とのやり取りをしたいというのが日本人の文化的精神的DNAですが、現代の日本では都市生活が中心です。私たちの世代はまだ、外の世界と触れ合うために旅に出るという方法がありましたが、今のようにメディアも交通機関も発達してしまったら、どこへ行っても同じですし、出合う ものも聴く音楽も同じですね。会社も均一化してきていますから、堂々巡りではないでしょうか。

不合理を取り込んで仕事の極意に高める日本人にとって、その要素を切り捨てるヨーロッパの合理的労働観は殺伐としたものに感じられるのかもしれません。

例えば仕事はどのようにささいなものでも働く人の自己実現のツールです。仕事に価値の高さ低さはなく、給与のいい仕事をしているから成功しているというのも違います。第一線の職場にいなくても、自分が素直に充実感を持てる仕事で歩いていけばいいと思います。仕事は自分の心の置き方一つ。それが当たり前の選択になってほしいと考えています。

他人にはつまらないかもしれないけれど、自分らしい価値で目標を持ちそこに力を注ぐ方が実りがあるのではないでしょうか。誰が見ても文句のつけようがな い、立派な分かりやすさでなくていい。人がうらやむポジションの仕事でなくてもいいのです。おそらく21世紀の日本人は、自分を育ててくれる仕事を自分で 見つけ始めていくでしょう。

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2009年7月13日 (月)

読書の夏!?

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昨年の7月6日に同じタイトルのエントリーをアップしている。

Dscf5123 7月に入ると書店の店頭はパンダとミツバチと松山ケンイチで溢れる。
「夏の文庫本フェア」でもうすぐ夏休みかあ・・と気づく。
もともとは中高校生の夏休みの読書感想文を狙った企画だったと思うのだが、 大人向けに昔読んだ名作をもうDscf5125一度読み返してもらおう、 青春時代の気持ちをもう一度なんて感じなのだろうか。

それにしても昨年あたりから文庫本もジャケ買いさせようって、表紙デザインが競争が過剰になってて、 今年はどんな手で来るのかちょっと期待してんだけど。
昨年の使い回しのようで・・。

Dscf5124私は勤め先の生協で提携しているインターネット書店で注文すれば10%オフで入手できるので、単行本などはすっかり書店で購入しなくなってしまった。

しかし、平日も休日も書店めぐりは好きだ。
書評やら書店で目にして興味を持ったら、あらためてインターネットで調べて注文するという感じだ。多くの人がインターネットでの購入にシフトしているのだろうが、合理性だけでなく、ふと目に入って買ってちょうだいとメッセージを送っている本に出会う瞬間も楽しい。

書店に来た若者達に手に取ってもらうためのジャケ買い作戦はうまくいっているのかなあ、と毎年思う。

ちなみに私の夏休みの課題図書は「意味論的展開ーデザインの新しい基礎理論」。

読書感想文は書きませんが、仲間とこれについて語り合う、訳者に知人がいるのでそのプロセスをぜひ聴いてみるのが楽しみ。

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2009年7月12日 (日)

報酬って?

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働くことの報酬として お金や地位を得る。
でもお金や地位のためだけに働いているわけではないとも思う。

それはなぜか。

いろいろな場面で絡み合う要素や条件を整理してみると

「仕事をより多くのお金を稼ぐためにやる、という考え方は、
 誰かが得れば誰かが失うというゼロサム
 (全体の合計がゼロで、新たな価値が創出されない状況)の報酬だ。
 だから努力すれば必ず得られるものではないはず。
 仕事をするうえで、人間として成長するために働く
 という意識はポジティブサムであり、
 自ら求めて得るべき報酬なので、
 誰でも増やせるのではないか」と。

私はとても合理的に仕事をしている、お金を稼いでいる、 といっても
実はゼロサムの中で 
その人の思い通りにお金が増えたり 地位が上がったりしなかったりする、ということのようだ。

