2009年9月21日 (月)

録画番組の消化

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NHKドラマスペシャル「白州次郎」を土曜にBS Hivisoinで3話連続放送されたものを録画しておいたので、二日に分けて一気に見てしまった。。。
テレビドラマとしては凄い意気込みで、見応えあります。
まだ見てない人も、2話、3話だけでも。

この連休中は溜まてしまった録画番組をまとめて見ている。

ハイビジョン・ミュージカル特集は娘たちがかなりいろいろ録画していたようで、その中から レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル「キャンディード」の演奏会形式ライブ(エイブリーフィッシャーホールでのNYフィルの演奏)を家族で見た。長い。。。
序曲は聴いたことがあったが、ストーリーは初めて見る。
かなり奇想天外ハチャメチャなストーリーで、きわどいブラックユーモアと大人向けのネタが満載だった。
それをバーンスタインの素晴らしいメロディや歌手陣の歌唱力と演技、そしてユニークな演出がそれを引き立て、音楽の力が全体を圧倒していた。
「長いものにまかれるな。世の中で言われていること、考えられている事は実は真ではない」という原作の思想がよく表現された、大人向けの上質な風刺ミュージカルでした。

鶴屋南北の名作を、今の時代に書き換えて現代劇、コクーン歌舞伎「桜姫 清玄阿闍梨改始於南米版」も見た。ず〜〜〜とハイテンションな2時間30分だった。こちらも奇想天外なストーリーと大人向けのネタが満載だった(とてもNHKでは放映できない場面もあって、そこはカメラが違うところを撮ってた。) 疲れたけど面白かったなあ。

まだ爆問の「台本のない音楽会」もこれから見なきゃ。

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2009年5月24日 (日)

建築の品格

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道ばたにもうコヒルガオが咲いている。

今朝のNHK教育テレビ「日曜美術館」は
建築の品格 建築家ヴォーリズの”愛される洋館”だった。

4月15日にこのブログのエントリーで紹介した
「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ  恵みの居場所をつくる」という展覧会の紹介だ。

展覧会ではパネルと模型、図面などとても充実していて、それらを通してヴォーリーズ建築とその人柄まで堪能できる充実した内容であった。

今日の放送では、建築家隈研吾氏の話がとても興味深く、何より現地取材によるハイビジョン映像での紹介、そして建築を愛する人々の生の声、表情が何よりも立体的で、より一層充実した内容になっていた。

豊郷小学校階段の手すりのウサギとかめのエピソード、そこで学んだ80歳になる元小学生の楽しそうに語る笑顔、そして、神戸女学院の信じられない程素晴らしい状態で使用に供している講堂、図書室。簡素でありながら豊かな、ひたすらそういう空間で学べることが羨ましい。

今でも 一粒ヴォーリズ建築事務所は、設計する建築家自身の人生が豊かであるために、家族と過ごす時間のために残業が無いそうだ。隈氏が「建築事務所では、残業しない人というのは変わり者扱いだけど、本来はそうあるべきだねえ」などと思想や技術、表現の先端を競うような現代建築のあり方への自戒を込めて、また学校の授業で教えることも無いヴォーリズ建築については、人間と建築についての根源的なところからデザインを考える姿勢をあえて見習うべき時代かもという発言が印象的だった。

建築というものを使用する人のためのことを考えて提案しているからこそ、使用する人達がそれを受け入れ、また大切に受け継ぎ、多くの人の共感を呼び、愛されている。
そういうことがあらためてよく感じられる番組でした。

再放送はNHK教育テレビ 5月31日(日) 20:00〜20:45 です。 

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2009年5月 6日 (水)

テレビでの伝説的ロックの名演

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GW中に見た音楽番組の名演 2題

5月3日 9時から放映された「題名のない音楽会」

5月3日から有楽町で開催されていたラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2009の今年のテーマ「バッハ」に因んで企画されたのだろう。

圧巻はマーティ・フリードマンのエレキと井上道義氏が指揮し、チェロも含めて全員スタンディングで演奏したオーケストラアンサンブル金沢との競演による「ブランデンブルグ協奏曲第3番の第3楽章」。

バッハはしばしばロックやジャズでもカバーされる程、相性がいい。それは音楽構造が「メロディ」「コード進行」「ベース・ライン」ででほぼ出来ている「若い」音楽だからなのかもしれない。

バロック(Baroque)」という言葉の語源は「歪んだ真珠」を意味するポルトガル語の「Barroco(バロッコ)」を起源としたフランス語だそうだ。だから、17世紀ヨーロッパでバロック音楽が生まれた当時は、それまでの調和と均整の取れた美を追究する芸術に対してはかなり「異端児」だったに違いない。数学的な音の組み合わせだけで神の表現にまで迫るバッハの音楽も、当時は反体制のロックだったということか。

