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2011年3月31日 (木)

明日から

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今日はやっと春らしい暖かさ。

通勤電車の混み具合も幾分か和らいだ気がするのは、着膨れから開放された製なのかもしれない。勤め先の横にあるお寺の見事な枝垂れ桜も蕾がポンとほころんで、淡いピンクに染まり始めた。

明日から新年度が始る。

ちょうど2年前、2009年3月30日のこのブログのエントリー「対義語で考える」

「プロフェッショナル」の対義語は「アマチュア」だ。
日本語なら「玄人」と「素人」。
その違いをどう認識しているか。
プロとはそれを生業にしている人、と応える人がよくいるが、本当にそうなのかという投げかけ。媚びて、金銭を得ているだけならプロと言えないのではと。

私の中での「プロ」は、「どんな条件下にあっても、その専門力を発揮して、期待以上の成果を残せる人」という定義をしていた。

「くろうと」と「しろうと」は、まさにその音の通り、「黒人」「白人」が語源で、
「玄人(くろうと)」は、「暗いところまで見える人」という意味なのだそうだ。
「暗いところまで見える人」というのは、ユーザーやお客様の本当の気持ち、データだけから見えない事実といった、本質まで見極められる人のことを指すと考えた。

だから「素人(しろうと)」は「明るい、見えているところだけ」で判断、行動している人ということになる。

なるほど、という納得感がある。

一昨日に会ったある方とこの話をしていたら、
「「本質」の対義語は「現象」なんですよ。よく「本質」を見ろ、考えろというので、若い頃はそう簡単に本質なんてわかるか!ってうさんくさく思ってたんですけど、ある時、対義語が「現象」だと知って、なんだかその意味が解った様な気がしました。」と言われた。

この話も興味深い。

一昨日のエントリーに書いた増井さんの話、そして増井さんのコラムにある ユーザー中心設計の考え方、デザインのあり方などが解りやすく整理できると思った。

デザインのプロであれば、現象を通して本質まで考え、再びデザインという可視化された現象を通じて、ユーザーに経験したことの無い昇華された価値を見せる。そして十分な意見交換をすることで人々が幸せになる世界を作り上げていく。

「本質」と「現象」、「玄人」と「素人」の行ったり来たりの実現だ。

それができる「玄人」の一つがデザイナーという職能だろう。言葉にならないユーザーの思いから、研究者、技術者、商品企画者、経営者に至るまで、多 くの人の曖昧な意見をファシリテートして、具体的なイメージとして提示することが出来るスキルを持っているのだ。それがナレッジを促進し、集合知から新た な価値や発想を生む。

今ほど複雑で多様な社会では、相互依存性が極めて大事である。

だから、いかに基本を身につけ、現実をきちんと見つめることができるかという 能力を個々が持った上で、各分野の専門性を相互理解するための幅広い「教養」を身につけていけるかがポイントになる。この「教養」というのが「倫理観」や 「グローバル」という意味も含めて一番大変なんだと思うけど。

人と人との協調行動=信頼関係とも言える水平的人間関係を高めていくことで社会の効率性を高めていくという「ソーシャルキャピタル」の考え方とも通じることがやっと頭の中で整理できてきた。

あれから2年。
私はそれを実行して来たのであろうか。成果を出してきたのであろうか。
「ソーシャルキャピタル」を本当にわかっていたのか。

明日から、”「本質」と「現象」、「玄人」と「素人」の行ったり来たりの実現”をしながら、「どんな条件下にあっても、その専門力を発揮して、期待以上の成果を残せる人」として試されるのだろう。

不安を希望に繋いで、期待に応えていく。

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2011年3月30日 (水)

岡本太郎アートピースコレクション

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国立近代美術館前に並ぶガチャガチャからの戦利品。

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海洋堂製です。
初日には1時間待ちだったとか。
お一人様5回までです。1回400円。

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2011年3月29日 (火)

スタバの変化

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通勤電車のピークシフトでちょっと早めに出勤している。
晴れていて、今日は机に向かう仕事が多いというので途中のスタバによってみた。
16日頃からからロゴマークが新しいタイプに変更になっていると話題にはなっていたが、初めて手にした。スリーブはまだのようだ。