一方で、端からはとても無理無駄のように見えても
人のやらないことをやったり
すぐには儲からなさそうなことに取り組んでいるようで
実は自律したモチベーションで働くことができたほうが
活き活きさを持続しながら、
目に見えない大きな報酬を得ることの方が 幸せだったりする。

人にはどうしても満たさないといけない
基本的な5つの欲求があるそうだ。
ただし 人によってその5つの優先度 強弱があって
その欲求の理想の満たし方は違うことがポイント。

1.人に関わりたい 
2.認められたい   
3.自分で決めたい 
4.楽しみたい    
5.生きたい 

具体的には    

1.信頼できる仲間がいる
2.頑張りが評価される 成長が感じられる 誇りが持てる
3.自由裁量の部分がある 
4.創意工夫ができる 
5.適切な休息がとれる

のような欲求というとわかりやすい。

人をやる気にさせることができる人や組織とは
これらのマネージメントがバランスよく実践されているということらしい。
これは程度の差こそあれ、
教育の現場、地域の活動、企業の活動から政治まで
様々な場面で同じことが言えると思う。

逆に 合理的な理屈や正論をいくら押し付けても 人は動いてくれないし、
それどころかいつのまにか面従腹背になってしまって
表面的には問題がないが
成果が出ない 成長しない形骸化した仮面組織に陥ってしまう。

要は 目に見える報酬よりも
目に見えない報酬が いかに大事かということ。

そうそう、マズローの欲求5段階説が人間のモチベーション論の中では
必ず語られる。
その5段階目の最後が自己実現の欲求。
潜在的な自分の可能性の探求や自己啓発、創造性へのチャレンジで
それぞれの人生観に基づいた目標に向かって自分を高めていこうとする欲求だ。

実は晩年に自己実現のあとに6段階目を唱えていたそうで
それは 「コミュニティ(共同体)発展欲求」なんだそうです。

お〜〜!
自己実現が出来てはじめて
はじめて 組織や企業、地域 そして国家 地球が発展していくのだ。
そのためにも 組織は所属する人たちのために
自己実現の機会を与える必要があるんだ。

自分なりに納得しやすい理論的にはすっきりしてきたぞ。
現実でのHowはいろいろ厳しいが。

こういうことを考えてみる、意識することがまず大事、ということで。

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2009年7月11日 (土)

今年の蝉

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ブログも長く続けていると定点観測の実績を振り返ることで、知恵もつく。
毎年恒例の蝉の初なき記録。

今日のお昼に隣のマンションの木立からニイニイゼミの鳴き声が聞こえた。
私の聴いた今年の蝉の初なきだ。
午後には ぱったり聴こえなくなってしまったが。

ちょっと敷地内の木立を歩いて小さなセミの抜け殻を一つだけ発見!

このブログで過去3年間の地元での蝉の初なき記録を調べてみると

2008年は7月5日のニイニイゼミ
2007年は7月21日
2006年は7月9日のヒグラシ

昨年のエントリーに
「蝉の初なきを聴いてから10日くらいで梅雨があけるという、季節の方程式が当てはまるなら、今年の梅雨明けは例年よりちょっと早くて、7月の中旬くらいということになる。」
と書いている。

ちょっと確かめてみよう(夏休みの宿題みたいだ)
気象庁発表の関東甲信越地区の梅雨入り、梅雨明けのの日付と
私の地元での蝉の初なきの記録を並べてみる。

       梅雨入り  蝉の初なき  梅雨明け  初なきから梅雨明けまで
2006年 6月 9日  7月 9日   7月30日   21日
2007年 6月22日  7月21日   8月 1日   11日
2008年 5月29日  7月 5日   7月19日   14日
2009年 6月10日  7月11日     ?

