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2009年7月20日 (月)

五感で楽しむ

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午前中、近所の公園の池のほとりでちょっと自転車を降りて佇む。
10分程じっとしていると、次々とトンボが低空飛行してくる。
大きくて鮮やかなギンヤンマ、背中が白いシオカラトンボ、まだ初夏なのに赤いトンボもいる。ナツアカネかな。

今日は曇り空で日射しがないので、水面を渡ってくる風が心地よい。水に触れなくても水温を感じることができる。蓮の花と水の匂いが混じり合う。

虫取り網と虫取り籠を持った子供達が遠くで時折歓声をあげながらちょこちょこ走り回っている。

蝉のなき声もニイニイゼミとアブラゼミは聞き分けられる。

姿は見えなくともヒヨドリ、ムクドリ、シジュウカラ、ハクセキレイの声も聴こえる。お〜、まだ婚活中なのか 随分とお上手なホトトギスのラブソングも響き渡る。

目を閉じればそうえいばトンボをはじめ様々な虫の羽音も聴こえて、飛び交う方向も感じられるようだ。

するめを割り箸の先にぶら下げている子供が遊んでいるところに行ってみる。

クレソンが密生している水辺にシオヤトンボがじっとしている。しばらくするともう一匹がよってきた。トンボも恋の季節だ。さきほどのギンヤンマが低空でせせらぎ沿いに滑空して何度も通り過ぎて行く。トンボ道のようだ。

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ふと下を見ると、小さなザリガニと目が合ってしまった。

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自宅から数分、毎日通勤で通る道沿いにある公園では、こんな自然の豊かな営みがある。身近な自然に触れるだけで、好奇心が五感を刺激して楽しむことができる。

都会では真っ暗な暗闇で五感を磨くエンターテイメント体験というイベントがある。そのアイデアの実現と視覚障がい者の社会参加の機会という意味合いは大きいと思うのだが、私は相互理解の入り口ということの意味に90分8000円の料金とアテンドは違和感を感じざるを得ない。そういう場を設定しないと 五感をあらためて認識できないとか、人と人との相互関係のバリアーを考え直せない社会なのか、と。あえて私の問題意識と課題はここで詳しく述べないが。

社会というのは人と人の関係だ。人とモノ関係、人と環境の関係、そのインタフェースとしての感覚。障がいというコトバを社会との関係性で捉えて活動をしている方々にも、きちんと背景や問題とその深さを重く認識している人と、表層的な手段を提供することで理解したつもりの人がいて錯綜しているように思う。

そういうことを包括的に考えて、感覚という人のインターフェースの意味を捉えてみると、その磨き方の基本はやはり自然との対話から育まれる心の豊かさがじゃないかと。

そうそう ヴァンクライバーンピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんのクロッピングされたような報道にも違和感を覚えていたのだが、彼が出演した「題名のない音楽会」を見て、ラフマニノフの2番もよかったが、J・マスト作曲の「インプロヴィゼーションとフーガ」の演奏を聴けたことが何よりの収穫だった。この報道に接し、ピアニストにとって「目が見えない」ハンディややこのコンクールの性格の背景をどこまで理解しようとした人がいただろうか。音楽は演奏技術だけでなく、作曲家の精神性まで読み解いて、さらにそれを自分の内面性にまで昇華して創造的に発露する表現手段だ。このコンクールのために書かれた新曲をここまで自分のものにして演奏できる実力こそが、まさに限られながらも研ぎ澄まされたインターフェースと本人の感性の賜物だ。お祭り騒ぎでなく、一人の音楽家としての成長を楽しみに見守ってゆきたいのだ。

 

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