音楽もデザインも文学も表現の世界ではそれまでの調和や均衡を崩すことで「人間」や「自然」の表現に向かうことで進化してきた。それが新しい刺激となり、新たな刺激を求めて複雑化や肥大化して本来の人との関係が見えにくくなってしまったりすると、また原点回帰を繰り返す。

そういう本質的な原点と新しい表現がシンプルに組み合わさった時、そしてそれを表現する人が心から楽しんでいる場に多くのオーディエンスが立ち会えると、大きな共感、感動でわき起こり時代が動くのかもしれない。次の脳への大きな報酬を求めて。

司会の佐渡裕氏が「この演奏は番組の歴史に伝説として残るなあ」と言っていたが、日曜の朝から脳が刺激された。

ゲストの茂木健一郎氏が冒頭で「自分が好きな音楽を自分で演奏している時が、最も脳が活性化される」という自説を披露していたが、それも納得である。


5月4日 23時から放映された「桑田圭祐の音楽寅さん」
妻が面白いらしいと噂を聞いてきたので見てみた。

この番組は”日本を代表するミュージシャン桑田佳祐が「後世に伝えていきたい」名曲をフィーチャーし、ロケやコント、ドラマ、ドキュメントなど、さまざまなアプローチで伝えていく新感覚音楽バラエティ。”ということで、8年ぶりに4月から復活したのだそうだ。

今回は”ソラミミ「アヴィロード」『アベーロード』”
妻と二人でぶっとんだ。大笑いどころか、感動ものだった。桑田さん天才です。

企画し、放送したフジテレビが最も天晴と言うべきか。

「タモリ倶楽部」の中の「空耳アワー」では、外国語の歌詞で日本語の発音に聴こえてしまうところを見つけ出して、パロディ映像とともにそのギャップを笑ってしまう、という趣向だ。(上述のマーティもよく空耳アワーに出ていたなあ)。しかし、この番組では、1曲すべて、さらにはアルバム全曲を空耳のパロディで貫き通すという徹底した快挙を実現していたのだ。

ビートルズのアルバム「アビー・ロード」全曲を、オリジナルの英語の発音、イントネーションとよく似た日本語、それも痛烈な政治風刺、社会風刺に意味を置き換えてしまっていた。それを生バンドで桑田圭祐が熱唱し、バンドの演奏も音もオリジナルそっくりに作り込んであって、すごいプロの仕事ぶりなのだ。

タイトルをならべただけでもその面白さ、痛快さが少しは伝わってくると思う。

  1. 公明党BROTHER(Come Together)
   2. さみしい…(Something)
   3. 舛添居ず知らぬ間データ(Maxwell's Silver Hammer)
   4. 親だ〜れ!?(Oh! Darling)
   5. 僕当選さす票田(Octopus's Garden)
   6. iPhone中(I Want You (She's So Heavy))
   7. 爪噛むおじさん(Here Comes The Sun)
   8. 民主党(Because)
   9. 油田は危機を招き(You Never Give Me Your Money)
  10. 国際危惧!!(Sun King)
  11. 民意無視して増した・・・!!(Mean Mr. Mustard)
  12. オレ審判!?(Polythene Pam)
  13. 「死刑」にするも「罰する」も非道!?(She Came In Through The Bathroom Window)
  14. 公然知らんばい(Bye)!?(Golden Slumbers)
  15. 借金(かり)が増え!!(Carry That Weight)
  16. 次年度(The End)

たかが30分のバラエティ番組とは侮れないほど贅沢に作り込まれている。これは伝説的な番組になっちゃうんじゃないか。
たまたま見たので、録画していないのが残念無念。

あちこちのブログで話題になっているし、もちろんYou Tubeにアップされていますから必見です。

どこかで再放送しないかなあ。ビートルズだし、政治的な批判だし、版権とかの関係もあってまあ無理なんだろうなあ。

ロックって固く言うと「従来の社会通念や規範を意に介さないで音楽活動をする」ということ。まさに痛快です。

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2009年3月 1日 (日)

「おくりびと」を見て思うこと

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昨日は、地元のシネコンが話題の「おくりびと」の再上映を始めていた。その上、「今日1日、どの映画でも1000円!」というキャンペーンをやっていたので見に行ってきた。

2番目に大きいスクリーンの劇場が割り当てられていて、350席がほぼ満席。
ニュータウンなので、ショッピングセンターのテナントや映画のプログラムも子連れのファミリーを主にターゲットとしていて、普段はそういう若い層が多い。しかし「おくりびと」の観客は、この街のどこにいたのかと思うほど中高年の夫婦(私もそうだけど)や女性同士などが大多数だった。
そして、おばちゃん達の大きな笑い声とすすり泣く嗚咽に会場は満たされておりました。

