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2009年8月 6日 (木)

平和

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「超党派」とは「国会や地方議会の議員が、政党の枠組みを超えて協力しあうこと」の意味で使われる。政治の政党を超えるコトを指す。滅多にないことですが。
8月6日を迎えると、こうあってほしいといつも思う。
8時からNHKの生中継を37分間見た。今年の広島市長の平和宣言は「オバマ大統領のプラハでの演説」を契機に、ようやく核兵器廃絶へと動き出そうとしている米国の核政策転換を支持し、「オバマジョリティー」をアピールしていた。それにしても唯一の被爆国である日本の官僚主導と現政権の姿勢は情けない。

さて、上の画像はいずれの宗派にも属さない日本で唯一の「超宗派」寺院だ。
名古屋市の東の丘の上にある、日泰寺である。
この日泰寺は、19宗派の管長が輪番制の3年交代で住職を務めているという極めて特異な寺院である。
なぜなら、仏教徒にとって最も価値のある「真の釈迦の遺骨(仏舎利)」を奉安しているからだ。
「真の釈迦の遺骨」って?と思うが、1898年、ネパール国境に近いインド北部でウィリアム・ペッペというイギリス人が人骨の納められた古い壷を発見した。そこに刻まれていた古代文字の解読により、その人骨が仏舎利であることが判明したという。
寺の名前の由来は1900年にシャム(現在のタイ)国王から贈られた仏舎利を奉安するために創建されたので、「日本とタイの寺院」という意味で日泰寺となったそうだ。
この丘のあたりの地名を覚王山という。覚王山とは「覚りの王」=「釈迦」のことだそうです。

実は私が生まれて3歳くらいまで暮らしていたのは父の実家のあったこの近く。
生まれてこの方、その存在は知っていたのだが、帰省した折に初めてちょっと立ち寄ってみました。

次女が夏休みの宿題で、「戦争体験者に話を聴く」というのがあり、私の父にインタビューとヒアリングをするというのも帰省の目的のひとつ。
この宿題、現在の中学生ではすでに祖父母も戦後世代、せいぜい疎開経験者というヒトも多くなり、実体験の話を聴くことも年々難しくなってきているのだそうだ。

超○○とは、本来目標や方向性の異なる集団の違う者同士が、ある共通の目標を達成する為にその集団を超えて協力し合うということ。超党派、超宗派ですら難しいのに、平和実現するために超国家、超民族で考えるということは理想主義のなにものでもないと思い込みがちだが、出来ていることも出来ることもあるのです。
高校生の頃、大江健三郎の「ヒロシマノート」を読んで友人達と青い議論した時期や、デザインで平和に貢献できることを何かやろうと毎週末同級生のデザイン事務所に仲間と集まっていた20代の頃の方が本当に何か出来そうな気がしていた。その意味の凄さと大切さを擦れてしまった今頃の歳になってやっとようやく少し解ったような気になるのです。

「平和」を実現するとか、「平和」を守る、という行動は、「理念」とか「問題意識」とか日頃考えたり議論しているレベルを遥かに超越していると思う。結局は時代の変化の中で「平和」という状態をどう築いていくか、それへの一人一人の対応、行動が根底だったりする。「平和」あってこその日常なのだから。

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