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今週からは在庫がはけたのか、スリーブもリニューアル。
そういえば、3月4日には2年前に交代したばかりのスターバックスジャパンの社長が突然辞任し、創業時の社長が代行したというニュースがあった。
昨年あたりからスタバの味は味の素と提携してスーパーやコンビニでも買えるようになったし、ANAの機内でも入れたてを提供するようになった。
上期は最高益を更新するほど好調な積極的な攻めの姿勢を感じていたのだが、何があったのだろう。

マークからコーヒーも文字が無くしたアメリカ本社の方針と、日本のコーヒーを楽しむ、コーヒーにこだわる路線に変化があるのだろうか。
いずれにせよ、その後の環境変化は厳しいので、6月の株主総会が注目される。

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2011年3月28日 (月)

梅と桜のあいだ

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先週から、朝の通勤時に近所の公園では春告げ鳥のなき声が響き始めた。
まだまだ体内時計のスイッチが入ったばかりで「ホ〜ホケキョ(縄張りですよ〜)の鳴き方が稚拙です。
これから毎朝、上達していく様が楽しみ。
日曜日はハクモクレンが満開になった。

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こぶしもふさふさとした暖かそうな蕾から大きな純白の花弁がこぼれ出す。(葉っぱがついていて、あちこち向いて咲くからこぶし。)
まだちょっと吹く風は冷たいが、日射しは確実に春だ。
昼間の光はありがたい。

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桜ももう少し、来週末が見頃ですかね。
ただし,来週末の地元の桜まつりは中止。警察や消防の方々が支援で現地に派遣されていて余裕がないからというのも理由のひとつとのこと。お祭りのために集まった協賛金は義援金として全額寄付される。

このブログに毎年恒例で登場する「春の風物詩」。知多半島の親戚から送っていただく「小女子の釘煮」も今年は地震の影響に寄る物流が不安なためおあずけだ。

街に中はガソリンスタンドはもう行列もなく普通に買えるし、スーパーも納豆とヨーグルトが品薄で手に入りにくいくらい。
ホームセンターは駐車場への入場待ち大行列。ちょっと落ち着いてきた。

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2011年3月27日 (日)

こころのゆとり

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先週の日曜日は、中学校の卒業式や関連のイベントが全て中止となり、ずっと家にこもっていた次女を誘って一緒に東京都庭園美術館と京橋のギャラリーを訪ねた。
これ行ってみる?と誘ったらタイポグラフィー展興味があるというので。
私は生誕100年岡本太郎展に興味があったのだが、次女はちょっと怖いというし、、そもそも国立近代美術館は22日まで休館になっていた。
京橋のギャラリーでは、次女が小学校の2年生から5年生まで通っていた横浜画塾の塾長、笠井さんの個展が開かれていたので。

自宅のあるニュータウンでは車が家族連れの足としての役割が大きい。が、ガソリンが手に入りにくいとあって、街の道路の交通量は激減していた。かわりに地下鉄は家族連れや買い出しで大きな手荷物を持った人、これから首都圏を出るのか大きな鞄を持った人でかなりの混雑だった。

目黒の東京都庭園美術館の「20世紀のポスター[タイポグラフィ] —デザインのちから・文字のちから—」展もそれなりの観覧者。多分 こういう状況でなければ大混雑だったのかもしれないので、ゆっくりは見ることができた。今日27日が最終日でした。

110点に及ぶポスターが、時代別に4部構成となって展示されていた。

タイポグラフィーの歴史を実物のポスターを見ながら俯瞰できるまたとない機会。

幾何学図形を主なモチーフとしたアール・デコ様式の贅を尽くした旧朝香宮を会場として、直線的な文字の力で表現するタイポグラフィをテーマにしたポスターが整然と展示されている演出も粋だ。

第1部:読む文字から見る文字へ:タイポグラフィの革新(1900ー30年代)
第2部:タイポグラフィの国際化:モダンデザインの展開と商業広告の拡大(1940ー50年代)
第3部:躍動する文字と図像:大衆社会とタイポグラフィの連結(1960ー70年代)
第4部:電子時代のタイポグラフィ:ポストモダンとDTP革命(1980ー90年代)

マックス・ビル、マックス・フーバー、オルト・アイヒャー、アラン・フレッチャー、日本人も亀倉雄策、原弘のあまりにも有名なポスターから1980年代には佐藤晃一、五十嵐威暢、長友啓典+黒田征太郎、福田繁雄などなどリアルに接したことのある名作まで国内外の有名どころが勢揃いだった。