売り切れだったパンフも午後には売店に届き、しっかり「アカデミー賞外国語映画賞受賞作品」と刷り込まれていた。今週になって緊急増刷したんだろうねえ。

映画は評判通りのいい映画だった。アカデミー賞をとるほどの日本を代表する傑作か?と問われれば、意見もいろいろあるとは思うが、見て損は無いと思います。

授賞式に参加した滝田監督と主演の本木雅弘ばかりがメディアに露出しているが(実際 凄いと思うが)、実は小山薫堂ファンであり、久石譲ファンである私は、小山氏初の映画脚本であること、チェリストが主人公ということで音楽担当の久石氏の職人的な仕事ぶりについて注目していたのだった。しかし、秋の公開時には見損なっていたので、アカデミー賞にノミネートされた時点で再上映、拡大上映になることをちょっと期待していた。
ワーナーマイカルでは受賞前の21日から2週間限定での再上映は決まっていたようだが、これで一気に「凱旋上映」に格上げで、大集客となったわけだ。

脚本としての魅力はいくつもある。

細やかな指先の動きから美しい所作への布石を感じさせる「チェリスト」という設定。この脚本はヨーヨーマのCDをずっとリピートで流しながら書いたのだそうだ。コントラバスの楽器ケースって音楽仲間では「棺桶」って言うんだけど、そういうことも意識したのかな。
 普段のラジオ番組や雑誌のコラムなどでお馴染みのサービス精神、こだわり、ウイットは、台詞の中にも十分は反映されていて、コメディーのようにクスリという笑いが随所に散りばめられていることもこの作品を楽しませてくれる。

そして「料理の鉄人」の放送作家らしい「食」へのこだわりや、向田邦子さんのエッセイからヒントを得たという今回の映画の重要なエピソードである「石文(いしふみ)」に込められた「言葉や文字がなくても、相手にきちんと「伝える」こと」は、いろいろと考えさせられる。

小山薫堂氏は、映画の舞台になった山形県にある東北芸術工科大学に09年度新設される「企画構想学科」学科長に就任している。この学科用に小山薫堂氏はじめ彼の秘書らが綴っているブログというのがあるんだけど、実に大学の先生ぽくない雰囲気。ここで「企画構想学科」では「『普通の事の価値』を学んで欲しい」と言っている。「おくりびと」の脚本家としてのインタビューやパンフレットにもこの映画で一番書きたかったことは、「『普通』って何だろう? でしょうか」と言っている。「普通を見直すきっかけ」が彼の今の最大のテーマであり、それを教育でも実践しようとしているようだ。アカデミー賞受賞脚本家が教授として講義してくれるっていうんで、倍率があがるんじゃないかな。

脚本がよかった、というのも事実だと思うのだが、久石譲氏の音楽がこの映画をさらに劇的にしていることも間違いない。映画全体が壮大なチェロ協奏曲のようなのだ。音楽好き、クラシックファンも十分に楽しめる。

そして、やはり“納棺師”の企画を自分で持ち込んだという主演の本木雅弘の演技は凄いね。何が凄いって、チェロを弾くシーンのフィンガリングやボウイング。特にベートーヴェンの「第九」第4楽章冒頭のレシタティーボをオケのメンバーとして弾くシーン。手だけプロの奏者の吹き替えで撮影することも多い中、周囲の奏者とズレることもなく、ヴィブラートまでかけてちゃんと弾いているように見える。エキストラで出演していた山形交響楽団のビオラ奏者のブログによると、映画の撮影のために事前に相当の特訓したそうだ。「本木さんのために本木さんが憶えてきたボウイングに山形響が合わせたくらいなので、アマチュアとしては相当なレベル です」とある。チェロの指導は、元G-CLEF(90年にNHK紅白歌合戦にも出演したインストバンド)の柏木広樹氏が行ったとクレジットに出ていた。調べてみると、楽器店のシーンについても語っている対談があった。、ソロのシーンも、音楽に合わせて演奏の演技をしているのではなくて、演技に会わせてプロ(都響首席の古川展生)が演奏しているのでは、と思えてしまう。

そして、映画を見ていて涙を誘うのは「死」に向き合うことになる遺族の思いだけではなく、何より本木氏の“納棺師”としての所作の美しさに感動してしまうからだ。

22日のエントリーに書いた「概念を言葉で定義する「西洋文化」に対し、定義がなくとも伝わる茶道のような「東洋文化」にあって、価値観のコンセプトは「話では通じない」から「身体で悟らす」ことを目指したのだと言う。」ということにも通じるのではないかと思ったのだ。

