ひとりフィールドサーヴェイ
鬱蒼とした庭木。キンモクセイの香りとオレンジ色に染まった小路。
ここは東京のどまんなか。麹町学園とポルトガル大使館の間にある路地裏には未だ木造の家が数軒残っていた。
第6回情報デザインフォーラムの飲み会の席のご縁で急遽日程と場所が決まったインフォメーショングラフィックスワークショップ3。11月20日の開催に向けて一人フィールドサーヴェイをしてみた。
秋晴れでちょっと暑いくらいの体育の日。半蔵門駅からまずは四番町歴史民族資料館を訪ね、東郷平八郎公園あたりをうろうろしたあと、麹町大通りをジグザグに四谷まで歩いた。
江戸の街は、徳川家康が領地替えで三河岡崎から国府路を下って荒涼とした葦原に入府した1590年8月1日に始る。まさに北の守りとした麹町台地が日本橋付近とともに江戸の街作り発祥の地なのであった。
今の麹町大通りは台地の尾根にあたり、両側の谷に降りるため坂が多いことで、それが実感できる。
武家屋敷が配置され、地方からの文化がここに流入し、甲州街道の両脇にそれらを相手にした商売人が賑わいを見せた商業と文化と政治の一大中心地だったようだ。
それが明治維新で武家が一気に難民となり、広大な土地を抱えた屋敷は富裕層、文化人などの住宅地としてどんどん持ち主が代り、今の東京の姿へと移り変わっていったようだ。
ここ数年で高度土地利用を目的とした新築の高層ビルが林立するようになり、大きく姿を変えている。
そんな変貌振りの中で家康とともに江戸入りし、4百数十年の歴史をひっそり見つめていたお寺が現存する。墓地もあって、ここが東京の都心かと見紛う。
犬山藩主の屋敷跡に藤田嗣治が疎開前の新婚時代を過ごしたアトリエがあったとか、築地の居留地や横浜に留まらされていたキリスト教系、大使館が主のいなくなった屋敷跡の土地を手に入れてこの地に移ってきたとか。女子校密度日本一の理由もなんとなくその当りらしい。ベルギー大使館の前には表千家が今でもあり、オリコ本社ビルの場所には裏千家があったそうで、だからこの辺、京都から一緒にでてきた和菓子屋さんも多かったのだとか。そういった経緯、そしてそこから今の時代を生きぬく姿をその痕跡から読み取る時空旅行の楽しさ。
明後日のスタッフミーティングのネタをたっぷり仕入れた半日。
すっかり日焼けした爽やかな休日だった。
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