2009年8月 8日 (土)

帝国ホテル ライト館 中央玄関

Dscf5572

私は、建築とは人と自然とのインターフェースだと思う。
住まう人、活動する人、集う人、休む人それぞれのために空間内部を深く考える行為であると同時に建築される土地の環境との共生を考えることが重要だ。
したがって、建築家は日頃から自然観察や植生などの知識や感性も欠かせないことだろう。

しかし、建築物の保存を目的とした移築は、本来の存在目的と周辺環境との調和にまで想いを巡らすことは難しい。明治村はそれが大きな課題であり、その課題を認識していながらも移築、展示保存する博物館としての存在価値は大きいのだろう。

今回の明治村訪問の大きな目的の一つである、帝国ホテル「ライト館」中央玄関に触れることだった。その思想、様式、こだわりの空間を実感してみたかった。

帝国ホテルは、外国からの賓客や外交官を接待する社交場として明治政府によって建てられた鹿鳴館に関連する宿泊施設として、その隣接地に明治23(1890)年に開業している。その後、日露戦争で戦勝したことで世界から国力を認められ、国際的にも通用しかつ日本を代表するような新館の建設が大正5(1916)年に決定された。その設計を依頼されたのがフランク・ロイド・ライト、近代建築の三大巨匠の一人である。

大正5(1916)年のライト来日から竣工の大正12(1923)年まで実に7年の歳月が費やされている。完璧主義者だったライトと経営陣はたびたび衝突し、当初予算150万円が6倍の900万円に膨れ上がるに至って総支配人は引責辞任、ライト自身も完成を見ることなく離日を余儀なくされるほどの難産だったようだ。しかし、鷲が翼を広げたような建物配置、空間の取りかたの見事さ、皇居や日比谷公園の緑と大変調和のとれた美しいホテルは「東洋の宝石」と称されるほどの名建築として語り継がれている。

上の画像は明治村に移築された中央玄関部分の正面写真である。
実際の建物がった東京都千代田区内幸町は日比谷公園から東京湾まで続く平地で、小高い丘はなかったので建物の背景に雑木林の緑は見えず、本来そこには5階建ての劇場棟がそびえ、左右には対称形に連なる客室棟が広がっていたはずだ。
明治村の復元建築は玄関のみなので、後ろ側については食堂のところでスバッ!と断ち切られている。
白いテント幕の壁が背後を隠していて、惜しいような、哀しいような有り様だ。しかし小高い里山の前に建てることで観光客が背後から直視して、建物としての不自然さを感じることがないよう工夫したのだと思う。

建築物としてその環境や背景とともに、そういうことを想像しながらの見学だ。

Dscf5577

ちょうど私と同世代の女性ボランティアガイドの方が立っていらしたので、説明をお願いして、約30分かけて一緒に建物を巡った。

ここで聞いた話が私の知識のほとんどです。

Dscf5575_2

帝国ホテルは主に大谷石とスクラッチタイルの二つの材料、そして幾何学模様のテラコッタによって構成されている。
大谷石は外観以上に、内部にたくさん使われている。柔らかいことと、日本人の職人の腕がよいことで、かなり細かい細工が施してある。上の画像の右手後ろに食堂が続くのだが、そこは復元されていない。その食堂の大空間を支える柱上方に設置された方杖(ほうづえ)の大谷石が2階の一部に再現されていた。巨大な大谷石細工をひとつだけ間近で見ても凄いのだから、高い天井を支える列柱の上方にずらりとこの方杖が並んだ実際の食堂空間は壮観であったに違いないだろう。

吹き抜け以外のロビーの天井の低さ、スキップフロアを上がって行くことで吹き抜けロビーの見え方が変化する様、外の光の取り込み方、内照式の柱自身による陰翳は説明しても伝えきれないので、現場でこそ実感すべきものでしょう。
ちなみにライトの建築は、バリアフリーではない。階段の上がり降りで目の高さが変わり、景観が移り変わる。それを楽しむゆとりを持ちなさいということのようで、つまずいたりするのは全部、自己責任ということになっている・・。

Dscf5679

上の画像は車寄せ部の「スクラッチ(引っかき傷)タイル」のアップです。
左が実際の帝国ホテルに使用されたものを解体時に保存し、復元時に再利用したもの。
右が復元時に量産された規格品。味わいも色も明らかに異なる。

ライトはヨーロッパ文化を象徴するようないわゆる大理石による神殿式や赤褐色のレンガ積みではなく、マヤ文明の宮殿のような明るいオレンジ色のレンガを作るため、愛知県知多半島にある内海の土を使い、常滑に帝国ホテル専用のレンガ工場まで作って品質管理をしたそうだ。
そう、内海って、子供の頃よくいった海水浴場だ。それにこの明治村のある愛知県の地元じゃないか。急になんだか親近感が湧いてきた。

この話をボランティアの方から聴き、自宅に帰ってから調べてみた。
常滑といえ赤い土管や朱泥の急須で有名な常滑焼きがあり、伊奈製陶と何らか関係があるのかなと。なんと、ライトの厳しい品質要求に適うテラコッタを製作した工場の従業員を技術顧問をしていた「常滑の伊奈家」が土管工場に受け入れ、伊奈製陶株式会社を創業した、とあった。
現在の世界最大のタイルメーカーであるINAXが帝国ホテル建設に伴う大量受注を契機に家内工業的な窯元から近代的企業へと発展していったのだと初めて知った。

帝国ホテルの明治村への移築についてのエピソードも興味深かった。
そもそも大正時代の建築なのに、明治村になぜ移築することになったのか。
関東大震災でも被害がなかった要因であった短い杭の浮き基礎は、その後の周囲の高層ビル建設による地下水のくみ上げで建物が歪んだり、大谷石の劣化で雨漏りが著しいなど老朽化が進んでしまったことと、大阪万博のために来日する外国人にために収容数の多い建物への立て替えが必須となったからのようだ。帝国ホテルの解体がきっかけに初めての保存運動「帝国ホテルを守る会」が起こり、その後日本が近代建築も保存の対象として考えるようになったのだそうだ。
当時の首相、佐藤栄作がアメリカを訪問したときに、「帝国ホテルは明治村で保存します」と言いっちゃったことで、話が決まってしまったという。
しかし、解体から復元まで11年。ライトの描いた図面もなく、実測で新たに図面を起こし、解体した部品全部を運んではお金がかかるので大谷石の一部をプレキャスコンクリートで再現し強度と耐久性を両立したり、スクラッチタイルもあらたに外装用に量産復元、現代の建築基準法に合わせたりとその経緯は険しかったようだ。
ちなみにかかった経費11億円うち政府が拠出したのは1000万円だけだそうだ。