アカデミー賞受賞理由のヒントは、ちょっと神秘的な文化の違いを魅力的に描いたからなのかと感じた。

チェリストとして、納棺師として いずれも“プロの職業”として見えるまでに技を習得してしまう、俳優としてのプロ意識が凄い。ものすごい観察力で、その本質を見抜く力を持っているんじゃあないかと。

様々なプロが集結しての作品。

そしてそのメッセージが日本から世界に発信されたことは、アメリカの「チェンジ」の賜物かもしれない。

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2009年2月16日 (月)

岩井俊雄の特別授業

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「岩井俊雄」氏と言えば、 我々の世代はフジテレビの 「ウゴウゴルーガ」のCG、キャラクターデザインがまず頭に浮かぶのではないだろうか。何せ斬新で衝撃的だった。

最近ではヤマハから発売された電子楽器「TENORI-ON」の作者として有名。

身近では東急電鉄のマナー広告シリーズ「どっちがへん?」で楽しませてもらっている。

今は第7弾「大きな荷物」編が掲出されている。

昨夜、その岩井俊雄さんが、ご自身の娘さんが通う三鷹の小学校での
「メディアアーティストとしての集大成だ!」と意気込む授業の様子がドキュメンタリーとして放映された。

NHK教育テレビ ETV特集 2月15日(日) 22:00〜23:30

「目覚めよ身体,感覚の宇宙 〜メディアアーティスト岩井俊雄の特別授業」  

kamihira_blogの「今夜のETVは必見!」というエントリーで知って、N饗アワーのあと引き続き教育テレビを見続けた。チャイコの悲愴の演奏に「感情移入が足りん」などとブツブツ言っていたと親父が、今度は画面に食い入るように見ている。そんな私に釣られて、結局途中から家族全員が次はどうなるんだろう、 なるほどお、と大いに盛り上がって覗きこんでいた。

特に岩井さんのパラパラアニメコレクションが次々と披露されるたびに子供達はすご〜〜いと歓声を上げる。

番組の内容は、「物作りからデジタルへの架け橋」をテーマにしたオリジナルアートを作る授業の様子を追ったドキュメンタリーだ。岩井さんが学校の中に在る道具を使いながら、できる限りハイテク機材には頼らずよりシンプルにすることで原理や仕組みが子供達にも理解しやすく、かつ創造性が引き出せるよう、そして小学校1年生から6年生までそれぞれに応じた異なる内容の授業を組み立て、そして実際の子供達の生き生きとした表情、楽しい作品が生み出される瞬間、そこで得た子供達の経験、大人の教訓が描かれている。

子供たちが興味を持つ、飽きずに面白がる、すぐに出来ちゃったり、逆に難しすぎないように ワークショップを組み立てていくプロセスでは、職員会議でのプレゼンで苦労する様子から 支える家族への弱音、本音までが映し出されていて 「メディアアーティスト岩井俊雄」の素顔、人となりまで垣間見ることが出来たのがよかった。

汗だくで奮闘する授業風景に自主企画としての並々ならぬ思い入れを感じたが、そのすべてが終わった後、 仲良くなった子供たちと校庭で鬼ごっこして足が付いていかず派手に転んだ様は なんともカッコ悪いけど、ジーンとくるほど充実感に溢れていたとても良かったです。 自分が楽しければ子供たちも楽しいの精神だ。

ちょっとショックだった場面は、 一年生の担任の先生事前打ち合わせの際、岩井さんからの提案に対し、それは難しいといった理由。
「最近の子は絵を自由に描かないんです」と言ってたこと。
「私たちの時代は、自由に描いていいっていうと「わ〜〜っ」て言う感じでしたけど、 今は親御さんの意識が、お絵描きは楽しむことじゃなくて習いごとであって、子供達も上手にやって点数をもらうように出来るけど自由には描いたりしない、と・・・。

答えをすぐ求める、自分で考えようとしない、
というのは何も子供の世界だけじゃなくて、会社の中でも多くの従業員がそうなっていると感じることも多い今日この頃なので、驚きはしない。しかし 、そういう大人の影響を子供たちがもろに受けてしまっていることがショックだった。

でも全然心配することなく、最初は戸惑っていたもののみんな楽しそうに描いていた。
先生も親の要望に応えなきゃって大人が勝手に枠にはめているんじゃないかな。
楽しいと思うことをきちんと伝えてあげれば、ちゃんと自分で考えて表現したりするんだなあと再発見。

