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2010年2月14日 (日)

集合住宅にすむということ

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先週の日曜日の午前中は、 自治体が支援する月一回の地元マンション管理組合のネットワークを計るための交流会に参加していた。そして昨夜は自分の住む集合住宅の管理組合のこれも月一回の定例理事会だった。

分譲の集合住宅を購入すると、法律で自動的に所有者は全員で管理組合という組織をつくり、所属することが義務づけられている。戸建ては自己責任だが、集合住宅は共有部分を維持管理しながら、さらに快適な暮らせる環境も含めて資産価値の維持、向上を図るため自主管理の組織を運営せねばならない。それ組織を構成する理事は輪番制だ。住戸数や規模によるが、だいたい10〜30年に一度は経験することになる。しかし、たいていは「面倒だからできれば避けたい」という心理が先行する。なぜなら住民秩序の窓口となったり、休日の多くの時間を費やし、さらにその期間の責任を問われるからだ。

自分のライフスタイルを優先したいし、あまり日常的に他の住民とは関わり合いをもちたくない、という一方で、住民間の意思疎通や交流が活性化されると、マンションに対する愛着が高まったり、いざという時に助け合いたいという効果もそれなりに期待している。まあ身勝手で、必要な時だけ協力はするけど、あては勝手にうまくやってね、というのが心理だ。

私自身、こういう機会でもないと、きちんと知ることもないだろう様々な法律の存在や、そもそもなぜ管理組合が法律で定められているのか、そのよりどころは何か、ということから、自治体と地域、コミュニティのあり方までどんどん知見が増える。一面しか見えていなかったことが、広がりを持ち、仕組みと大きな問題が見えてくることをどこか実は楽しんでいる。

管理対象の主体であるのハードの実情もそうだが、それ以上に住民の年齢層や意識を知ることで驚く事実もたくさんある。入居時には未就学前の子供達が多く、その成長とともに今でも活気あるマンションだと思っていたが、それは妻や子供を通じたコミュニティだけから自分のライフステージに近い住民しか知らなかったという事実。実は様々なライフステージの方々がいて、最近リタイアしたり一人暮らしになった高齢者層がそれなりにいらして、地域に少なからず貢献しながら住民間の繋がりを期待しているという意識も強いということだった。

それは、地域の他の集合住宅の管理組合と交流を持つことで、地域の特性とそれぞれの集合住宅の相対的なハードやソフトの位置づけも見えてくるのだった。デベロッパーのブランド力や信頼感、設備仕様、規模で、購入者がその集合住宅に優先的に何を求めていたのかいう無意識な意識も感じられるのだ。

さらには管理組合が委託している管理会社の考え方や質の違いに大きさ差があることもわかり、愕然とする。世の常識もしらなければ、井の中の蛙だ。

小さな事例だが、我がマンションには、最初からエレベーターの籠内に手すりが付いている。建物内の階段や外部へ通じる階段にも手すりは最初からあるし、スロープもある。最寄りの駅のホームやバス停まで段差なしで行こうと思えばいけるのである。室内の廊下も後で手すりが付けられるよう幅があり、壁内に芯もある。入居してしまえばあたりまえで、気にしていいないのだが、多分購入時はバリアフリー仕様がアピールされていて、若い世代には永住を意識したり親同居の将来は便利だろう、くらいだったと思う。しかしそれをはっきり意識して購入した世代もいたことで 同時期に分譲された集合住宅では比較的年齢層の高い人が選択したというのが事実のようなのだ。

他の集合住宅では、階段、エレベータ内への手すり追加の要望がだされた場合、工事費用のみならず、家具の搬入出への支障、子供のよじ上りによる落下の懸念、事故発生時の責任など、様々な課題が表面化していることを知り、バリアフリーに関しては先見の明があったのだと敢えて気づかされるのである。

一方で、植栽の維持管理については最低限の効率優先でいかに無頓着であったかは、植物の成長や枯死への対応を業者一任で住民としての関与や意識がいささか低く、経年で視覚的にもその環境に著しい差がでてくるのでわかりやすい。実は植栽は相手が生物だったり天候といった自然であるので手間や経費がかかるものであり、だからこそ委託業者とその管理もふくめて慎重になるべきだったのだ。(大きな支障になるまでではなく、それなりではあるが。。当初のもくろみの外観が維持できていないところがある)

そうそう、他のマンションのお話で興味深かったのは、停電や給水ポンプ故障における経験から、災害時も含めて長時間断水時の今後の最大の課題は、飲料水確保よりトイレ用水の確保だという教訓。一つの備えとして、お風呂に常時水をためておくことがポイントだということはあまり周知されていない。多分、直結の給水管も役に立たないタワー マンションではトイレ用水が致命的になりそうだ。衛生的な環境になれてしまっているからこそ、その問題は過剰になるという現代社会、都会での典型的事例。

コミュニティが活発とはとても言えない状況の中で、共有化されていればいい循環がおこるだろうということや、停電、断水といった一時的なインフラの障害、災害といった事態で 大きな混乱を招かずにどこまで臨機応変な対応ができるのか、ということを意識しはじめた。雪が積もっただけでも 問題意識のある理事経験者だけでは雪かきは大変だもんね。

先日のNHKスペシャルで放映された「無縁社会」という、これからの日本の姿を凝縮したような事実は、もう身近に迫ってきてるとも思うのだ。いつそれがこの地域や自身の住む集合住宅でも起こりえるとも限らない。

ということで、できることは小さなことから、地域のコミュニティを意識した行動をしていこうと気づき始めた今日この頃である。

基本の基本は挨拶ですけどね。

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