観覧中、一斉に携帯電話の緊急地震速報が狭い室内に鳴り響くと、さすがにちょっと一瞬ザワッとしてビビったが。

お庭では、本を広げる人、ひなたぼっこする人などゆっくりとした時間を過ごそうという人がそれなりにいて、こういう心のゆとりが今こそ大事だなと思えた。

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ちょっと小腹がすいたので併設のカフェに入ってみた。
テラスがあり、大きなガラス面から入る光で店内は明るいので節電で照明を落としていてもまったく問題ない。その店内は満席でおしゃべりで賑やか。が、見渡してみると、男性は私一人だ。こういうときは女性の方がどっしりと構えてたくましいのだろうか。
テラス席にはカップルが多く、そこには男性がそこそこいるのだが、なぜかテラス席はビールを飲んでいる人が多い。う〜ん、皆さん上手な時間の過ごし方をしているんですね。

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この後、京橋のギャラリーびーたに移動。
さすがにオフィス街、京橋がガラガラ、というか一本はいると歩いている人がだれもいない。こういうと時に決断して個展を開催しているのだから、やはりぜひ行ってあげたい。
次女は4年振りに画塾の先生にご対面。小学校の時、毎週土曜日の午前中とても楽しみにして通っていた。ここで自分の思いを表現する楽しさを教えてもらったのだとおもう。おかげで横浜市の山下公園写生大会で画面一杯に氷川丸を描いて入賞できたのだから。
今回の個展は「透明水彩 シンプル・レッスン -水の力を生かして描く」という本の出版記念でもある。1階は、笠井さんお得意の逆光の風景が多数。光と影の心象を柔らかい水彩で描かれた独特の優しい世界感だ。地下のギャラリーにはレッスン本のために描かれたサンプルが展示してあった。笠井さんの芸大時代の同級生で近くに事務所のあるグラフィックデザイナー佐藤卓さんがふらりと訪ねてきて、「地下が面白い」っていってくれたそうです。羨ましい関係だ。

タイポグラフィーのポスターと水彩画。
抽象と具象 印刷と一品 デザインとアート。
こういうときに2人で外出した次女は何を感じ取っただろうか。

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2011年3月26日 (土)

Spring will come.

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24日の夜は横浜でも雪が舞うほど寒かった。電力需要が心配になる。
そして今度は水の買い占め。不安が広がるから。
自宅のある横浜市営地下鉄最寄り駅は毎朝7時30分頃に通勤のピークを迎えると入場規制を実施している。土日ダイヤで運行本数が少ないため、満員になってしまうと途中駅の乗客を乗せることができなく、乗客がホームに溢れて危険、乗降が滞ってダイヤ乱れてしまうのを防止するため。これまでとは異なり、全ての車両が毎日満員で窮屈だが、皆承知していてピークシフトしたり、改札前に整然と並んでスムーズだ。我慢が当たり前という雰囲気。
が,その我慢もいつまで続くのかという不安も抱えている。
来週末には新年度、新学期が始まる。毎年4月は初々しい通勤通学客が加わって、混雑度が増し、毎日のように遅れが発生するのが常だ。
朝夕7時~8時のピークは,今の対応でもどの鉄道も多分限界になって、利用者も事業者も更なる工夫が必要になるだろう。
首都圏もこれまでとは違う働き方、学び方、暮らし方に移行せざるを得ないだろうなあ。

ガソリンは今すぐ入れなくても、カップラーメンやパンもすぐに落ち着くからと日常生活普通にリアルに過ごしたいと思えるのだが、今まだ日々何とか継続してる経済活動の慣性力に、とてつもない摩擦力がかかる見えない転換点への不安が日増しに大きくなっている。

だからこそ今はそういう不安を希望に変えることを仕事を通じて実現したい。
夢や理想ではなくて、リアルな目の前のことをきちんと積み重ね、知恵を出しあった先にある希望。
急性期を過ごし、これからは1週間、1ヶ月、3ヶ月、半年 1年という単位で行動を考えていきたい。

Spring will come.