当時いろいろスキャンダルにまみれて仕事の少なかったライトは、日本でいい仕事をすればその後いい注文が来ると思い、帝国ホテルの仕事に精力を費やしたそうだ。しかし、日本での仕事の途中で帰国後もそう上手くはいかなったとのこと。その後、代表作である落水荘まで十数年かかる。

私がライトの建築に実際に最初に触れたのは1986年に訪ねたニューヨークのグッゲンハイム美術館だ。帝国ホテル竣工から20年後に委託を受けてから建物の竣工までに10年以上をを費やした「後期の代表作の一つである。マンハッタンの幾何形態の中に「有機性」を具現化したその建築の中央の吹き抜け空間に佇んだ時、そのエネルギーに圧倒された印象が今でも鮮明に蘇る。

ライトの作品が日本にあるのならば それを一度は触れてみたいと思っていて、それが適った。

明治村での一番人気であり、顔とも言える建築物が大正時代の建築である帝国ホテルであることはちょっと皮肉だが、時代を超えて、いい物はいいと感じることができるのも貴重な事実だと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月 7日 (金)

博物館 明治村

Dscf5630

今週一週間は夏休みである。
実家のある名古屋へ二泊三日の帰省の折、長年の懸案であった「博物館明治村」を訪ねた。

明治村というのは、各地の壊され消えゆく運命にあった明治時代の建築物を移築し、展示保存することで当時の歴史や文化を今日に伝えようとする屋外展示体験型博物館である。

私自身はたしか開村後すぐ、小学生の頃に一度訪ねて以来だから実に40年ぶりくらい。
当時はまだ展示建築もそんなに多くなかったと思うのだが、記憶にあるのは動態保存の京都市電(明治43年製)に乗ってたどりついた品川灯台((1870年(明治3年)点灯、現存する洋式灯台では日本最古)と、京都聖ヨハネ教会(1907年(明治40年)築)くらい(いずれも重要文化財)。

明治村の規模は、開村時(1965年(昭和40年))の展示建築が15件だったのが、現在は68件に、敷地面積も二倍近くの100万平方メートルにまで拡大している。村も1丁目から5丁目までの5つの区画に分けられそれぞれの区画に飲食店を新たに配置、その間を村営バスが15分間隔で運行されるなど充実が図られていた。

後述するボランティアガイドの方の話によると、1970年台のピーク時には年間150万人の入村者があったのが、最近は40万人に減ってしまっているそうだ。しかし、減少に歯止めをかけるために、ただ建築物を見せるだけではなく、明治時代の実際の部屋の使われ方を実感できるよう、当時の什器やテーブルウエア、食事の再現したものを置くなどの工夫をはじめたり、平成14年からは平均年齢55歳の70名ほどが参加する「ボランティア ガイド制度」を導入、平成19年以降の子供向けプログラムの充実などで、徐々に入場者も上向きなのだそうだ。

私の今回の目的はフランク・ロイド・ライト設計による「帝国ホテル中央玄関」を堪能することだった。実はこの帝国ホテル「ライト館」のオープンは大正12年9月1日(関東大震災当日)であることはあまりにも有名。だから明治の建築物ではない。しかし、今や明治村の物理的にも最大の建築物にして、世界から人を引き寄せることの出来る最大の呼び物であることは動かしがたい事実だ。

これについては、別のエントリーで詳しく書くことにする。

さて、下の蒸気機関車は新橋ー横浜間を実際に走行していた1874(明治7年)年イギリス製だ。開村当時は(私が初めてここに来た時も)静態保存されていたが、ボイラーを動態保存のため載せ替え(オリジナルのボイラーが鉄橋下に展示してあった)、製造100年を機に1974年から明治村内の東京駅、名古屋駅間約800mを5分程かけて威勢のいい汽笛を鳴らし、黒煙と蒸気を上げながら走っている。片道走り終えると毎回客車から手動で連結を切り離し、さらに手動のターンテーブルで方向転換し、ポイント交換を経て平行線を走り、バックしてまた先頭車両に付け替えるという一連の操車作業が見られる。機関士2名と車掌の見事な連係プレーを次女と二人でほぼ貸し切りで見物してしまった。もったない程贅沢である。動態保存していること事態が素晴らしいのだが、走っている姿を見せたり乗り心地を味わうことだけが目的ではなく、合理性と安全性が追求された現代ではほとんど目撃できないその仕事振りから、鉄道の仕組みや鉄道マンの心意気までを具に感じとるコトが出来るこだわりは凄い。

Dscf5683

Dscf5664_2

鉄ちゃんではないので、話を本題に戻そう。

夏の名古屋は暑い。つい先日梅雨が明けたばかりで、それまでは雨が降り続いていたというが、そんなことは微塵も感じさせない猛暑日だった。木陰はあっても広大な村内を徒歩で移動するだけで、熱中症になってしまいそうだ。また建物そのものに説明は少なく、音声が流れている訳でもない。その分、ボランティアによる参加無料のガイドツアーが充実している。

ということで、2丁目ガイドツアーと帝国ホテルガイドツアーを利用した。

2丁目ガイドツアーで解説をしていただけたのは私とほぼ同年代と思われる女性の方だった。2丁目にある第四高等学校(金沢)物理化学教室の見学コースでは、建物の構造の珍しさだけではなく、第四高等学校の同窓会で意気投合しこの明治村創設に関わった二人のエピソードも聴くことができた。一人は有楽町の帝国劇場、竹橋の東京国立近代美術館を設計した東工大教授の谷口吉郎と、もう一人は名古屋鉄道社長・会長を歴任しパノラマカー、モンキーセンターで有名な土川元夫である。地元民として名鉄の話題は避けて通れない。同行した両親は「名鉄 中興の祖」の話にしばし高度経済成長時代を懐かしんでいた。

