音楽三昧
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家族揃って健康で新年を迎えられたこと、昨年のお礼と今年も良い年でありますようにと初詣は家族4人揃って明治神宮で参拝しました。
明治神宮のおみくじは、いわゆる吉凶を占うタイプではなく、ひいたくじ棒の番号ごとに明治天皇と皇太后が詠まれた和歌をいただく。それを持ち帰り、日常生活の指針とするのだそう。裏面に和歌の解説があり、さらに最後に括弧で一言でその内容が表してある。家族一同、それぞれになかなか含蓄のある一年の計を味わいました。ちなみに私のは「忍の一字に撤しましょう。」......。 深い。
明治神宮のおみくじを英語ではPOEM DRAWING というんだ、と家族一同うなずく。。
毎年「最高の人出」というテレビや新聞の報道を他人事のように眺めていた明治神宮の初詣だったが、とうとう初体験となった。これまでずっと近所の氏神様でした。
原宿駅前の南参道の鳥居をくぐったのが午前3時5分頃。5分程歩いたところの大鳥居をくぐった少し先に参道一杯に広がる待ち列の最後尾があった。88度(直角じゃないらしい)に参道が曲がるところで5分に1回くらいの間隔で境内に人が溢れない程度の集団に区切られる。その集団が本殿方向に送り出されるたびに徐々に前に進む。区切るテープを持った警備の人達が列を割って入ってくる手際とか、前に進ませる誘導は長年のノウハウがあるようでなかなか見事に整然としている。上の画像の本殿前に辿り着いたのが3時50分頃。お賽銭を後方から投げ込むと危険なので、最前列の人が参拝を終え左右に流れて行く旅に少しずつ前に進むことができて、ちゃんと拝殿前に拝むことができた。その後、長女の就活お守りをいただき、おみくじを引くといきは並ぶことも無くかなり余裕。原宿に戻る途中にある屋台村で具だくさん豚汁と鳥つみれ生姜汁をいただいて温まる。ここも並ばずに買えて、椅子に座れるくらいの程よい混み具合だった。
事前にネットで調べたら、午前0時を境内や拝殿前で待って参拝する人、別の場所でカウントダウンをしてからとか、紅白を見終わってから来場する人が殺到する2時頃までが最初のピークで、鳥居をくぐってから参拝、原宿に戻るまでに2〜3時間かかるけど、その後は始発電車が動き始める前の3時から4時頃が三が日の中では比較的空いている、というのが共通した情報だった。それでゆっくり3時過ぎにきてみたのだが、その通りだった。
風のない夜だったこと、それほど大混雑ということもなくスムーズで、森からの冷気も人混みに遮ら並んでいる間も雲間の月を眺めながらそれほど寒くはなかった。でもこの時間帯の参拝客のほとんどが20代の仲間同士やカップルなど若い人ばかりだったなあ。並んでいる間、隣の集団は流暢な日本語を話すフランス人の留学生と日本の学生さん、後ろも中国人の留学生同士、その他ロシア人など国際色も豊かだった。あの中で家族連れはほとんどいなくて、多分私は最高齢の部類でした。(一組だけ 私たちより少し上の年齢の家族連れいて ちょっと親近感覚えましたけど)
カウントダウン後の渋谷の街は、ちょっと恐怖を感じるくらい若者達の群れと歓声で溢れかえっていて、自由な雰囲気と解放感に家族連れで歩くのはちょっとはばかれる雰囲気だったけど、明治神宮に初詣に来る若者達はちゃんとマナーを守っていて、日本のお正月らしいとても粛々とした気持ちのいい場だった。
渋谷区役所前地下公共駐車場まで歩いて戻り、駐車場を出たのが5時前。6時前には自宅について、温かいリビングから初日の出を家族で拝みました。