昨年はまあなんとか中旬だった。
平年値は7月20日なので、今年はやや遅くて
その週末くらいに明けるということだろうか。

ちなみに「むしむし探し隊」 全国蝉のなき声基礎調査」というのがある。
ここで調べてみると、神奈川県では鎌倉あたりから、東京も世田谷や、都心では明治神宮の森あたりでニイニイゼミがなき始めたことがわかる。
今年は精度の高いセミの初鳴き前線作りをプロジェクトとして目指しているそうだ。

まだまだセミがうるさい程ないているとか、あちこちに抜け殻が幹にしがみついているという光景ではないが、自然の営みは着実に夏に向かっている。都会のセミは、早朝に生まれたてのところをカラスに食べられしまったりと受難も多い。

セミの初なきを聴いたら あと少しで梅雨明け、夏本番も近い。

               

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2009年7月 6日 (月)

それだけで世界を変える水

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おいしい+環境にいい

すごいコピーだ。
それだけで 買わせてしまうチカラがある。

使用材料が少ないとか、潰した感覚がECOを体験させるところとか、
たしかに新しい。

そしてびっくりしたのは 5つの硬度も成分も違う水なのに
「いろはす」という一つのブランドで全国展開していること。

鳥取で採水された商品は硬度43、北海道札幌市で採水された商品は硬度29.1
ナトリウム、カリウムなどの成分もかなり異なる。
私が飲んだ水は静岡県小山町なので富士山麓の水かな。

生産、物流も環境を考えて、効率的にということの結果なのだろうか。

地域によって味が違うことも狙ってるのかな。

コマーシャルに気を取られて
飲んだあとの絞るところが注目をされているが
実は、いろいろな意味で新しい発想か。 

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2009年7月 5日 (日)

徒然草 第五十五段

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家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比わろき住居は、堪え難き事なり。

日常の生活は春夏秋冬の自然の織り成しの中で営まれいる.
そういう事実と経験から、日本の家屋は「夏を宗とすべし」と言い伝えられている。
徒然草の時代には、東北や北海道のことは視野に入っていなかっただろうけど。

厳しい冬を過ごす知恵よりも
湿気が多い梅雨や暑い夏を快適に過ごすことを優先して考えよと。
温暖化が進むのならなおさらか。

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クーラーも扇風機も無い時代の知恵と言ってしまえばそれまでだが
エネルギー効率を優先しながら快適に過ごすために
マンションをはじめ ハウスメーカーの住宅は
外気からの断熱性を高め、空調により室内の温湿度を保つことで
快適な空間を生み出すことを前提としている。
24時間運転で空気を循環させて
見えないところに湿気を溜めないよう、さらに温度差を作らないようにして
結露やカビを発生させない。
こうして人の快適さと建築寿命を延ばすことの両立を謳っている。

長い目で見て健康にいいようであり、省エネであるかのようだ。
これは、裏を返せば様々な立地条件の中で工業化、規格化したものを提供する側の
効率優先の論理でもあると思う。
もう一方で需要側にとってもどんな地域であろうと
低価格で効率的、質の高い快適な住居を入手できるという便利さを享受できるのだから 、現代社会におけるユーザーニーズそのものであもる。

強い直射日光のビルやアスファルトからの照り返し、
クーラーの室外機からの熱も加わり、まさにヒートアイランド現象の都会。
内燃機関の車からの廃熱も加わった熱風に見舞われる都市においては、セキュリティも考慮すれば外気との遮断は必然的だ。

でも 本来なら室内からの発熱や汚れた空気を逃がすために、風通しがいいに越したことはないし 、地域、風土、季節に密着した風の道の条件を理解した上で住まう場所を探し当てたり、そこにあった建物を建てることで心身ともに快適かつ健康に住まうことができるはず。 
狭い日本の国土、特に都会を高度に有効活用するためには、海の上だったり、沼や河川敷だったりした場所の上空までを住まいにしてしまうことで、風の道を考える前に外からの空気を断って、合理的に空間を確保する技術開発が必要だった訳だ。

夏と冬で異なる日射しの角度を利用するための長い軒すらも、都会の狭い土地では省略して合理性と効率をひたすら追求せざるを得ないという現実が、本来のあるべき姿を忘れさせてしまってはいないか。