メディア芸術祭でも「佐藤雅彦氏」のところだけ群を抜いていたと思ったが、岩井氏も凄い。「子どもたちのいまと未来を考えてもらうきっかけとして広めたい」という思いをこのような企画として自らの行動力で実行し、地元の小学校と言う地域社会から、ブログでの発信、テレビ番組としてしての全国放映、自身の講演での番宣という積極的な発信に昇華させてしまうところが。

最後の子供たちのメッセージ「今までで一番うまく絵がかけました」「リベットくんをお母さんの誕生日に作ってあげようと思います」などなど、「課外授業 ようこそ先輩」で培ったノウハウをたっぷりつぎ込んだ テレビマンユニオンらしい、地に足の付いた感動をじんわり伝える番組の作り方はさすがだと思った。

NHK教育 ETV特集のコピーは
「考えるヒントを提供する「心の図書館」です」だ。
的を得ている。

見逃した方、再放送は必見ですよ。

多分1ヶ月くらい先です。

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2009年2月 8日 (日)

ドラマのサブリミナル演出?

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今年のNHK大河ドラマ「天地人」の視聴率は好調のようだ。
初回、第2回の子役の名演技に魅き込まれてしまった人も多いことだろう。

我が家も家族で毎週見てます。

ところが今日8日放送分の第6回は、今までの5回分とは明らかに演出が異なっていた。大河ドラマは4人くらいの演出家(監督)が交代で1年間勤めるらしい。「篤姫」の時も、堀切園健太郎氏の一人浮いた過剰演出が楽しみになるくらい特徴的だった。

今日の演出は「高橋陽一郎」とクレジットにあった。
ちょっと古い型の演劇の舞台みたいな演出が多用されていた。
大河ドラマの王道をいく壮大なロケーションでの合戦シーン、CGを駆使したリアルな城郭の対極をいくような、ミニマルなセットと照明効果への場面転換で緊張感を出してコントラストを際立たせようとしたのか?
極めつけは長女が気がついた、サブリミナル効果のような演出。
そのシーンは、主人公謙続と刈安兵庫がにらみ合うところ。
刈安兵庫は布の眼帯をしていて、左目が隠れていた。
カメラがそれぞれのら顔をアップでとらえて頻繁に交互に左右から撮るカット割りに多い演出。主人公謙続の肩越しに刈安兵庫がアップになったその一瞬だけ、刈安兵庫の眼帯で覆われた目が左右逆だったのだ。

長女が「変!」と気づき、「そんなことはないだろう」と録画をフレーム送りで再生し直したら、そこだけ右目が隠れていいたのだった!

間違いではないだろうし、鏡に映ったシーンでもないから意図的に挟み込んだのだろう。
視聴者への挑戦か!?話題作りか!?

いずれにせよ、青色LEDの北斗七星の不自然さといい、今回の演出は物議を醸すことだろう。
期待に応えようと張り切りすぎて、視聴者の要求からはずれて視聴率落ちるんじゃないの?と勝手に心配しちゃうのでした。

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2008年12月21日 (日)

今年のテレビドラマ

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今年はドラマを結構見た。
平日リアルタイムでは無理なので、ほとんど週末に纏めて録画で見た。

もう、遠い昔の用で記憶が定かでないところもあるが、

1〜3月期の冬ドラマでは「薔薇のない花屋」「鹿男あをによし」

4〜6月期の春ドラマは「ラストフレンズ」「CHANGE」

それぞれ2本ずつ、初回から最終回まで欠かさず見た。

7〜9月期は思い出せないので一つも見ていないようだ。 

そして秋シーズンは新・旧ビッグネームの脚本家の二作「流星の絆」「風のガーデン」がダントツだったと思う。

「流星の絆」のクドカンの脚本とテンポのユニークさには脱帽だ。暗くて重くなりがちで筋が混みいった連続ミステリーの復讐劇だったら見なかっただろう。劇中劇とそのコミカルな手法は卓越していて次はどういう手でくるのか!ろすっかり毎週見ることになってしまった。
そして「風のガーデン」の丁寧で美しカット割りとカメラワーク、 台詞と表情をしっかりとみせてくれる演出は非常にクオリティの高いドラマだったと思う。
役者の表情と台詞、背景の美しい風景、こだわったカット割りに、見ているとゆったりと時間が流れ 見終わったあとになんともいえない気持ちになった。

しかし、今年一番のダントツの話題になったドラマは「篤姫」だろう。
脚本と台詞が見事ながら、音楽の担当が「薔薇のない花屋」「風のガーデン」と同じ吉俣良でありながら 過剰な演出と音楽の多様さで毎回盛り上がりを見せた「篤姫」は対照的だ。

過剰というか凝りに凝った演出で確実に高視聴率を稼ぎだしていた堀切園健太郎氏が
後半なかなか演出をする回がないので  最終回か、総集編を担当するのかと思っていたら、なんと人事異動で関連会社に出てしまったようで・・。