実は、2013年は東急文化村オーチャードホールで、東急ジルベスターコンサートのエルガーの行進曲「威風堂々」の演奏が終わった瞬間に迎えました。そう、テレビ東京で生中継されていた番組です。
長女は大学生になってからオーチャードホールのアテンダントのバイトをはじめ、昨年のジルベスターコンサートも裏方としてここで迎えていて、家族3人は自宅でテレビで見ていた。今年も長女がバイトで会場にいるなら、私たちは客席で新年を迎えようじゃないか、と思いそれが実現した訳です。
一般発売は電話が繫がらないまま30分以内で完売というくらいチケットの入手が難しいとのことだったけど、優先販売は予約申し込み後の抽選ということだったので11月締め切り日に申し込んでみた。その結果12月1日に当選通知が。
2012年へのカウントダウンへのボレロは熱演のためアップテンポになってしまって、7秒前に演奏が終了、しばしの無音状態の後、パーン!という状態だったので、今年はハラハラドキドキ。
今回は藤岡幸夫氏の指揮する東フィルのかなりのアップテンポと凄まじい熱演、途中の激しいルバートなどもありながら最後の和音の残響とともに素晴らしいタイミングで新年を迎えることができた。これまでこの番組をずっと茶の間のテレビで見てきたけど、その中でも一二を争う程いい出来じゃなかったのかな。客席は大歓声とともに湧いてスタンディングオベーションで讃えた。
テレビ中継はコンサートの第二部で、その前に1時間弱の第一部の演奏会があった。そこで演奏された 金子三勇士のピアノによるラフマニノフのピアコン2番と吉松隆のサイバーバード協奏曲が素晴らしくよかった。特に須川展也氏のサキソフォンのよるサイバーバードは須川氏のアドリブも炸裂してそのテクニック、音色と共に強烈な印象が残った。次女は初めて生で聴くクラシックの現代曲なのに身を乗り出して面白がっていた。一番の収穫だったかもしれない。
汚いとか人気のなかった昨年の大河ドラマ「平清盛」だが、我が家は1年に渡り全放送を視聴して楽しんできた。ドラマ全体の演出を支えたのは音楽を担当した吉松隆氏の曲であったことも大きいと思うのだが、「カルタス」とともにこの「サイバーバード協奏曲」も使用されていたようだ。だからその響きに違和感なく受け入れられたのかもしれない。
全くの余談だが、吉松氏のブログに「昨今のドラマや映画の世界は、音楽の「総予算」というのが決まっていて、そこからオーケストラにかかる費用やパート譜制作費などが引かれ、最後に残ったのが「作曲料」になる仕組み。なので、大きな編成の曲を書けば書くほど、音符の量を書けば書くほど作曲家の取り分は限りなくゼロに近付いてゆくというチキンゲーム。今回これだけ好き勝手に大量に書いたので、残りはほとんど雀のむにゃむにゃ・・(T_T)」というくだりを見つけ、いやー、大河ドラマの音楽担当になればかなり儲かるのかとおもいきや、大変なんだなあとw
ジルベスターコンサートは21時30分開場で、開場まえから多くの人が待ち列をつくっていて、扉が開くとともにロビーは大混雑。クロークにコートを預けようと並んだ列がちょうど長女が受付をしてるところで、思わずいい笑顔で働いている姿も眺められました。
第1部は22時開演、22時50分頃終了。30分の休憩の間、カフェエリアでは年越し蕎麦なども振る舞われた(400円ですけど)。生中継の始る10分前、23時20分頃になると新人アナによる番組の構成やら観客へのお願いなど前説があった。そして司会の茂木健一郎氏と森本アナによる15秒の生番組宣伝を経て、フロアディレクターの会場に響きわたる5、4、3、2、1のカウントともに23時30分から第二部の演奏会と中継が始った。