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2011年3月21日 (月)

芸術への影

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17日(木)の午後、首都圏で予測不能な大規模停電の発生が懸念されると政府や東電が声明を出し、一般世帯や企業への一層の節電、鉄道各社の運行本数削減要請が出た。それに伴い、鉄道の運行本数削減実施や一部運行休止の情報が飛び交い、企業によっては仕事にけりがついた人から速やかに帰宅してくださいと指示が出たため、18時頃には帰宅者の殺到した主要ターミナル駅周辺はホームへの入場規制の影響で近寄ることも難しい機能不全に陥った。

「想定外」の原発事故、被災した東電の発電設備は復旧の見通しが立たぬ中での需給逼迫と寒波の影響でもあり、「計画停電」ですら「あらかじめ」回避できぬ事態への深刻さは市民の不安を煽った。

地震発生以来、首都圏での各種芸術活動も中止、延期を余儀なくされている。
理由は様々だ。
一方で私はTwitterで16日に知った劇作家・演出家である野田秀樹氏の「劇場の灯りを消してはいけない~この東北関東大震災の事態に上演続行を決定した理由〜 」という実際に劇場でアナウンスされた挨拶文に触れ、いたく考えさせられた。

野田地図「劇場の灯りを消してはいけない」

クラシックのコンサートも、11日の当日は数千人入るホールに100人のお客さんにマラ5を演奏、凄い拍手もらったとか、70人の観客のために定期演奏会が行われ、指揮者が観客に拍手した話とか。ホールに泊まって翌日の演奏会に備えたなどプロオケの団員さんも、聴きにきたお客さんの期待に応えよう、音楽の灯りをともし続けようという話題がTwitterから垣間みえていた。。一方で某国から来日中のオケは母国から軍用機2機が飛来して帰国したとか、確かに川崎や習志野のホールは天井が、池袋も壁が崩落したことで再開の目処すら立たないハードの問題も浮き彫りになってきた。
溜池のSホールは外に出るより中にいた方が安全らしいが、公演そのものが続々中止、延期では灯りを消さざる得ない。。。

そんな話題に触れていたちょうど17日の朝、デザイナーの石黒さんから舞台美術に携わった舞台の公演が16日からスタートしたのでぜひ、という案内メールをいただいたのだ。
2009年に初演された好評を博した舞台のリニューアル上演。さらに画期的だとのこと。
純粋に興味を持ってそれこそ仕事にけりをつけて行こうと思った。
が、夕方には帰宅指示。。。。さらに仕事もけりがつかない。。。
早々に帰路についた同僚からは渋谷駅に近づけない程という連絡が入る。
結局,私が帰路についた20時頃には、青山、渋谷の街は臨時休業、閉店する店も多く、さらに青山通りの街路灯すら間引きされ、歩く人はまばら、走っているのはタクシーばかりというゴーストタウンのように静まり返っていた。電車も夕方の騒然とした雰囲気はどこへとやら,ゆっくり座れて帰れるくらいだった。

翌18日、私は「こういうときだからこそ」「いつでも行けるから、いつか」ではなく、「行けるときに行きたいモノを見ておこうと」と定時に仕事のけりを付けて青山円形劇場に向かった。

TOKYO DANCE TODAY #6 「あらかじめ」
こどもの城 青山円形劇場
3月16日(水)〜21日(月・祝)

作・演出:小野寺修二(カンパニーデラシネラ)
舞台美術:石黒猛
衣裳:堂本教子
テキスト:小里清(フラジャイル)
楽曲提供:近藤良平(コンドルズ)
照明:磯野眞也(アイズ)
音響:田中裕一(サウンドウェッジ)
舞台監督:筒井昭善
宣伝美術:太田博久(golzopocci)
協力:高樹光一郎(ハイウッド) /平岡久美(Dance in Deed!)
制作助手:中山静子
制作:小野晋司(青山円形劇場)

客席は7割くらい入っていて、みんな楽しみにきたいい雰囲気。

そして円形舞台の効果を十分に生かしたマイムとダンスを主体にした不条理劇だった。
演者の身体パフォーマンスが素晴らしい。
そして繊細で丁寧な、オ〜〜こう来たか!、という仕掛け満載に思わず微笑んでしまう石黒ワールドの舞台美術を堪能した。
3つ程離れた隣の席で観劇していた俳優の八嶋智人さんのノリが良くて倍楽しめた。
大きな声で楽しそうに笑う壷が、歌舞伎の間の手のように小気味よくて。
元気とアイデアが充填できた小さな空間と時間だった。

舞台芸術は時間と空間、そして演者と観客のインタラクションによる総合芸術だなあ、とつくづく感じた。大きい,小さい いろいろあるけどライブは楽しい。

今日、最終日の公演もほぼ満席だったようだ。上演を決断したカンパニー、そして楽しんだ観客、いいぞ!