ガイドさんは穏やかに、そして見学者の年齢や知識、興味のあることころのペースに合わせて解説してくれるので、とても分かりやすいのである。プロではないが、だからこそ本当に明治村を一緒に楽しみましょうという気持ちが伝わってくる。約30分程で3階建ての木造住宅である東松家(明治34(1901)年頃築)に到着し、建物内のガイドにバトンタッチとなった。

Dscf5594

次に建物内を案内してくれたのは職場体験実習中の中学2年の女子中学生だった。次女と同学年なのになんとしっかりと、また堂々とした案内振りだろう。さらにその説明をよく聞いてみるとこの建物が名古屋市中村区船入町の堀川沿いにあったものだという。そう、私が幼稚園から高校まで過ごした実家のすぐ近くなのだ。今でもこの辺りに四間道といって間口が狭く奥行の深い典型的な町屋形式の古い家屋が所々残る場所なのである。小学生の頃、同級生の友人の家は3階建てじゃあなかったけど、2階建てながらこんな造りだったなあ、と懐かしさ一杯な見学となった。

Dscf5595

ここにも明治村らしいこだわりがある。エジソンが発明した炭素フィラメントの白熱電球の復刻版を使用しているのだ。窓から入る外の光と、当時の電球の灯りだけでその部屋や廊下、階段の明るさを実感してもらうということのようだ。明るさだけでなく、障子や襖、欄間の彫りなどがはっきり浮かび上がって見えてくるし、吹き抜けの高さや、3階の間へ上がった時の開放感なども味わい深い。

ちなみに日本では、明治27(1894)年に国産のカーボン電球が開発されたが、一般の家庭で電灯が広く使われるようになったのは、東芝の前身のひとつ東京電気株式会社がタングステン電球「マツダランプ」を発売した明治44(1911)年、以降からだそうである。

まさに陰翳礼讃の実体験だ、

 

Dscf5657

今回はあまりにも暑かったことと、昭和一桁生まれの両親が一緒だったので、村営バス、京都市電、蒸気機関車といった交通機関をフル活用しつつ、かなり絞って見た。

駐車場すぐ横に北口から入村するとそこは東京駅だ。駅を横目に通路を進めばそこはもう帝国ホテル前なのだ。私のわがままだけでまずは帝国ホテルを見た。

そして一通り巡って、蒸気機関車で東京駅に戻ってくると最後にもう一度帝国ホテルをガイドさんに案内していただきながらもうほとんど貸し切り状態で堪能したのでした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 5日 (日)

徒然草 第五十五段

Dscf5089

家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比わろき住居は、堪え難き事なり。

日常の生活は春夏秋冬の自然の織り成しの中で営まれいる.
そういう事実と経験から、日本の家屋は「夏を宗とすべし」と言い伝えられている。
徒然草の時代には、東北や北海道のことは視野に入っていなかっただろうけど。

厳しい冬を過ごす知恵よりも
湿気が多い梅雨や暑い夏を快適に過ごすことを優先して考えよと。
温暖化が進むのならなおさらか。

Dscf5088

クーラーも扇風機も無い時代の知恵と言ってしまえばそれまでだが
エネルギー効率を優先しながら快適に過ごすために
マンションをはじめ ハウスメーカーの住宅は
外気からの断熱性を高め、空調により室内の温湿度を保つことで
快適な空間を生み出すことを前提としている。
24時間運転で空気を循環させて
見えないところに湿気を溜めないよう、さらに温度差を作らないようにして
結露やカビを発生させない。
こうして人の快適さと建築寿命を延ばすことの両立を謳っている。

長い目で見て健康にいいようであり、省エネであるかのようだ。
これは、裏を返せば様々な立地条件の中で工業化、規格化したものを提供する側の
効率優先の論理でもあると思う。
もう一方で需要側にとってもどんな地域であろうと
低価格で効率的、質の高い快適な住居を入手できるという便利さを享受できるのだから 、現代社会におけるユーザーニーズそのものであもる。

強い直射日光のビルやアスファルトからの照り返し、
クーラーの室外機からの熱も加わり、まさにヒートアイランド現象の都会。
内燃機関の車からの廃熱も加わった熱風に見舞われる都市においては、セキュリティも考慮すれば外気との遮断は必然的だ。

でも 本来なら室内からの発熱や汚れた空気を逃がすために、風通しがいいに越したことはないし 、地域、風土、季節に密着した風の道の条件を理解した上で住まう場所を探し当てたり、そこにあった建物を建てることで心身ともに快適かつ健康に住まうことができるはず。 
狭い日本の国土、特に都会を高度に有効活用するためには、海の上だったり、沼や河川敷だったりした場所の上空までを住まいにしてしまうことで、風の道を考える前に外からの空気を断って、合理的に空間を確保する技術開発が必要だった訳だ。

夏と冬で異なる日射しの角度を利用するための長い軒すらも、都会の狭い土地では省略して合理性と効率をひたすら追求せざるを得ないという現実が、本来のあるべき姿を忘れさせてしまってはいないか。

生産性を優先した働く空間を設ける場所と、自分の時間を大切にする衣食住の空間とその場所は、それこそ異なるはずなのに。

少なくとも日本の風土における住宅や都市計画は、
「夏を宗とすべし」を避けて通るべきではないのでは。

我が家はコンクリートの集合住宅なのだが、
選択の理由に それまでの経験から
風通しのよさ、軒の深さはかなりの優先度が高かった。

幹線道路に面していないこと(排気ガスが上がってきて 気分が悪くなったことがある)、ユニットバスであっても窓があること(湿気のある密閉空間の手入れ、カビ対策は大変)、 南北または東西の窓を開けることで風が抜けること (一方が開放されても、反対側を開けないと風は換気されない)、ベランダの奥行きは軒と同じで夏の日射しを避けることになる、などなど。

集合住宅のよさは、上下左右が住戸に囲まれているので冬の断熱性は抜群である。だからこそ、夏を宗とすべし と思った訳である。

いずれにせよ、合理性の追求だけではなく、せめて住まいには気候風土に合った建築のあり方、四季折々の営みを一人一人がもう少し意識していかないと、本当のエネルギーの効率的な使い方にはならないと思う。

特に都会に住む日本人の感性はとても鈍っているのかもしれない。

七夕の夜、風に吹かれて星空を眺めてみましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月15日 (月)