全体の一貫したトーンの範囲でバラエティのようなコミカルなシーンとよりシリアスなシーンのコントラストで 1話全体を非常にダイナミックな演出していたところなど 、毎週見ていた人はなら、「今回は堀切園だ!」とすぐわかるユニークさを備えていたのに。
ある意味 他の演出人が真似をしている節もあるくらいだが、個性的、スタッフや役者に過剰なこだわりが評判が悪かったために外されてしまったのか・・。サラリーマン演出家としての限界か悲哀か・・・。 惜しいなあ。

「篤姫」は、近年の大河ドラマでは最低の製作費だったそうだ。
合戦シーンなど大規模ロケがなかったから(予算がなかったからロケをしなかったのかな) 毎回ものすごく凝っていて、その豪華絢爛さを十分に楽しめた出演者それぞれの着物に多くの予算を割いたのではないだろうか。 劇中音楽の種類の多さも相当だと思う。低予算でありながら、小松帯刀にスポットが当てるなど、どちらかといえば、歴史の主役ではない人物の「人の生き方」を丁寧に描くことで、効果的に視聴者の共感を得ることができたのは近年まれに見る大成功だったのだろう。

出演者が話題になるのは当然なんだが、脚本、演出、音楽というスタッフをチェックしてのドラマ選びも実は興味深い。

年末年始を控え、書店、コンビニにはテレビ番組のガイドブックがずらりと登場している。数えてみたら11種類もあった。さて、厳しい局面のテレビ局経営、放送事業外収入の重要性を語っているらしいが、不況で、映画館にも足を運びにくく、お家でテレビを見る人が増えるのだからチャンスを捉えたほうがいいんじゃないか。2次売りなど、本来の映像コンテンツで利益を出すためには、質の高いオリジナルなドラマ作りという本業を全うして、視聴者の期待に応えてほしいものだ。

 

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2008年12月 7日 (日)

誕生日にドキュメンタリー

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昨日は誕生日でした。

渋谷で映画を2本、見てきました。

午前中から妻と二人で
ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて
(渋谷 ユーロスペース 1月下旬まで) 

夕方からクラブ活動を終えた娘二人も合流して
ブロードウェイ♪ブロードウェイ  コーラスラインにかける夢
(渋谷 Bubkamura  ル・シネマ 1

ドキュメンタリー映画ばかり2本。

どちらも世界最高レベルを目指し、
その期待に応えるために、
一人の芸術家として、そしてまた一個人として、
苦悩、葛藤、至福の歓び、幸せなど
人生にひたむきに取り組む姿の事実をリアルに描いているので
とても感動的でした。

いずれも邦題は内容が推測しやすいのですが、
原題に大きな意味のあることが、映画を見てはっきりと理解できる。

前者の原題
TRIP TO ASIA  The Quest For Harmony

指揮者のラトルが演奏会で味わえる至福の歓びを「絶対に絶つことのできない麻薬だ。
生涯、中毒患者でいたいと思う」という語りが、ドラッグのTRIPに引っ掛けていることや
入団試験からはじまるオープニング、その結果を伝えるエンディング、
このツアーを最後に対談する団員と試用期間の団員との対比、
伝統と創造、仕事と使命、続けることの責任など、
輪廻という思想をアジアに重ね合わせて描こうとしたのではないかと思わせる。

おりしもサー・サイモン・ラトル率いるベルリンフィルハーモニー管弦楽団が
11月23日〜12月1日まで来日公演をしていた。
日本でのコンサートはチケットも高額で入手もなかなか難しい。
しかし、28年前にベルリンのフィルハーモニーホールで
圧倒的なパワーと強烈な意志、完璧なアンサンブルに溢れる
ベルリフィルのサウンドを聴いた時の衝撃を忘れることが出来ない。
指揮者のマゼールとフィッシャーディスカウが歌うサブプロも含めて、
同じ人間が奏でる音楽とは思えなかった。
世界最高峰の集団といえども結構普通の人たちだ
ということを描いたこのドキュメンタリーは、
誰もが少なからず仕事、会社、家族の中で、 
自分自身の自己実現や 承認欲求、所属欲求のバランスを探し求めながら
生きているということでは同じなのだ、ということを教えてくれる。

後者の原題
EVERY LITTLE STEP

劇中歌の有名な歌詞に因んでいて、
まさに映画のいいたいことそのものですね。
興行的に多くの人に見てもらいたいから、と邦題を作るのでしょうが、
逆にかなり損をしているのではないかと思う。

中でもポール役のオーディションでの演技は圧巻だ。
これを見るだけでもこの映画を見る価値がある、と見た人は皆思うことでしょう。
すごいですよ、とにかく。プロの役者というのは・・。