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2011年3月20日 (日)

12日以降

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19日の夜は、地球と月と太陽が一直線に並び、19年振りに地球の最接近する、煌煌と眩しいくらいに明るく大きい満月が浮かんだ。
今回の地震はこの1週間前。この引力の関係がトリガーのひとつだったのかもしれない。

地震の翌日は仕事で早朝から小田原に向かった。1週間研修所に缶詰で頑張った学生さん達のプレゼンテーションを受け止めにいくため。毎年この時期の恒例だ。そしてたくさんの元気をもらえる。

新横浜までは朝動いていた横浜市営地下鉄が線路異常で運転見合わせになってしまったので、横浜線経由で辿り着いた。
横浜線も運転を再開したばかりの上、全踏切が故障で踏切ごとに係員が手動で動かすという状況。電車が踏切手前で毎回一旦停止して安全を確認するという超徐行運転のため、とても時間がかかったが何とか間にあった。

不安の中、頑張った学生の意気に受け止める側も応えようと、続々とマネージャー達も集まる。昨夜7時間をこだま車内で過ごした同僚、昨日の午後、荷物を運ぶために車で向かっていたものの大渋滞にはまって到着が深夜になった人、大宮の事業所で夜を明かして朝5時の再開始初で出発、8時間かけて到着した人。それぞれに発生した時間とその時の状況、それぞれの出来事を話し合うとこともできた。
帰路、東海道新幹線は通常運転でとても助かったが、22時を過ぎようとしているのに最寄り駅から自宅までの徒歩の途中で、ガソリンスタンドには自動車が長蛇の列を作っていた。

13日(日)になって、マンションの管理組合として、管理人さん、副理事長さんの3人で建物の損壊箇所を巡回し目視で再確認した。全体にはタイルの目地に小さな亀裂ができた程度でとても軽微だった。住民に向けて、重要な損壊は全くなく安心してよいこと、電力の需給が逼迫しているのでピークシフトなどの節電を呼びかける掲示を夕方までに終えた。
敷地内を巡回している午前中、ティッシュやトイレットペパーを抱えて帰ってくる住民にであった。???だったが、ふと、ひょっとしたら!?と思い、午後から家族で歩いて近所のスーパーに買い物にでかけて驚愕した。途中、昨夜行列を成していたガソリンスタンドはすでに売り切れ休業になっていたのだ。さらにスーパーではカップラーメンやパン類、ティッシュペーパー,トイレットペーパーは棚が空っぽだった。たまたまトイレットペーパーは、ちょうど倉庫から在庫を出してきたとろに遭遇し、段ボールを開けている横から2つほど買うことができたのは単なる幸運だったようだ。
21時を過ぎて、東京電力が翌日から計画停電を実施すると発表。それを受け、停電すると受水槽から各戸に送水するポンプも停止するため断水になること、そのためにトイレ用水としてバスタブへの水溜を薦める掲示を作成し、施設担当理事と副理事長の3人で23時前に手分けして全掲示板に掲出した。
実は停電によりエレベーターへの閉じ込め、インターフォンや管理人室からの緊急放送が使用できなくなる、駐車場のリモコンゲートの対応など様々な懸念点が浮かび上がってきた。
自治会や管理人室への不安の声や相談から16日(水)には掲示内容を上記懸念点を追加して再作成、「注意しましょう」という内容に見直してはり直した。
が、実際に自宅のある地域では今日に至るまで一度も計画停電は実施されなかった。
もともと13日の夜に発表された地域リストに地名がなく、一体どこのグループに属するのか? 忘れられているのか? とかなり戸惑っていた。