あと4ヶ月

Dscf4739

隈研吾設計による立て替えで今年の秋に全面リニューアルオープンを目指している根津美術館。今年に入って外囲いが外れ、建物の全貌が外からも解るようになってきた。建物そのものは3月に竣工したそうで、今は秋に向けて内部の展示整備が進んでいるらしい。

植栽が次々と運ばれ、外溝も着々と整備されている様子。都会のオアシスの復活も間近だ。

Dscf4738

以前はお屋敷のような瓦を積んだ土壁が周囲を囲んでいたが、それも取り壊されて 見通しのよい竹林が登場していた。大屋根と鉄板の壁で構成された重厚な建物を囲む軽やかな竹林の縦列は、このあたりの印象を一気に替えている。

以前から入り口にあったシンボル的な桜の巨木も元あった場所の近くに移植が済んだようだ。が、かなり弱々しい印象。来年の春にはまた見事な花を咲かせてくれるのだろうか。

私にとって根津美術館といえば、国宝 尾形光琳筆「燕子花図」である。

初めて対面したときには言葉が出ない程の迫力に圧倒された。時代を超越したコンテンポラリーアートだと思う。

毎年、燕子花の美しく咲く頃に合わせた5月のGWを挟んだ時期に公開されるのが恒例で、以来会期初めのお昼休みに毎年訪れ、しばしの至福の時間を過ごしてきた。

それが2001年から修復に入り、2005年の秋に4年ぶりに特別展で公開され、さらに恒例の2006年の4月に展示された後、美術館そのものが3年半の長期休館となってしまった。2005年秋と2006年春の公開は貴重な機会だった訳だ。

いよいよ整備の進む敷地を見ながらの通勤、あと半年でまたご対面できるかと思うと、待ち遠しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月24日 (日)

建築の品格

Dscf4538

道ばたにもうコヒルガオが咲いている。

今朝のNHK教育テレビ「日曜美術館」は
建築の品格 建築家ヴォーリズの”愛される洋館”だった。

4月15日にこのブログのエントリーで紹介した
「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ  恵みの居場所をつくる」という展覧会の紹介だ。

展覧会ではパネルと模型、図面などとても充実していて、それらを通してヴォーリーズ建築とその人柄まで堪能できる充実した内容であった。

今日の放送では、建築家隈研吾氏の話がとても興味深く、何より現地取材によるハイビジョン映像での紹介、そして建築を愛する人々の生の声、表情が何よりも立体的で、より一層充実した内容になっていた。

豊郷小学校階段の手すりのウサギとかめのエピソード、そこで学んだ80歳になる元小学生の楽しそうに語る笑顔、そして、神戸女学院の信じられない程素晴らしい状態で使用に供している講堂、図書室。簡素でありながら豊かな、ひたすらそういう空間で学べることが羨ましい。

今でも 一粒ヴォーリズ建築事務所は、設計する建築家自身の人生が豊かであるために、家族と過ごす時間のために残業が無いそうだ。隈氏が「建築事務所では、残業しない人というのは変わり者扱いだけど、本来はそうあるべきだねえ」などと思想や技術、表現の先端を競うような現代建築のあり方への自戒を込めて、また学校の授業で教えることも無いヴォーリズ建築については、人間と建築についての根源的なところからデザインを考える姿勢をあえて見習うべき時代かもという発言が印象的だった。

建築というものを使用する人のためのことを考えて提案しているからこそ、使用する人達がそれを受け入れ、また大切に受け継ぎ、多くの人の共感を呼び、愛されている。
そういうことがあらためてよく感じられる番組でした。

再放送はNHK教育テレビ 5月31日(日) 20:00〜20:45 です。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 2日 (火)

夜の表参道

Dscf2910

元紀伊国屋インターナショナルの跡地に
11月5日、 地下の紀伊国屋だけプレオープンしたAOビル。

直方体ではない空に向かって広がるような外観と
LEDが仕込まれた外壁の息をしているかのようなライトアップが
不思議な雰囲気を醸し出していた。

12月に入って、一気にクリスマスバージョン。

表参道の空を切り取ってみると
22時というのに、空の低い雲に街の灯りが反射して
空の群青と人工的ながら巨大なオブジェがそびえ立ち
一体こことはどこなんでしょうと
ちょっと体験したことのないような異空間が出現していた。

設計は日本設計、コンサルタントは、古くはFROM 1stや東急ハンズ、最近では渋谷のQ-FRONTを手がけた浜野総合研究所と、かつての東急文化会館、最近では東京ミッドタウンガーデンサイトを手がけた坂倉建築研究所だ。

2009年春のグランドオープンには 何を仕掛けてくるのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 8日 (土)

実物大の原点体験

Dscf2677

安藤忠雄建築展
「挑戦ー原点からー」

2008年10月3日(金)〜12月20日(土)
11:00~18:00(金曜日のみ19:00)
休館:日曜・月曜・祝日

ギャラリー間

入場無料

主催:ギャラリー間

「住吉の長屋」は安藤建築の初期の代表作、そして今回の企画展の題名にもなっている「原点」だ。それが原寸大模型で展示してあるというのが展示の目玉だ。
安藤忠雄の建築を教会、美術館、商業施設、最近では東急新渋谷駅などで体感できる。しかし個人住宅となると外観を見ることが出来ても、居住スペースのスケール感を知ることはなかなか出来ない。行ってみるしかないだろう。
日が暮れてからではいけないのだ。あの長屋の中庭がどんな具合なのか、お天気のよい昼間にぜひ行ってみたかった。金曜日、東京ミッドタウンでの打ち合わせにいく機会を利用して乃木坂のギャラリー間を訪ねた。

ビルの3階・4階にある、ギャラリースペースに幅3.3メートル、奥行14メートルの2階建 ての住宅がまさに埋め込まれていた。壁や階段の一部は本物のコンクリートで再現されているが、家具や設備は簡略化されながら多くはベニアで作られている。強度の関係で2階部分は回遊できないが、写真や図面だけでわからない建物のスケール感、狭小感、中庭からの光の入り具合がまさに実感できる。
施主の要望は3割しか聞かないという安藤氏。2階の寝室へ行ったり、寝室からトイレに行く時、雨の日には傘をささなければならないという導線はで伝説のように語られあまりにも有名だが、無 駄をそぎ落としたシンプルな構成美と、そこで生活をする住人が「何を喜びとするかは、そこで過ごすヒトの価値観の問題である」という安藤氏の言葉を確かめ、原点を体感できる好企画である。