観客にはあらかじめ上の画像のような小さなLED灯が配られていて、「星に願い」をの曲の時に指揮者の指示で上手から順番に点灯してください、の説明があった。
帰宅してから元旦の昼間に録画で見てみたら、会場が夜空の様でとても綺麗でした。我が家族の3人分の星もちゃんと確認できました。私はくるくる回していたし、次女は点滅させてたのが効果的に。。
実は録画を見て感じたことがあります。
マイクで拾うを音はとてもバランスよく上手く調整されていて、どの曲も隅々まで綺麗に聴こえるし、奏者の表情や楽器もスコアに沿ってよく見えるのだけれど、会場でのダイナミックな強弱といういうか息づかい、奏者の意気込みみたいなものは伝わらないんだなと。
カウントダウンで演奏された威風堂々、失礼ながらこれが東フィルなのか!? というくらい、奏者全員の圧倒的な熱演と意気込みがあの感動を生んだといっても過言ではない。
弓のスピード、ボーイング、身体の動き、あの会場でしか味わえなかった感激は、あの場にいた人々が共有した替え難いものだったということが、あらためてわかりました。
やはりコンサートは一期一会です。
アンコールも含めて24時45分に終演。クロークでコートを受け取りホールの外に出たのは25時過ぎ。東急本店横のスターバックスでお仕事の終わる長女を待ち、26時過ぎに合流。そこからまだ賑やかさの残る渋谷の街を抜け、浜崎あゆみのカウントダウンライブの余韻が残る代々木第一体育館横を歩いて明治神宮に向かったのでした。
新年を家族で感動とともに迎え、その足で初詣をし、清々しく気持ちのいい元旦でした。
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伊豆高原広のとある別荘地の北側斜面に建つ友人宅からの富士山。
富士山は、このベランダからの眺めだ。写真のちょうど中央の奥に頭だけが覗く。
ここは大学時代の同級生が最近暮らし始めた自宅だ。
大学を卒業後、彼はグラフィックデザイナーとして某メーカーのデザイン部門に就職、その後北米駐在や欧州での仕事をし、ここ数年は日本の本社に勤めていたが、6月末に早期退職し都内からここに引っ越してきた。
たまたま春に仕事で久々に彼と会う機会があり、そこで初めて退職することを知った。
夏を過ぎ、そろそろ落ち着いたかなと連絡を取ってみたら、なんと伊豆に住みはじめた、というのでビックリ。ゆっくり話をしたいから遊びに行くよ、と連絡をしてみたら、せっかくだから泊まっていけば、というお誘いに、それではと、お互いに昔のノリが嬉しい。
紅葉シーズンの混雑が収束し、雪が舞い始める前にと、もう一人に親友と訪ねてみた次第。
そうそう、大学の時は研究室もサークルも違っていながら、3年から卒業研究の頃までほぼ毎日一緒に学食にランチを食べにいっていっていたし、そして社会人になってからも同級生の事務所に月1回仕事の後、酒とつまみを持ち寄って集まり、デザインで世の中に役に立つことは出来ないか、などというディスカッションのような雑談をしていた仲間同士なのだ。20代の頃の話だけどね。
軒にぶら下がる干し柿。彼の東北にある実家の柿の木になる実を全部とってきたんだそうだ。一部は干し柿にしたけど、皮むきの手間が大変と、残りはヘタの先を切って焼酎につけて強制的に甘い柿に変身させていた。
枝は暖炉用の燃料用。この確保の話と加工の道具や話がまた面白かった。
自宅の全景。赤いポストが素敵だ。朝、新聞取りにくるのが大変だなあ,って思ってたら新聞をとっていなかったw.
