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2009年8月25日 (火)

手段の目的化

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手段を目的化してしまうことは、よく陥り易い。

現政権の首相も「政権交代は手段であって目的ではありませんから、 政権交代されたら何をされるかはっきりしていただかないといけないという感じがいたします。 政権交代だけでは、何の目的かわからないんだと思っています」という発言を5月頃から繰り返している。

そう言われちゃうと、このエントリー書きやすいような書きにくいような・・。

日常の家事でも、掃除することや、料理することを目的化しちゃって、心身ともに健康に暮らすことが目的だったはずなのに、手段の達成に凝りすぎたり、時間がかかりすぎて疲れちゃったり。
勉強もテストや授業、宿題をやることが目的化しちゃうと、その後の振り返りを忘れちゃって結局身に付かなかったり、ジブンがやりたいこがなんだったかわからくなったり。
サークルでおそろいのトレーナーを作ったことで一体感が醸成された気分になって満足しちゃうのも似たようなことかな。
社会に出ても、会議をすることやそのための書類を作ったり、わかりやすいプレゼンをすることが目的化してしまったり、上の承認をとることにものすごく力を入れてしまうヒトもよくみかける。周囲から共感されるかどうかは別として処世術として達者なことも必要であるけど。

Howの作り込みにたくさん時間をかけた末、それで目的を達成してしまったような気になってしまって、本来の目的はこうなんじゃない、だからこれからがスタートなんじゃない、とうことを指摘されることもよくあるこ。自分自身も含めて。

手段は目的のためのプロセスであって、それを精緻に一生懸命につくりこんでも、よく頑張ったねと労はねぎらってくれるが、共感は得られないのだ。

本来は手段を継続することで起こる事実をきちんと観察しながら、その後の変化に対応しながら取り組みの質的な向上を目指すことが目的なんだけど。

目標を作るということは実はとても難しいと思う。さらにその目標に向かって進めと判断することも大変だ。責任が生じるから。責任を負うということは、集団ではリーダーだ。集団ではなく、自分のことなら自分の中でも責任を負うしかないのである。

手段の目的化は、目標をつくれない、責任を負いたくないという意識や、目標のための達成方法もどうしたらいいかわからない時に起こりやすい。目標を達成するための手段やツールとその使い方を教えてもらえれば、まずは「やること」ができるので、それを使いこなしてみる、というこが多いから。

目標に対して文句をつけることはカンタンなので、不平をいいながらも手段に取り組むことで実績や成果を出し、目標が達成できなくてもそれは自分のせいではなく、手段のせいにできるから。

まあ大抵の場合、最初はそうなんだけれど、そこから何のために使ってるんだっけ?とか、これを使えば自分のやりたかったことが出来そうだ、とか気がつくと、小さいけれどそこから新たな目標が生まれる。これを意識的に、または習慣的にできる人もいれば、考えたくない人がいるのも確かのようだ。

最近の新聞記事で興味深かった事例。紙の辞書と電子辞書。
「本当の学ぶ力をつけるには、探している言葉以外の単語まで自然と目に入り、前後や関係する多くの語義や用例、慣用句に触れられる紙の辞書の方が知識が広がっていい。」と年齢が高い人は経験的にモノを言う。すぐに目的の語の意味が合理的に見つけられる電子辞書の便利さを体験したらもう紙に戻れない。
しかし、あくまで辞書は道具。多読で量を読むときは電子辞書がいいし。精読してじっくり意味を噛み締めて行きたいときは紙がいいかも。

身近で起こった出来事で考え込んでしまったこともある。ある言葉の意味を定義しようという場面になった時、一人がインターネットで辞書を引いた。そこにはその直接的なその言葉の項目がなかったので、彼は「辞書に出ていないから、この言葉は世の中にないんじゃないですか」と発言した。
辞書にはなくても、ある事柄を構成する要素として名詞を形容詞化することで抽象化した言葉という理解に及ばないのである。数十年前から業界ではあたり前に使われているので疑うこともしなかった私には衝撃的だった。自分が知らない知識をネットや辞書で調べて、「そのもの」がないと、その現象で事実を判断したり、結論をだしちゃったりする人が目の前にもいることにあらためて気づいた。

今時の学生ならともかく、同世代でもこうなのだから、年齢の問題ではなさそうだ。モノゴトの課題整理が上手い、手段を使いこなすことができるということと、知識経験に裏付けられた深い考察から仮説や目標を設定したり、方向を指し示したり、本質を表現したりすることできるということは別なのだ。

Whatを自ら導きだせないから、Howを目的化してWhatにたどり着けると勘違いしてしまう。

まさに政権交代は手段であって目的ではない、と当たり前のことを突かれてしまう。突いた方の本質は別として。

常に手段を目的化してしまっていないか、本質は何かを考える、振り返ることが大事です。

デザインは未来の未然の可能性を指し示すことができるはずなのだから。

自戒をこめて。

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