この再演のワールドツアーが、2009年8月に来日公演するらしい。
(TBS/Bunkamura)
日本って、東京って凄いなあ。

誕生日にこのような映画を見るのもある意味意義深い。
生きていくことに元気が出ます。

そして誕生日に家族達と ゆっくり1日過ごせる幸せも実感できました。

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2008年12月 5日 (金)

Open House

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昨日、社長のnabeさんから メールで突然ご案内をいただいた
PROTOTYPE & MONGOOSE の オープンハウス。

20時に仕事のけりをつけて、忙しそうな今年の新入社員のサミトくんを誘い連れ出して駆けつける。

といっても地図をロクに確かめもせず、小田急の世田谷代田で降りて
適当に住宅地を歩き回って迷うこと30分。
京王線代田駅からの地図だったのかと気がついて、
やっとたどり着いたところは、ここが東京の世田谷であることを忘れてしまうような
樹齢を重ねた木々の間にテラスハウスが佇む、
ヨーロッパのリゾートホテルを思わせる一角がこつ然と表れた。

実はその直前にはホイチョイプロダクションが入っている羽根木の森に迷い込んでいた。
そこも素敵だったが、PROTOTYPEさんが1年間に引っ越したし事務所は、羽根木インターナショナルガーデンだった。ここの建築は 安藤忠雄氏の3人兄弟の末の弟である北山孝二郎+K計画事務所の設計だ。その内部に入れるだけでもワクワクする。

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ダイニングでワインとチョコレートフォンデュで冷えた身体を温めながら、ちょっとMONGOOSEのメンバーと歓談。
昨日徹夜して、iPhoneをがナビゲーターに使った肝試しを企んで制作していたそうだが、間に合わなかたのだそうだ。
その中の一つ  Switchシリーズの新作をなんとか復帰させて実演してもらう。
ちょっと、感動!
スタッフに笑顔が広がる。
インタラクティブなので、いくら文章で説明してもその場で体験しないと、その面白さは実感できないので省略。

その後、nabeさんに作品を一つ一つを丁寧に説明してもらいながら回る。

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2006年の 100% design tokyo に出展され、今やMONGOOSE STUDIOの代名詞、看板商品でもある 座ると光る椅子 fuwapica をはじめ、プリントして見る時計「TYPE TIME」 は とても詩的な作品だったが、それに続く新しいプロトタイプもすべてウイットに富んだ遊び心、そしてポエトリーな佇まいを最新のサイエンスを自分たちで手作りで実現してしまう志が凄い。。

冒頭の写真は、進化したRGBy の最新作。
演出や、プロダクトしての佇まい、構成、何よりその重量バランスのこだわりが素晴らしい。

他にも、何もない空間からしずくが落ちて波紋が広がる水盆は
磁性流体を何気なく上手く使った表現に感心する。

そしてまさに本邦初公開のプロトタイプであった風で光るカーテン。
この新作が今後どのように進化していくのか、楽しみだ。

私と多分同世代のnabeさんの経歴は、その時代の先端技術で感性の表現を試みてきたパイオニアだ。そして今、若い世代へビジネスとしての仕事と、新しい表現の可能性を追求する場を与えるプロデューサーとしての役割を見事に果たしているその姿勢は尊敬に値する。

ちょっとお疲れの脳みそと身体に 新鮮な刺激をたくさんもらえた。

帰りに環七のラーメン激戦区で、おいしいラーメンも食べられて、満足満足。

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2008年10月12日 (日)

テレビでの音楽

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平日はほとんどテレビを見ない。
週末になると録画したドラマや定番番組を結構見る。

日曜日は朝6時30分からの「建物探訪」
9時からの「題名のない音楽会」
9時45分から「新日曜美術館のアートシーン」
20時から「篤姫」
21時から「N響アワー」と つづく。

先週の「N饗アワー」はハンス・ドレバンツ指揮のマラ5だった。
1、2、4、5楽章 全部聴いた。
ホールで聴くときは、その席での音響と視覚で、全体感とともに緊張感や奏者の雰囲気などを楽しむ訳だが、テレビでは、ディレクターの意思による音と映像で間接的に楽しむことになる。
CDであれば、音だけで音楽を想像し楽しむのだが、繰り返し聴いても耐えられるよう編集により音のバランスと演奏の傷は修正され、完成度が高いの言うまでもない。

マラ5の第1楽章の冒頭、当然のようにトランペットがアップで映し出される。
首席の津堅氏が構えるトランペットが小刻みに震えている・・。
超ベテランであっても極度の緊張状態だったのか。
後半は震えも止まったようで、やっと楽器がなってきたと言う感じでしたが。