手前が南側で緩やかな斜面、家の向こうの北側は勾配がある斜面。
中はスキップフロアになっていて、南側に車庫と入り口、右の部屋が奥さんが陶芸をする工房があり、北側へ数段あがった2階が大開口のリビング、リビングの下がお風呂や寝室など。ちょっと説明しにくいけど、土地の勾配、眺望、導線がとてもよく考えられていた。
眺望の良い北側大開口の木造住宅、そして天井が高く暖炉付き、というのはもう私が理想とする住宅の見本のようなものが実際に存在し、そこで生活をしている事実はあまりにも衝撃的だった。そう、憧れのような空間と生活をする友人の勇気というか決断に嫉妬すら感じた。
彼は結果的に海外が長く、日本にいる間は賃貸物件住まい。最近まで都内に住んでいたが、週末にゆっくり過ごせる別荘をと土地探しに3年をかけていたのだそうだ。探しに探してこの土地を気に入り、そして自分で家の設計までやった。さすがデザイナーですな。建築は不動産屋さんに紹介してもらった地元の工務店に頼むことで、設計料や建築費をリーズナブルにするとともに、自分自身の理想の生活を手に入れたという次第。
まだ社会人になって4年目の頃。自分自身が転職したばかりのその年に、親友の大学の同級生とともにニューヨークに旅行する計画をたてた。HISもインターネットもまだ無かった時代、お金はないけど下っ端で責任なんてないから休みは取りやすかったので、クリスマス前に日本を発ち元旦に帰国する、という航空券とホテルだけついた2名から催行という格安のツアーを旅行会社の店頭で見つけた、さらにホテル代を節約することを目的にニューヨーク駐在になったばかりの友人宅に宿泊して、どこかに連れて行ってもらおうと考えた。その友人というのが今回訪ねた彼。
当時、彼は6月に結婚したばかりの新婚さんだった。その初めてのクリスマス、正月にのこのこ日本から独身の男二人が図々しく泊まらせてもらいにいったのだった。
大晦日、男2人でキャッツを見終わった後にブロードウエイまで自家用車で迎えにきてもらうことにしたのだが、有名なカウントダウンのためマンハッタンは道路封鎖の規制がはじまってしまい落合場所のホテルまで車が近づけない事態に陥りながら、携帯電話もない中なんとか奇跡的に遭遇できたり、さらに元旦の朝には新婚の奥さんがフリーズドライから料理してくれたおせちをいただき(後から聞いたら、駐在先の上司から届けていただいたかなり貴重なものだったらしい)、空港まで高速道路をぶっとばしてケネディ空港まで送ってもらったという超迷惑なことをしたので、お互いに一生忘れない思い出になっている。
一宿一飯のお礼は、彼がニューヨークに駐在した記念になるものをという要望から,当時立体版画という独自の創作活動で脚光を浴びていたジェームス・リジィの作品を二人でSOHOのギャラリーで買ってプレゼントした。まさに訪問した年の新作で、作品名は A BIG APPLE。
今回、ちゃんと工房の壁に飾ってあって 四半世紀ぶりの再会をはたした。それが上の画像。
夜は、近くの街の小さな魚屋さんにお願いしてあったという伊豆の幸を肴に、手土産に持参した日本酒(久保田の萬寿!)をちびちびやりながら暖炉の火を眺め ながら話が弾む。ちゃんとニュヨーク旅行時の写真(リバーサルとそのダイレクトプリント)が入ったアルバムを今回は持参したので、懐かしい昔話も。なんと 豊かな時間なんだろう。
翌朝は別荘地内にある沼を一周する道を3人で散歩。風と鳥の声しか聴こえない。
同い年で、世界で活躍した企業勤めをリタイアし、豊かな自然に囲まれた自分で設計した自宅で静かに過ごす生活を始めた友人。
一番近いコンビニまで車で10分以上、最も近いバス停までも街路灯の無い真の闇の様な山間を歩いて10分程。何でも揃うショッピングセンターには車で15分ほど。全く不便ではないにしろ、都会での生活に見切りを付け、人生90年時代の残り30年40年をどう心豊かに過ごすかを考え、行動に移した彼。体力や気力が衰えた時にことも視野に入れていた。
人それぞれだが、自分の仕事や生活 家族を見つめ、これから30年の生き方、豊かな時間 豊か生活ってなんだろうとをじっくり具体的に考える機会を与えてくれたといっても過言ではないだろう。
ありがとう友よ。
今度は妻と二人で遊びにいきます。
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