生産性を優先した働く空間を設ける場所と、自分の時間を大切にする衣食住の空間とその場所は、それこそ異なるはずなのに。

少なくとも日本の風土における住宅や都市計画は、
「夏を宗とすべし」を避けて通るべきではないのでは。

我が家はコンクリートの集合住宅なのだが、
選択の理由に それまでの経験から
風通しのよさ、軒の深さはかなりの優先度が高かった。

幹線道路に面していないこと(排気ガスが上がってきて 気分が悪くなったことがある)、ユニットバスであっても窓があること(湿気のある密閉空間の手入れ、カビ対策は大変)、 南北または東西の窓を開けることで風が抜けること (一方が開放されても、反対側を開けないと風は換気されない)、ベランダの奥行きは軒と同じで夏の日射しを避けることになる、などなど。

集合住宅のよさは、上下左右が住戸に囲まれているので冬の断熱性は抜群である。だからこそ、夏を宗とすべし と思った訳である。

いずれにせよ、合理性の追求だけではなく、せめて住まいには気候風土に合った建築のあり方、四季折々の営みを一人一人がもう少し意識していかないと、本当のエネルギーの効率的な使い方にはならないと思う。

特に都会に住む日本人の感性はとても鈍っているのかもしれない。

七夕の夜、風に吹かれて星空を眺めてみましょう。

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2009年7月 4日 (土)

耐用年数

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家電製品はいつか故障し、使用できなくなる。
それはいつか?
ある日 突然それがやってくるモノもあれば、前兆があってやっぱり、というモノもある。
その時、愛着から捨てるのも惜しいとか、よく頑張ったね、とねぎらいつつ廃棄し買い替えるとか、あまりにも早すぎる故障にメーカーの信用を疑ったり、いろいろなケースがある。

そういえば、1980~90年代にはソニータイマーなんていう都市伝説のような風評もあった。保証期間が終了した直後に故障するよう、ソニーは、高い技術力で製品寿命をコントロールし、修理や買い換えの利益を得らるよう設計されているという比喩だ。

ちなみにソニーの名誉のためにも、私が買ったソニー製品のうち トリニトロンカラーテレビは19年(2年前に買い替えました)使用できたし、36年前に買ったラジオ(スカイセンサー5500)は、未だ現役です。

こんなことを書くのは、我が家にいくつかの事例が発生したから。

一つはトースター。蓋が手を離せば閉まるためにバネが仕込まれているのだが、そのバネが高熱で劣化が早まったらしく、わずか数年で断線した。ホームセンンターで買ってきた同寸法のバネで代用していたがこれも断線。本質的な機能の故障ではないのに、高熱にさらされる安価で小さな部品の耐久性がそれより劣ったために日常の使用に耐えられず、買い替えることになった。3000円の商品と言ってしまえばそれまでだし、海外での生産で、いろいろ事情もあるのだろうが、わずか数円の部品のための買い替えはもったないと思はざるを得ない。

その前のイタリア製のトースターも タイマー連動スイッチが数年で壊れたので買い替えたのに。

我が家のトースターの寿命は短く、毎朝使うから消耗品という感覚になってきている。
最近購入した無印良品のトースターは機能、値段 デザインともに気に入ってるので
ぜひ長持ちして欲しいのだが・・。

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私が学生時代は、エアコンなんて買えないから大学の生協で買った扇風機があった。
それから社会人になってから結婚してしばらくまで10年以上使っていた。
17年前に子供が生まれて、赤ちゃんが暑い夏を過ごすにはエアコンじゃなくて
またブンブンとちょっとうるさい扇風機ではなくて、そよそよとそよぐ扇風機がいいということで、買い替えた。
土台にリモコンが一体で収まるように付いていて、単調な強中弱の切り替えだけではなく「自然の風に近い風を送ります」という強弱のリズムを自動で繰り返すランダム運転が目玉だった。当時 1/f ゆらぎ なる理論が世間に普及し始めた頃だ。白とブルーが主流でいかにも白物家電といったデザインが主流だった中で、マットなグレー一色でシンプルで端正な佇まいも気に入っていた。