他に10件程度のプロジェクトが、建築模型とともに紹介されている。

上の画像、ギャラリーが入っているTOTOの青いビルと左側のレンガ色のビルの隙間に、ベニヤ囲いのようなモノが見える。これが「住吉の長屋」の原寸大模型の外観である。
外に出っ張っているので、雨の日には、まさに中庭に雨が降るのだ。
原寸模型というだけじゃなくて、建築に相応しい展示方法を実現している。
小粒ながら自然と建築の共生を体現しようとする安藤氏らしいダイナミックな展示会だ。




| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月27日 (水)

太陽の塔

Dscf1829

夏休みに自家用車で旅行した際、名神高速から中国自動車道へ入る吹田ジャンクションで間近に見えた 「太陽の塔」の実物の迫力と存在感の印象が頭から離れない。

1970年の大阪万博は、家族でもの凄い早起きして、名古屋から名神高速を通って高速バスで日帰りで行った。小学校3年生の時である。

高速バスの中から太陽の塔が見えた時の興奮というかワクワクは、鉄腕アトムの世界が現実になったような感じだったというかすかな記憶だ。
どこも2時間待ちなんていう行列も初体験ながら、アメリカ館、ソ連館、カナダ館など外国館の展示は今でも記憶にある。キッコーマンの水中レストランで夕食を食べたなあ。
太陽の塔は結局 中に入ることはできなかったが、そのモニュメントの強烈なインパクトは、岡本太郎という名前とともに私の頭に刻み込まれたのである。


万博記念公園の太陽の塔は1995年に修復工事され、永久保存されることになっているそうだ。

映画「20世紀少年」の公開が迫り、キーとなる「よげんの書」のなかに登場する「太陽の塔 」がこの映画の象徴の一つとしてプロモーションにも使用されることで、ここのところ世間への露出度も高まっていることもあって気になる。本物はもっと凄いはずだったと。

実は原作者の浦沢直樹とは同じ1960 年生まれ。彼は早生まれなので学年は一つ上になるし、「20世紀少年」の主人公のケンジも1969年時点で4年生なので一つ年上だが、「ケンジ世代」とひとくくりにされても仕方ない。「ウルトラマンシリーズをリアルタイムで初代(1966年)から見ている」「月面着陸の生中継(1969年)を夜遅くまで起きてみていた」「大阪万博で月の石を見るために並んだ」ことを自慢する世代を万博世代、というのだそうだ。ど真ん中だ。ケンジが中学校の放送室を占拠して流したのはT-Rexの「20th Century Boyだ。中学校で放送部だった私は昼休みに禁止だったロックやポップスを合法的に流しちまったとか、ローリングストーン、ディプパープル、クイーンを箒のギターで真似したとか・・・。ロックは不良だった。

あああ、なんだか懐かしい。温故知新。

そこで 久々に晴れた昼休みにランチもとらずに会社の近所の「岡本太郎記念館」を訪ねてみた。

岡本太郎記念館開館10周年記念 「太陽の塔−万国博に賭けたもの」展

2008年4月23日(水)〜8月31日(日)
10:00〜18:00
火曜日休館
岡本太郎記念館
東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線 表参道駅より徒歩8分 
都営バス(都01系統) 新橋駅行 渋谷駅行 「南青山七丁目」下車徒歩5分
観覧料 一般 600円 小学生 300円

ギャラリートークもまだあと1回あります。
第三回 8月31日(日)13:00/15:00 (予約不要)
展示解説を交え、「太陽の塔」誕生のドキュメントを深くたどっていきます。

「人類の進歩と調和」
1970年に大阪で開催された日本万国博覧会のテーマだ。
それを具現化するテーマ館であり、岡本太郎最大で傑作の彫刻作品が「太陽の塔」だ。
大阪万博を象徴するモニュメントでもり、誰もが科学による豊かな未来を信じていた日本の高度経済成長時代と科学ではどうにもならない生命のエネルギーとのコントラストをも象徴するモニュメントといっても過言ではないと思う。

Dscf1827

今回の展覧会の目玉は、何といっても新たに資料庫から発見された400枚におよぶスケッチの中から展示されている最初期の数十枚のスケッチだろう。
その生々しい筆跡の力強さからも溢れるエネルギーや意気込みから創造の苦悩までが感じ取れる。 1/50サイズの原型モデルをはじめ岡本太郎自身のことばや当時の「太陽の塔」の全貌を紹介した映像、 そして何より スケッチの数々は「べらぼうなものを作る」と公言した 岡本太郎の思いを体感できる空間になっている。

Dscf1821  

Dscf1824

頭頂部に黄金に輝く未来の太陽、中央部の現在の太陽、背後にある黒い顔は万博の守り神的「過去の太陽」だ。
それらを模型とマケットでじっくり間近にあらてめて鑑賞できる。
今は遺跡のように 特別公開でしか見ることができない内部「生命の樹」の様子もパネルで見ることができるが 、こうなると、一度やっぱり本物を見てみたいという衝動が沸いてくる。

Dscf1834

記念館は太郎の元アトリエ兼住居であり、ブロックを積んだ壁の上に凸レンズ形の屋根をのせたユニークな名建築はル・コルビュジェの愛弟子だった坂倉準三の設計だ。
ある意味そのストイックで無機質な建築と有機的で鮮やかな色彩の作品群のコントラストはお互いの主張を尊敬しあって、心地よさと緊張感が同居した空間だ。
1996年に没して後、ここは記念館として公開され、かつて多くのアーテイストが集ったリビングや、飛び散った絵の具の跡も生々しい創作活動の現場の雰囲気を今に伝えている。実は通勤途中の路地にあるこの建物の前を、私は毎日通っていたので、岡本太郎氏の生前は、何度かその姿をお見かけしたことがある。身近にありながら、特別な空間であった場所に、あえて展覧会として入るのも不思議な感じだ。