弦楽器奏者であれば、あの揺れては返す波のような哀愁を称えた陶酔感がたまらない4楽章、そのまどろみの中から、アタッカで入る5楽章冒頭のホルンの第1音は、夢から覚めて音の歓喜へと誘う入り口だ。約15分間の全休符からオケ全員と聴衆の意識が集中するGPの中、あの第1音をホルン奏者が吹く勇気は計り知れない。
その後の弦楽器の第4楽章の余韻のあとの第2音。
なんと第1音が上手くいった安心感からか第2音は外れた。
第4楽章のまどろみから 心地よく目覚ましてくれることを期待していた聴衆にとってはちょっと後味が悪い。
音楽全体から見れば小さな傷だが、聴き手はその傷を自ら癒すために前の音楽を再トレースすることになる。プロの音楽会であり、聴き手の期待する音楽の完成度を損ねる行為となればなおさらその失望感は強くなってしまうのではないだろうか。
大太鼓の強奏では、ホール全体を揺るがすほどの空気振動がマイクの入力レベルを超えたのか、すべてのマイクロフォンのセンサーが物理的に大太鼓の音圧を拾ってしまったのか、他の楽器が聴こえなくなるような現象が2回起きた(テレビの調子がおかしくなったかと思った)。音楽は聴こえなくなったが、それはそれで、音響ディレクターの顔が青くなる様子が目に浮かぶとともに会場の迫力、大太鼓の音がすべてを包み込む雰囲気を想像できる面白い出来事だった。
5楽章では多少の乱れよりも、ベルアップや強奏により、音楽を奏でることの溢れるような喜びを奏者の表情とともに波打つようなサウンドとアンサンブルに期待してしまう私には、ちょっと物足りなさを感じてしまったのだった。
N響の演奏としては熱のこもった非常に好演の類に入る演奏会だったのではないかと思うが、過レンガを積み上げるような楷書体の音楽を目指した指揮者と、うねるようなダイナミズムを奏者の主体性とともにマーラー節として期待する私の違いをあらためて確認したようなものだった。 

テレビというのは、映像で音の迫力や奏者の表情により精神性を補ってくれるが、逆の効果となるときは残酷でもある。しかし、それはクラシックの再現音楽として宿命、ライブとしても面白さでもある。

ともあれ、26年前の学生だった頃の自分たちの演奏が耳に染み付いいて思い入れが強いので、こうるさい聴き方になってしまうのだが、あの時のトランペットとホルンの同級生の演奏がいかにもの凄かったのか、ということをあらためて思い知らされたのである。

そして、今日の朝、「題名のない音楽会」でスーパーキッズオーケストラの 生き生きとした表情と音楽に胸を躍らされてしまった。
感謝の気持ち、音楽をする喜びに溢れているのである。

日曜日の朝、朝刊で必ず読む楽しみにしているコラムがある。
転職を考えているなら朝日新聞の日曜日の朝刊の求人欄を見よ、と友人から教えられたのは23年前のことだ。実際にこの求人欄を見て応募もしたことがある。転職を考えていなくとも、日曜の朝の求人欄は世相を映す鏡として私は今でも毎週読んでいるのだが、この欄に掲載される各界の賢人達による「仕事力」というコラムがなんとも含蓄あるのだ。
単行本にもなっていて、同僚の節目などにプレゼントしたこともある。

今朝は指揮者の佐渡裕氏の第1回目だった。
題名のない音楽会では、夏休み企画としての少年少女合唱団や高校の合唱団、吹奏楽部のクリニックを佐渡さんが直接指導する場面を放送してきている。
いずれも、子供達の表情と出てくる音楽がみるみる変化する様に視聴者は感嘆せざるを得ない。佐渡氏の関西人としての「突っ込み」「ぼけ 」やといったサービス精神も番組を盛り上げ、音楽の感動を一人でも多くの人に、というプロとしての「仕事」の強い使命感をこのコラムで改めて認識できる。

基礎ができている、ということがもちろん大事な要素であることは確かだが、それ以上に何のためにやっているのか、まずは自分が楽しい、そしてそれを共有する人が楽しく感じる、感じてくれてありがとう、そういう関係性の基本というものを指導しているのだと思う。

そして、夕方には先日亡くなられた緒方拳さんの遺作となったドラマ「風のガーデン」の9日放送分を録画で見た。いきなりオープンイングの音楽で「薔薇のない花屋」と同じ雰囲気を感じてしまった。やはり、篤姫と同じ吉俣良氏が担当していた。

アカデミックな音楽教育を受けてない現場で叩き上げた「音楽職人」としての「劇伴」の感性が受けているだろう。これまたヒットの予感である。



 

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