その扇風機は、以来我が家で実に16年以上活躍している。
7年目の夏、その扇風機に過ってタオルの端を巻き込んでしまい、羽根が破損。
羽根だけ部品交換で注文し、着荷までの間にあまりにも暑くてもう1台同シリーズを買い増した。で、今は9年目の扇風機と2台ある。

今夏の使用のため納戸から出して組み立てていて、9年目の扇風機の羽根にスピンドルにかませる部分がプラスティックの劣化で破損しているのを発見した。

本体はまだまだ使えるから羽根だけ部品交換したいのでネットで調べてみると、同じよう事例があって部品代に3千円くらいかかるかようなことを見つけた。新製品に買い替えられるくらいの値段だが、今時の扇風機は機能も耐久性もデザインも劣るのである。

サービスセンターは平日の昼間しか対応してくれないので、羽根だけ注文するといくらなのか量販店で調べてみたところ1500円との回答。一番破損しやすく、かつ交換部品としての注文が多い羽根として、新製品価格とのバランスからかなり適正に設定されていると感じた。

16年前の製品と9年前の製品でも、羽根の部分の設計は共通化されていた。
家電量販店で同じメーカーの現行品の扇風機を観察してみたら、目視ではほぼ同じ設計構造になっていたから、20年近く前の製品から現行製品まで部品を共通化していて、使用可能としているのだろう。力量のかかる部分の材料劣化速度が他の部品より早いのはは回避できないから、そういうことまで考慮しているのではないかと、かなりポジティブに解釈してみた。

メーカーのプラットフォーム設計、コスト、品質、部品在庫管理が合理的に実施されていている証で、さすが日本で最初に扇風機を製造、発売したメーカーとしての歴史とノウハウ、そしてプライドを感じる。
こういうところに消費者は信頼を寄せるべきなのである。
しかし、そうはいっても部品の材料代以上にアフターメンテナンスのためのコストがかかる事実は、新製品に買い替えた方が結局安い、という現実もある。

2007年の夏に、30年以上前に製造された扇風機を使用していた老夫婦が、経年劣化による発火で火災となり、犠牲者となる出る痛ましい事故が発生した。
これを教訓に今年の春から「改正消費生活用製品安全法(改正消安法)」が施行され、製品有効寿命の明確化が実現している。

いろいろ調べてみると、扇風機はだいたい15年の耐用年数で設計されているが、日本以外のコストの安い国で製造された製品では4年なんて言う表示もあるそうだ。これもユーザーニーズの結果のひとつなのだろう。

事故発生率を下げるのではなく,コストをかけてでも「社会に許容される安全」を確保した上で,信頼性向上とコスト削減の両方に取り組むというのが本道のはずだ。現場では「回り 道」のようにも思えるが,実際には製品安全における消費者との「契約」を順守し、信頼を築いて行くための結局は確実な道なのである。技術開発は,単に品質を上げる、機能を上げるということで信頼性を高めることにではなく,安全を確保した上で信頼性を高めることにあるのはいうまでもない。

日本のモノづくり、というのは、八百万(やおよろず)の神という、加工する精度や品質、ディティールにまで神が宿っている、という精神性を持っていることが強みだと思う。

それがまさに耐久性、アフターサービスの合理性に繋がる日本のメーカーの信頼性であり、商品企画、設計開発の良心のはずだ。

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2009年7月 3日 (金)

目利・予測・説得

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働くということ、報酬とは何ぞや、
企業に属することの意味 なんてことをここのところ考える機会が多かった。

まずは 企業に属してデザインするということ。

企業に属していながら 個人でクリエイティブな活動する人も増えている。
まあ、制作ツールや環境、発信受信する手段もカンタンで多様になったから。
世の中の人、すべてが表現者と言っても過言ではない。
だから個人でもデザインは可能。

