
「雑草という植物は無い」
植物学者でもあった昭和天皇が、皇居の散歩中にお付きの人に言ったという有名なエピソード。このフレーズ「どんなものにも必ず名前があり、それも意味があって存在している」ということを指すために、よく引用されます。
「木を見て森を見ず」は、本質を捉えるためには大局的な見方も重要、という諺だが、一方で、上記の言葉に習えば「雑木林の木にもひとつひとつ名前がある」というフレーズに置き換えることもできる。要はバランスが大事ということなのですが。
この季節、普段何気なく新緑の塊に感じている里山の雑木林や公園の林の中に、白い小さな花をびっしり咲かせている木がある。エゴノキだ。果実の味がえぐいことにその名が由来するほどで、鳥でさえ見向きもしないそうだ。その上、樹形や葉なども特徴が無い。この時期だけ可憐な小さな花を密集させて咲かせた姿を、下から見上げるととても見事だ。短い間だけど、その特徴をはっきりとアピールすることや、原産が日本,中国ということ、自然な樹形が好まれて、最近はシンボルツリーなどに庭木御三家といわれるほど人気があるのだそうだ。
実は、私も数年前のこの時期、隣の公園で白い花をびっしり咲かせている姿を見つけて、この木の存在を知った。知ってみると、意外に身近にあちこち植栽されていることがわかった。
そうそう研究所の中庭もハナミズキとエゴノキが植栽されていて、春から初夏にかけて順に花が咲き、新緑が芽吹き、と長い間に変化が楽しめるように工夫されていたのだ。
建築というのは、人と環境の関係性を表す造形でもあるから、建築家というのは人工物のみならず自然とも対峙し、時間軸でその適性や変化を観察するアンテナが必要なんだなあ,と思った。
住宅街の庭では、今、薔薇の花が盛りである。
華やかな目を惹くその足下に咲く小さな花、ひとつひとつにもちゃんと名前があります。
その名前と由来に気がつくと、小さな世界での出来事と、それから成り立つ 庭、公園そして環境へと考えが順に及びます。
「木を見ずして森を見る」という人も多い。
普段、気になることに出会ったら、ちょっと調べてみる。 調べてみたら、新しいコトや関係性が見えてくる。木から、森から、どちらからのアプローチも大切だ。好奇心による多く知識だけでなく、それらを結びつけてモノごとを語れるセンスが大事なのです。
ニワセキショウ(庭石菖)

ブタナ
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