Dscf1837

記念館の入り口には、訪れた人たちの感想が自由に書き込めるスケッチブックが置かれている。 覗いてみると、色鮮やかにダイナミックな太陽の塔がいくつも子供たちによって描かれていた。 岡本太郎氏もあのギョロとした目を細めて微笑みそうな最高のメッセージだと思った。

Dscf1839

まだ夏休みなので、親子連れも多く、庭に子供たちの歓声と鐘の音が響いていた。
都会の中の小さなオアシスである。
ぜひ、一度訪ねて 皆さん エネルギーをもらって元気になりましょう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 7日 (木)

イサムノグチ庭園美術館

Dscf0445

旅の4日目は、瀬戸大橋を渡り、四国に入った。
目指すはイサムノグチ庭園美術館である。
ここの見学は、火・木・土曜日の10時13時15時からと曜日と時間が決まっており、なおかつ往復はがきで事前に予約をしなければならない。料金は大人2100円でガイドツアーによる約1時間の見学である。興味、関心のない人、ふらりと思い立ったからというヒトにはハードルが高い。観光案内やガイドブックにも載っていないので、知るヒトぞ知る、イサムノグチ詣での聖地のようなところである。

国内でイサム・ノグチの彫刻を見ることができる場所はここ以外には、2002年のグドデザイン大賞を受賞した札幌の郊外にあるモエレ沼公園がある。札幌出張の折に、当時のボスと二人でタクシーを飛ばしてその壮大なスケールを味わった覚えがある。
2005年秋には東京都現代美術館で大規模なイサムノグチ展が開催されたり、その翌年には横浜市美術館でもイサムノグチ展があったので、記憶にあるヒトも少なからずいるだろう。
私はその二つとも行き損ねているのだが。

Dscf0451

ここイサムノグチ庭園美術館は非常にわかりにくく不便な場所に位置する。なぜなら、美術館としての建物ではないからだ。まさにイサムノグチの創作の現場だからである。高松から牟礼の町に入ると石材店が軒を連ねる。石屋さんの続く細い道を抜けると集合場所の建物にたどり着く。虫除け、日よけの麦わら帽子などもも用意されている。30分ほどビデオ鑑賞しているとほどなく出発時間になる。今日の見学者は20人くらい。美術館の人の説明を聞き、後についてきれいに竹箒で掃き清められた道を歩く と美術館にたどりつく。

美術館といっても、イサムノグチ自身が1969年からこの地にアトリエと住居を構え、1988年12月30日にニューヨークで没するまでの20年間、ニューヨークのアトリエと行き来しながら創作活動をした場である。この場所には主に春と秋、季節の良い時期だけ滞在していたそうだ。

まず案内されるのは作業蔵と、作りかけの彫刻、完成した彫刻がイサムノグチの意思で配置された庭である。整理された道具が並べてある蔵や彫刻の周囲を歩いているとふと横からイサム・ノグチが今でも歩いてでてきそうな雰囲気なのである。圧巻は代表作であるエナジーボイドを納めるために愛媛から移築したという展示蔵だ。通り抜ける涼しい風に吹かれながらいつまでもエネルギー溢れる彼の作品に触れていたい気持ちになる。その後、彼が暮らした「母屋」、母屋の奥にある「彫刻庭園」を見学する。母屋の中には入れないが、イサムノグチが暮らした当時の姿のまま保存されている玄関や格子戸からお庭や室内をのぞいて鑑賞する。 解体される予定であった古い日本家屋を移築し、彼自身が暮らしやすいように畳と床の高さを調整するなど改装された居住スペースには、彫刻作品やAKARIが置かれて、高い精神性が伝わってくるようであった。

母屋の裏山にあった段々畑に盛り土をして創作した「彫刻庭園」は.花見や月見をしたプライベートな公園だったそうだ。小山を登ると牟礼の街、瀬戸内の海が見渡せた。娘と二人で水筒からお茶を飲んで一息つく。(飲食は禁止だが、暑いので水分補給は推奨していた)

音楽を演奏するとき、楽譜から音を作り上げる再現芸術ということを意識せざるを得ないことがある。そのときは、作曲家の意識を生き様や時代背景などから推察するアナリーゼをしたりする。アートは再現芸術ではないが、作者が生前、どんな環境で創作活動をしていたのか知ることは、その作品群を鑑賞する際、大きな手がかりになることは確かだ。

そのときその人が何を考え、何を目指していたのか。
そうすることで、今度は自分自身が何をすべきなのか、考えるきかっけにもなる。

美術館手前の山椒山公園にはイサム・ノグチがデザインしたプレイスカラプチャーとシーソーの遊具が2点設置されていた。遊んでいたのは 先ほど一緒に見学していたカップルだったりするのだが、イサムノグチは日常生活の中にアートを持ち込むエレメントとして数多くの遊具も創作している。横浜のこどもの国やモエレ沼公園に行くと、子供達の遊ぶ姿から既成の概念ではない形の面白さに気づかされる。

イサムノグチの作品からはいつも多くのメッセージが発信されていると思う。

Dscf0454

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 6日 (水)

海の駅なおしま

 Dscf0249
Dscf0247

倉敷から1時間で宇野港に到着。
そこからフェリーで20分。
赤いカボチャが近づく桟橋に見えてくる。
そして巨大な屋根が細い白い柱だけに支えられた様に見えるシャープな建物の中に向かって、フェリーから車を滑り込ませる。そこはSANAA設計で2006年10月にオープンした「海の駅なおしま」だ。もうこれだけでワクワクである。
構造を観察する。白い柱だけで支えられていたと思っていた屋根は、所々の要所に配置された鏡面の壁でも支えられてる。券売所、案内所、カフェなどが入ったガラスボックスの内部も高さ4mの空間がすっきりと明るく見通しがよい。白を基調としながら直線と金属、コンクリート、ガラスで構成されたシャープで斬新な建築は、金沢21世紀美術館でも感じたように機能や行動がきっちり配置されていることだ。この直島に出入りする交通量やこの施設を利用する人々の導線、視線、気持ちに配慮しながらゲートとしての機能をダイナミックかつ繊細な表現で風景に馴染ませてしまっている。見事だ。

Dscf0258

Dscf0399 Dscf0334

Dscf0400

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 5日 (火)