クリエイティブな活動のどちらも手を抜かずに高いクオリティを発揮している人は
そのパワー、生き方がすごいと思うが、
そういう類の人はやはりそれなりの積み重ね、バックボーンがあって
多くの人は中途半端になってしまいがちだ。

メッセージ性とデザインされたモノ、コトとしての違いは大きいと私は考えている。

企業の実際の現場で起きている話は公表されていること以外、
ここでは書かないけど
切った貼ったのプロセスそのものがまさに醍醐味な訳です。

どこにおいても 私情も含めた様々な事情や関係や
制約条件、発生する問題を乗り越えられず
あるべき姿が潰れたり、方向を変えてしまうことも多々あるなかで
しっかり完遂して世に出て行くプロセスを経たものには力がある。

そのチカラをつける試行錯誤のパワーは個人であろうと
企業に属して行こうが必要なのであるが、
そのプロセスを間近で見る(学んで気づく)ことできたり、
まさに一緒に加わったり、責任の大小あろうと自身がリードしたり
という様々なケースを多く体験し、世の中に出て行く影響の大きさを実感できることが
企業に属していることの醍醐味といえる。

ただし、責任感や影響力に対し 鈍感になってしまいがちな 緊迫感に欠けることが
あるのが懸念かもしれない。

その醍醐味をさらに自分のものにしていくキーワードは 目利き 予測 説得 ということなのだろう。

気づき、先読みし、配慮する
まさに独創力、発想力の原点だと思う。

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2009年7月 1日 (水)

つもり

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コミュニケーション不足 というコトバでは片付けられないことがよく起こる。
指示した「つもり」 教えた「つもり」 わかった「つもり」 十分に検討した「つもり」 ちゃんと見直した「つもり」 つもりつもって 結局 ものすごく遠回りをしたり、時間がかかったり。

それがお互いの教訓になれば、次には「つもり」が少しは減って質が上がるはず。しかし、徒労感が負のスパイラルに陥ることもある。

ただ、ベクトルの向いている方向が違うとか、「こだわる」度合い差の「つもり」とは違う、単に「そうではないが、そうなっているような気持ち」という意味。

仮説やゴールをイメージする範囲が狭い、力が弱いということは、経験や引き出しが少ないということに行き着いたりする。そうすうると、引き出しをたくさん作れるようにアドバイスした、またはされた「つもり」でも、好奇心、関心がないとか、そもそも自分の価値観が狭いという自覚がなくてリフレーミングもできない。そもそも知らないことを知って面白いとか、よかったと思う習慣がないのか、そういうことが次のモチベーションに繋がりにくい、ということにこちらが気づいたりする。

それまでの環境が影響するのだろうが、社会生活のなかでも成長とかやりがいとかは自分で作って行くものではなく、偶発的だったり与えられるものだという感覚だということが解ってくる。
ある意味とても受動的、保守的なのだが、自己責任の回避ということもいえると思う。
そうだとわかると、こちらも地道にいろんな場面を経験できるように工夫したり、いろんなタイプの人に接する機会をつくったりと、気づきの引き出しを増やしたりといろいろ試みてみる。わかりやすい達成感が「つもり」を減らして責任感に繋がることに気がついたりできるようになるまでお互いが忍耐を覚える。

 

一方で、大してコミュニケーションということを意識しなくても、「つもり」が如何に結果的に生産性が低いということを経験していて、自身の知的好奇心が許容できない人種は、常に「なぜ」を「知りたい」という欲求でどんどん本質に迫っていける。
そういう人間同士の創造的活動を面白がる人達との時間は充実していて楽しいし、互いに成長できる空間を共有している感覚に、信頼関係が生まれうし、時の経つスピード感が心地よい。

この違いはどこで育まれるのだろう。

この両面を体験するからこそ、自分自身の立ち位置を考えたり、時間の大切さを感じられるのも確かなことなのである。

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