結果的には、配電している変電所が計画停電対象外であることが、東電ではなく隣の自治体のHPから読み取ることができたこと、地元自治体HPの地域別のリストやリストにない地域は停電を実施しないという記載で確認できた。しかし、テレビを中心とした一方的なマスメディアしか情報源のない高齢者世帯を中心に、情報リテラシーに大きな格差があること管理人さんからの話でわかってきた。
ソーシャルメディアに接していると、多様かつ迅速な情報から客観性や確度を上げるスキルを身につけたり、受信と発信によるコミュニケーションから、必要な情報を取捨選択して集めていくのだが、パソコンやケータイを使用しない世代はソーシャルメディアをまったく知らずに新聞やテレビだけに接し、それを疑ったり視点を変えたりすることをせず、鵜呑みにしてしまうようだ。地域の情報に接することもできず不安を募らせてしまうのだ。
管理組合としては自治体HPの毎日更新される情報を集会棟へ掲示することとして管理人さんにお願いした。自治会は集会室をサロンのように開放して交流できる場所の提供で孤立化を防ぎたいと提案してきた。

企業におけるリスクマネージメントと、地域のそれは全く異なる。
集合住宅の気軽さは地域コミュニティとは裏腹なのである。
防災防犯に関しては日頃の住民同士のコミュニケーションが重要だから,ソフト面を担う自治会と協力をしていこうと行動を起こし始めた矢先だった。が、災害は時を待ってくれず、課題だけを目の前に突き付けてきた。

昨夜は震災後、初めてのマンション管理組合の定例理事会があった。
地震発生時に仕事で仙台にいて遭遇、レンタカーを急遽借りて夜な夜な帰還してきた理事さんや、まさに東北へ代理店支援にこれから1週間出張ですと欠席を伝えてきた理事さんも2人いた。薬関係のお仕事の理事さんは東北方面への医薬品の需給確保で帆走していて連日深夜帰宅、一番痛いのは営業者のガソリン確保に2時間もスタンドに並ばなくてはいけないことと困惑していた。

議題の最初は地震後の状況の共有化と課題への対応の提案。冒頭,管理人さんからその時のその状況と、対応状況の報告があった。まず揺れにより受水槽や消化補給水槽のセンサーが満水と検知してブザーが発報したようだ。その後「管理棟から飛び出すと各所から悲鳴と子供の泣き声が飛び交う」「建物を斜めから見る位置で、建物全体がゴムのように、ゆっくりと東から西へ、西へ東へと弓なりに揺れているのを確認」とあまりにリアルだった。

管理会社のフロントマンから他の地域や近隣マンションの状況報告もしてもらった。埋め立て地の液状化によるインフラの損壊、機械式駐車場の歪みは復旧の見込みもなく、日常生活への影響も多大で深刻な事態のようだ。浦安に住む友人も1週間以上自衛隊の給水と仮設トイレが頼りだと聞くし、やはり浦安の娘の一人暮らしの友人は友人宅を転々とする生活を余儀なくされている。築年数を経た建物の傾き、亀裂もそれなりにあるようで、これからの専門家による検証で詳しい状況や課題はさらに明らかになっていくようだ。たまたま高台で地盤が強固、建築的にも問題のない集合住宅に居住しているが、これらは他人事ではなくまさに建て直し決議について管理規約の改正や,団地保険の更新に直結する内容だ。

すでに東北方面から親戚やご両親が避難してきて同居されている方もおり、その自家用車の駐車場確保や様々なできることを提案して実行していくことにした。

ちょうど5月には防災訓練を予定していたのだが、地元消防署の所長さんから、例年とは異なり、今回の体験を活かして今後に備える機会にしてはどうかとの提案を急遽いただいた。住民も1階と最上階ではかなり揺れや家の中の被害状況も違うようで、そういうことや困ったことを共有化しておくことが重要だということにも気づかされた。

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2011年3月19日 (土)

11日の午後

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3月11日から1週間が経った。
友人知人宅に福島や茨城から避難してきた親兄弟が合流し始めている。
マンションの駐車場にもその方面の車が停まり出した。