大原美術館

Dscf0126

旅の第二日目は大津から倉敷に移動。
我が愛車で名神高速道路から中国自動車道、山陽自動車を走るのは初めてである。話には聞いていたが吹田ジャンクションで太陽の塔があんなに間近に見えるとは思わなかった。大阪万博以来の再会を果たして感動ものだった。運転をしながら横目でちらりと見る私よりも、助手席の中一の娘がこのインパクトのあるモニュメントを1コマ納めようと必死で写ルンですを構えていたのが面白かった。機会があれば岡本太郎記念館に連れて行くことにしよう。

倉敷と言えば大原美術館。日本最初の西洋美術中心の個人美術館である。昭和の初めに、倉敷紡績の第二代社長だった大原孫三郎は日記に「余がこの資産を与えられたのは、余の為にあらず、世界の為である」と記しているように、私財を投入して大変多くの公共事業を手がけた。その一つが大原美術館である。大原美術館と言えばエルグレコの受胎告知。これがこの美術館の看板作品であることは疑いの余地はない。しかし、私にはやはりこの美術館の幅を決めたというレオンフレデリクの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」を間近に見たインパクトの方が強烈だった。絵も大きいが、題名も長く、世紀末美術の神秘性を超えた象徴性は一見の価値ありである。

Dscf0127

美観地区の歴史的建造物の中でこのギリシャ神殿風は正直ちょっと違和感がある。この建物の設計は大原氏の奨学金を得て東大を出た建築技師、薬師寺主計算(やくしじかずけ)であり、留学の際、まだ無名だったル・コルビジェを訪問し、彼の重要性を認め日本に紹介した人物だそうだ。

外は暑いので、音声ガイドを借りて館内をゆっくり鑑賞し、分館、工芸東洋館もすべて回る。ただし、 米蔵を改装した工芸東洋館とアイビースクエア内の元工場を改装したクラボウ記念館は冷房がないため、直射日光を遮ることはできるが、蒸し風呂のように暑い・・。大丈夫なのか所蔵品・・。

Dscf0218

「倉敷アイビースクウェア」は、その名の通りアイビー(蔦)に覆われている。倉敷紡績の創業工場跡地をリノベーションした宿泊施設である。工場当時から真夏の暑さを減らすために蔦で覆い、井戸水を循環させる冷房装置もあったそうだ。、環境負荷の少ない冷房方法を実践していたことになる。今では環境問題のお手本のような建築なのである。

美観地区の夜は早い。18時を回るとほとんどの店が閉まり、観光客も姿を消してしまう。
テーマパーク貸し切り状態のなのである。
観光用の川舟が30分おきに定員6名で運行されている。
夕陽が町並みに隠れ、川面が少しは涼しくなる頃に乗ってみた。
年配の船頭さんがゆっくりと舟を漕ぎながら、東京方面からのリタイアされた老夫婦、私たち親子、そして海外在住帰国中の大学生と言う観光客に、やさしく歴史を語ってくれる。
なんともゆったりとした時間が流れ、二日目の旅を終えたのである。

Dscf0160


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 4日 (月)

旧八幡郵便局

Dscf0036

夏休みを利用して、自家用車で旅に出た。
7時40分、横浜の自宅を中1の次女と二人で出発。
テーマは建築とアートを堪能する。
単に私の行きたい所に行くだけのわがままな計画の決行だ。

次女は関西方面に初の旅行(京都まで行ったことがあるが)をするとうので、日本脳炎の予防接種も受けている。準備万端だ。

東名高速を順調に西に走り、上郷サービスエリアで上郷名物「手作りカレーパン半熟卵入り」なるものをランチに食べる。名神高速八日市ICから一般道を走り、最初の目的地である近江八幡市の市営多賀観光駐車場には、一番暑い時間に到着した。駐車場に車はわずか数台、街を散策する人影もほとんど見かけない。

ここで一番に見学したかったのは電話予約が必要な「ヴォーリズ記念館」である。
月曜休館であることは知っていたが、諸般の事情により日曜出発を月曜に変更したため諦めた。猛暑の中、外観だけをじっくり眺めさせていただいた。
ヴォーリズ建築を最初に意識したのは東京・お茶の水にある大正14年に竣工した「主婦の友社ビル」である。私が知っている「主婦の友社ビル」は1987年に磯崎新氏の設計によってファサードの外形骨格と一部のオーナメントのみが復元されて「お茶の水スクエア」として立替られた現在の姿である。ここに日本初の民間が運営するクラシックの室内楽専門ホールとして「カザルスホール」がオープンした。ホールの独自性(世界初のビオラのための企画「ビオラスペース」を成功させた)と、そのシンプルながら重厚な外観をもつこの建築は私を魅了した。2003年に日本大学がこのお茶の水スクエアとカザルスホールを買収し運営されている。近くにあるアールデコ風な「山の上ホテル(1937年)」が現存するヴォーリズ建築そのものであることを暫くしてから知った。そして6年ほど前、横浜に唯一現存するヴォーリズ建築である「横浜共立学園本校舎(1931年)」の内部に入る機会を得た。「使う人の立場になって設計をする」というヴォーリズ建築の特徴を実感した。その後、北海道への家族旅行の途中で、北見にある「ピアソン記念館(1914年)」を訪ねたり、大阪出張の際は心斎橋の「大丸百貨店(1933年)」をなめ回すように見学したりしてきた。 

ヴォーリズとは、今では誰でも知っている「メンソレータム」の会社を作ったヒトといえば、わかりやすいだろう。熱心なキリスト教徒としての伝道活動とともに社会教育、出版、医療、学校教育などの社会貢献活動を行いながら、それを支えるために建築設計会社や製薬 会社などの企業活動を展開した。建築の設計はアマチュアだったそうだが、アメリカ人建築家の協力を得て海外の 技術を吸収しながら基礎を確立し、住宅を はじめ学校、幼稚園、教会堂、礼拝堂、YMCA、YWCA、病院など1500〜1600件の建築を手がけたと言われる。合理性と簡素さを両立しながらも、日本の風土に馴染んだ親しみやすい様式が多くの人々の共感を呼んでいるのだと思う。2008年は、ヴォーリズが建築設計事務所を開業してからちょうど100年に当たる年なのである。

