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2009年8月 7日 (金)

博物館 明治村

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今週一週間は夏休みである。
実家のある名古屋へ二泊三日の帰省の折、長年の懸案であった「博物館明治村」を訪ねた。

明治村というのは、各地の壊され消えゆく運命にあった明治時代の建築物を移築し、展示保存することで当時の歴史や文化を今日に伝えようとする屋外展示体験型博物館である。

私自身はたしか開村後すぐ、小学生の頃に一度訪ねて以来だから実に40年ぶりくらい。
当時はまだ展示建築もそんなに多くなかったと思うのだが、記憶にあるのは動態保存の京都市電(明治43年製)に乗ってたどりついた品川灯台((1870年(明治3年)点灯、現存する洋式灯台では日本最古)と、京都聖ヨハネ教会(1907年(明治40年)築)くらい(いずれも重要文化財)。

明治村の規模は、開村時(1965年(昭和40年))の展示建築が15件だったのが、現在は68件に、敷地面積も二倍近くの100万平方メートルにまで拡大している。村も1丁目から5丁目までの5つの区画に分けられそれぞれの区画に飲食店を新たに配置、その間を村営バスが15分間隔で運行されるなど充実が図られていた。

後述するボランティアガイドの方の話によると、1970年台のピーク時には年間150万人の入村者があったのが、最近は40万人に減ってしまっているそうだ。しかし、減少に歯止めをかけるために、ただ建築物を見せるだけではなく、明治時代の実際の部屋の使われ方を実感できるよう、当時の什器やテーブルウエア、食事の再現したものを置くなどの工夫をはじめたり、平成14年からは平均年齢55歳の70名ほどが参加する「ボランティア ガイド制度」を導入、平成19年以降の子供向けプログラムの充実などで、徐々に入場者も上向きなのだそうだ。

私の今回の目的はフランク・ロイド・ライト設計による「帝国ホテル中央玄関」を堪能することだった。実はこの帝国ホテル「ライト館」のオープンは大正12年9月1日(関東大震災当日)であることはあまりにも有名。だから明治の建築物ではない。しかし、今や明治村の物理的にも最大の建築物にして、世界から人を引き寄せることの出来る最大の呼び物であることは動かしがたい事実だ。

これについては、別のエントリーで詳しく書くことにする。

さて、下の蒸気機関車は新橋ー横浜間を実際に走行していた1874(明治7年)年イギリス製だ。開村当時は(私が初めてここに来た時も)静態保存されていたが、ボイラーを動態保存のため載せ替え(オリジナルのボイラーが鉄橋下に展示してあった)、製造100年を機に1974年から明治村内の東京駅、名古屋駅間約800mを5分程かけて威勢のいい汽笛を鳴らし、黒煙と蒸気を上げながら走っている。片道走り終えると毎回客車から手動で連結を切り離し、さらに手動のターンテーブルで方向転換し、ポイント交換を経て平行線を走り、バックしてまた先頭車両に付け替えるという一連の操車作業が見られる。機関士2名と車掌の見事な連係プレーを次女と二人でほぼ貸し切りで見物してしまった。もったない程贅沢である。動態保存していること事態が素晴らしいのだが、走っている姿を見せたり乗り心地を味わうことだけが目的ではなく、合理性と安全性が追求された現代ではほとんど目撃できないその仕事振りから、鉄道の仕組みや鉄道マンの心意気までを具に感じとるコトが出来るこだわりは凄い。

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鉄ちゃんではないので、話を本題に戻そう。

夏の名古屋は暑い。つい先日梅雨が明けたばかりで、それまでは雨が降り続いていたというが、そんなことは微塵も感じさせない猛暑日だった。木陰はあっても広大な村内を徒歩で移動するだけで、熱中症になってしまいそうだ。また建物そのものに説明は少なく、音声が流れている訳でもない。その分、ボランティアによる参加無料のガイドツアーが充実している。

ということで、2丁目ガイドツアーと帝国ホテルガイドツアーを利用した。

2丁目ガイドツアーで解説をしていただけたのは私とほぼ同年代と思われる女性の方だった。2丁目にある第四高等学校(金沢)物理化学教室の見学コースでは、建物の構造の珍しさだけではなく、第四高等学校の同窓会で意気投合しこの明治村創設に関わった二人のエピソードも聴くことができた。一人は有楽町の帝国劇場、竹橋の東京国立近代美術館を設計した東工大教授の谷口吉郎と、もう一人は名古屋鉄道社長・会長を歴任しパノラマカー、モンキーセンターで有名な土川元夫である。地元民として名鉄の話題は避けて通れない。同行した両親は「名鉄 中興の祖」の話にしばし高度経済成長時代を懐かしんでいた。

ガイドさんは穏やかに、そして見学者の年齢や知識、興味のあることころのペースに合わせて解説してくれるので、とても分かりやすいのである。プロではないが、だからこそ本当に明治村を一緒に楽しみましょうという気持ちが伝わってくる。約30分程で3階建ての木造住宅である東松家(明治34(1901)年頃築)に到着し、建物内のガイドにバトンタッチとなった。

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次に建物内を案内してくれたのは職場体験実習中の中学2年の女子中学生だった。次女と同学年なのになんとしっかりと、また堂々とした案内振りだろう。さらにその説明をよく聞いてみるとこの建物が名古屋市中村区船入町の堀川沿いにあったものだという。そう、私が幼稚園から高校まで過ごした実家のすぐ近くなのだ。今でもこの辺りに四間道といって間口が狭く奥行の深い典型的な町屋形式の古い家屋が所々残る場所なのである。小学生の頃、同級生の友人の家は3階建てじゃあなかったけど、2階建てながらこんな造りだったなあ、と懐かしさ一杯な見学となった。

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ここにも明治村らしいこだわりがある。エジソンが発明した炭素フィラメントの白熱電球の復刻版を使用しているのだ。窓から入る外の光と、当時の電球の灯りだけでその部屋や廊下、階段の明るさを実感してもらうということのようだ。明るさだけでなく、障子や襖、欄間の彫りなどがはっきり浮かび上がって見えてくるし、吹き抜けの高さや、3階の間へ上がった時の開放感なども味わい深い。

ちなみに日本では、明治27(1894)年に国産のカーボン電球が開発されたが、一般の家庭で電灯が広く使われるようになったのは、東芝の前身のひとつ東京電気株式会社がタングステン電球「マツダランプ」を発売した明治44(1911)年、以降からだそうである。

まさに陰翳礼讃の実体験だ、

 

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今回はあまりにも暑かったことと、昭和一桁生まれの両親が一緒だったので、村営バス、京都市電、蒸気機関車といった交通機関をフル活用しつつ、かなり絞って見た。

駐車場すぐ横に北口から入村するとそこは東京駅だ。駅を横目に通路を進めばそこはもう帝国ホテル前なのだ。私のわがままだけでまずは帝国ホテルを見た。

そして一通り巡って、蒸気機関車で東京駅に戻ってくると最後にもう一度帝国ホテルをガイドさんに案内していただきながらもうほとんど貸し切り状態で堪能したのでした。

 

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