被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

この1週間の自分のことも記録しておいた方がよいと思った。

3月11日の14時頃、私は六本木のとあるビルの2階にある大きな会議室で約20名とともに研修を受けていた。
天井から吊るされたプロジェクターが、パワーポイントで作成された内容を正面の100インチのスクリーンに映し出していて、それを見ながら研修は進められていた。
ドンと小さな縦揺れが来てゆらゆらとスクリーンに映し出された映像が揺れたかと思うと、部屋全体が微振動に包まれ、地震と気づく。長い時間の小さな震動に地震ですねえ、と参加者同士顔を見合わせていたが、揺れは収まるどころかだんだん激しさを増し、建物全体がこれまでに経験したことのない大きな揺れに包まれた。ギシギシと軋む音を立てながら、プロジェクターが激しくゆれ、ブラインドもぶつかり合う。
一同机の下に潜りながら、一人が尋常ではないと潜りながらもとっさに社内線、ケータイ電話の両方で連絡と取り始めた。そして揺れが収まるとともに彼は部屋を飛び出して職場に戻っていった。
揺れが治まり、これはただ事ではないとまずは休憩に入り、情報を集め出す。
が、ほとんどの人はケータイが繋がらず、最初に情報を得られたのは私のiPhoneで繋がったTwitterからの情報だった。

実は新しく大きな建物、それも2階で天井が高くて広い会議室にいたため何の損傷もなく、会議室以外の人の様子も状況も全く分らず、その後に知る程の未曾有の出来事だとはすぐに分らなかった。
15分の休憩の後、大きな余震が断続的に続き、館内放送は全エレベーターの停止と普及の見込みが立たないことと安全のた留まるようにと告げる。なかなか集中力が続かない中、研修は17時30分まで続けられた。大きなスクリーンと手元のテキストを読んでいるだけで船酔いのように、常にめまいをしている様な状況だった。

研修終了後に、集まっていたメンバーが職場に連絡を試みるが特にdocomoは全く繋がらない。主催者が持っていた社内電話からのゼロ発信が比較的繋がり、各所との連絡がとれ始めると、工場や事業所の被害や対応の様子が明らかになりつつ、交通機関が全て停止し、足止めされてしまったことがわかってきた。
建物の中にいると遠くからサイレンの音が聞こえることと、ブラインドの隙間から見える広場の大型ディスプレイを立ち止まって見入る人がちらほらいる程度で街の様子は全く分らない。
名古屋の支社からこの研修のために出張してきていた女性が、新幹線もストップしてしまった上、東京駅までも辿り着けそうにないということで、研修の主催者が近辺のホテルをあたっていた。が既に予約で一杯、周囲のカラオケまで予約で満杯になり始めているという情報。これでは帰ることももちろん、宿泊もできないんじゃないか、ということで統括する東京のボスに連絡をとってみた。まずはそのボスの職場にたどり着いてから考えようということになったが、そこがどこだか彼女は分らない。そこで自分の職場に戻る私が引率することにした。

外に出てみると、道路は自動車の大渋滞で全く動く気配がない。六本木周辺の歩道は建物の中にいた人達が外に出てきたのかものすごい人出だ。見知らぬ土地で不安な彼女に六本木通りの騒然とした雰囲気は不安を煽るだろうと懸念し、最短コースの裏道を通って西麻布に向かった。が、その裏道も表通りの渋滞に業を煮やした自動車が抜け道としてどんどん入ってくる状態。そして霞町の交差点に辿り着くと、歩道も交差点もこれまでに見たことのないくらいの車と人で溢れて騒然としていた。歩道は徒歩で主要の駅まで辿り着こうという人、早々に徒歩で帰宅を急ぐ人ですれ違うのもやっという程なのだ。

なんとか職場のある西麻布に辿り着くと、1階のロビーやホールが開放されて、帰宅できない人達が集まっていたり、コンビニで食料を調達する人達が出入りしていた。防災センターで15階にある職場に名古屋からの出張社員を送り届けたいのだがと申し出ると、今から15階まで階段で登るのは止めた方がいいと止められた。途方に暮れていたら、ちょうどそこに彼女を知っている女性が通りがかり、自宅が東横線沿線にあって、これから徒歩で帰宅するから一緒に歩いてうちに泊まっていっていいよ、と申し出てくれた。ありがたい。

女性をお願いし、やっと4階にある自分の職場に戻ってみた。同僚達が普段はプレゼン用の大型液晶ディスプレイの前に集まり、不安そうにニュースを見たり、自分の机でインターネットから情報を集めていた。おー、という出迎えの声にやっとホッとする。地震発生直後は、避難指示が出て、一旦裏手にあるお寺の境内に全員で避難したのだそうだ。新築間もない六本木のビルとは違い、築40年近い職場のある建物は相当揺れたらしい。実は私はこの職場の自衛消防隊の副隊長だ。隊長の部門長も出張で不在だったため、避難誘導班担当の若手2人がヘルメットを被らせて無事全員誘導してくれたらしい。頼りになる。職場は特に人的に物的に被害もなく、全員無事で何より。出先のボスから公衆電話を使って全員の安否確認の指令が出ていて、メールなどを駆使して各地の事業所に出張していた同僚全員の安否も確認できていた。本社の会議室にいて、携帯電話しか持っていなかったため連絡がつかなかった私が最後の安否確認者となっていたらしい。面目ない。こういうときにテレホンカードを持っているボスも日頃のリスクマネージメント意識が凄いと思った。。

私も含めた職場全員の安否確認が完了できたことをボスに連絡、そしてボスからさらに上のボスに連絡。あとはは交通機関の回復を待つだけになった。近所のコンビニから食料品が消えつつある中、いろいろカップラーメンやお菓子を買い出してきてくれたり、社員食堂の夕食提供を皆で食べにいったり、大勢で過ごすことで不安を和らげていた気がする。

が、一方で、テレビに映し出される起きた地震の規模、襲った津波の空撮映像を目の当たりにして驚愕した。青山,六本木の歩道から溢れんばかりに歩く人の多さと全く動かない道路の状況も尋常ではないが、これはとんでもないことが起きているのでは、とそこで初めて数字ではない実感を伴った。

私は自宅の妻とも連絡がつき、この日から渋谷のファストフードでアルバイトをはじめたばかりの長女と連絡を取り合って欲しいと指示があった。携帯電話は繋がらないので、携帯電話のeメールで着信を待たずに取りにいく(auの新着メール問合せ)とスムーズにやり取りできることを教えてもらった。おかげで家族全員と随時状況の連絡は確実にできた。長女のアルバイト先も閉店、店長はバイト仲間といつまでいてもいいというが、徒歩での帰宅を考えると3〜4時間はかかるので合流することにした。長女とメールで連絡を取り合いながら途中まで迎えにいき、職場で一緒に過ごすことにしたのだ。ここでも若手の同僚が長女の話相手をしてくれたし、夕食もまだだった娘はカップラーメンにありつけてとても助かった。徒歩での帰宅を考えていはいたが、外は風が冷たく、女性の場合は途中でのトイレの確保も難しいだろうと考え決断に迷っていた。23時を回る頃には既に帰宅をあきらめ、会議室に椅子を並べて寝床を作る者も現れ、徹夜の覚悟をし始めていた。

そこに銀座線再開の知らせ。次々と私鉄運行再開のニュースやTweetが流れ始める。運行を再会した鉄道は終夜運転するとの情報がある一方で、JRは明日まで運行を再開しないとの情報にどこまで帰ることができるか判断が難しい状況だった。が、すぐに再開したメトロに人が集中して混雑で危険なためまた見合わせ報がTweetで流れた。

0時過ぎ、長女と私は田園都市線、東横線、銀座線、グリーンライン再開の情報と東横線はそんなに混んでいないというTweetを得てからしばらくして、まずは表参道に向かった。田園都市線は表参道到着時点で既に満員。銀座線で渋谷に向かい、入場規制していた東横線の改札で少し待たされたが、入ってきた最初の電車にすぐに乗れて、それほどの混雑もなくスムーズに自宅に辿り着くことができた。その間、街を歩く人、コンビニでレジに並ぶ人、どこの駅でも皆我慢強く整然と並び、我先にという殺気立った雰囲気は一切なく、粛々と行動しているのだった。車内は家路に付けるホッとした安堵感すら漂い、柔らかい空気だったのが印象的だった。

帰宅時間は午前1時30分頃。他のメンバーも我々が出てから後に続いて、だいたい2時過ぎには帰宅できたようだ。

後で分ったが、午後に新幹線こだまで小田原に向かっていた同僚の一人は7時間車内で過ごし、目的に地に着いたのは22時過ぎ。17時過ぎに会社を出て帰路についた同僚も、結局は運転再開まで駅の近くで数時間を過ごさざるを得ず、帰宅できたのは同じ様な時間だったということだ。

ここでは実際に起きたこと、取った行動を記録することにした。

その日その時間それぞれの人がどのような状況でどう判断しどう行動したのか。

話をきくごとに全ての人にドラマがある。

実はすべてに教訓を得ることができる。だから後でゆっくりと考えるためにも記録しておいた方が良いと考えた。

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