近江八幡にはヴォーリズ建築が多く現存している。
そのうちの一つ、旧八幡郵便局は現在NPO法人・ヴォーリズ建築保存再生運動「一粒の会」の事務局として、そしてギャラリーとして保存再生活用されながら一般に公開されている。

Dscf0024

Dscf0026

1階はほぼ改修が終わっていたが、中庭に出てみるとまだまだ途中であることがわかる様相だ。ギャラリーの店番の方とお話をしながら、2階も見せていただけないかと申し出てみると、こころよく階段の先の扉の鍵を開けてくれた。窓の開いていない2階は、熱気がこもり立っているだけでも汗が滴り落ちるような状況だったが、せっかくのご好意に、資料のパネルやらゆっくりと見せていただいた。それでも床に穴があいていたり、壁が一部崩れたりと、改修はまだまだこれからの様子だ。

Dscf0037

最初の画像は、この2階の奥の扉にあった水晶のドアノブだ。
1階の局長室の扉の紫水晶のドアノブは有名だが、2階のは薄桃色だった。こういうディティールが面白い。

Dscf0040

しばし、1階のサロンで通り抜ける風にあたりながら流れ落ちる汗が収まるのを待ち、朝、自宅で入れた冷たい麦茶を入れた水筒を飲み干した。

このあと、 ヴォーリズ建築第1号である「アンドリュース記念館(旧YMCA会館)(1907年)」の外観を見る。ここは一昨年に再生のための改修工事が行われ、高齢者や障害者などの介護予防拠点施設として蘇っていた。中からは清楚な合唱の声が聞こえてきて、地域住民に親しまれる介護のモデル施設として先導的な役割を既に果たし始めていることが実感できた。

何せ関西は暑いのである。
わしゃわしゃと、クマゼミの合唱も凄い音量で、暑さに輪をかける。
途中、いろいろ道草を食いながらも何とか丹下健三建築のホテルに到着。
夕陽を眺めながら第1日目の旅を終えたのである。

Dscf0104

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月31日 (木)

鳥の巣

Dscf1686
Dscf1687

ニュースで北京オリンピック開会式リハーサルが行われたという映像が頻繁に流れた。
今 ヒット中の映画「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」の監督、スティーブン・スピルバーグが、依頼されていた北京オリンピックの開会式/閉会式のアーティスティック・アドバイザーを中国政府の政治的な対応に不満で2月に辞退することを表明したことを思い出した。開会式の総合演出はカメラマン出身の映画監督、張芸謀(チャン・イーモウ)氏が担当しているという。美しいドラマティックな演出を期待したい。

会場となる「北京国家体育場」はその独特の凝った建築デザインから「鳥の巣」の愛称で呼ばれる。スイスの建築家ユニットヘルツォーク&ド・ムーロンの作品だ。日本では表参道のプラダブティック青山の建築設計で、表層だけではなく内部構成から構造までが一体となったその衝撃的な存在感で一躍有名になった。
彼らの初期の作品は ミニマルアートを代表するドナルド・ジャッドの彫刻作品のように簡素な造形だったという。多くの試行錯誤の上、このようなユニークな表現を実現したその過程は興味深い。プラダブティック青山店の前を日々通る度に周囲の環境の影響を受け、そして周囲への環境に与えながら刻々と異なる表情を見せる姿は秀逸である思う。

さらにそれを遥かにしのぐ規模の巨大な記念碑的施設である“鳥の巣”は、一体周囲、観客、選手達にどのような表情を見せてくれるのだろうか。彼らユニットが鳥の巣を完成させるまでの一部始終を記録した、ドキュメンタリー映画が8月2日から渋谷のユーロスペースで公開される。これは興味深い。建築関係者である身分証明証を見せれば割引になる「建割」なる特別割引(200円引き)があるのも面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月22日 (火)

ここはパリ?

Dscf1565

日本で一番フランス人が多い街は?
多分 神楽坂でしょう。
日仏学院があるから。

上の画像は、知るヒトぞ知るフランス書籍専門書店”欧明社・リヴ・ゴーシュ”。
パリの街角 そのままです。
中に入ると、レジ番のヒトもフランス語の新聞を読んでました。

Dscf1586  

傍らには ここも知る人ぞ知るフレンチレストラン ラ・ブラッスリーがある。
日本とは思えない雰囲気、ロケーションにファッション誌の撮影が絶えないそうだ。
日本人向けの繊細なフレンチに慣れたヒトにはちょっと大味だがカジュアルでリーズナブル、ネイティブの太鼓判付きだ。その証拠にランチタイムの6割はフランス人だとか。

Dscf1578

ここは フランス政府の公式機関であり、語学学校、文化センターを兼ね備え、様々なイベントがいつも開催されている誰にでもオープンな 情報発信基地だ。

そしてもう一つ興味深いのは、この建築がコルビジェの弟子であった坂倉準三の現存する数少ない現役の建物であること。

Dscf1571
Dscf1588

Dscf1590

1951年に竣工した部分、二重螺旋構造の塔の中にも自由に入れてその不思議で美しい空間を満喫できます。窓のつまみやら観察したいディティールはたくさんあれど、ワインでいい気分な足取りに、昼間 また改めてくることにしました。

本来なら耐震構造上 問題があって壊すことになるような建物だと思うが、フランス政府がお 金をかけてでも“いい建物だから残す”という結論を出しことは画期的だ。逆にフランス政府の建物だからこそ文化遺産として残しながら活用されているということも、日本人として考えさせられることも大きいと思う。1994年に「みかんぐみ」によってリノベーションされた今も、その新鮮さを失うこと無く、多くのヒトがフランスの文化に触れ、楽しめる場所として活用されていることは素晴らしい。





| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月16日 (月)

新・渋谷駅

Dscf1237

実質、今日から本格的に通勤客が利用するようになった東京メトロ副都心線。
帰りに、安藤忠雄氏が構想を手がけたという「東急東横線・東京メトロ副都心線渋谷駅」を見に寄ってみた。いきなり「ダイヤが乱れており、池袋ー渋谷間の折り返し運転です!」というアナウンスが構内に響き渡り、乗降客はまばらだった。私と同じように見学の人がカメラで撮影しながら歩く姿の方が多いくらい。

Dscf1243

「東横線渋谷駅」のシンボルとして構想され、「地中の宇宙船」をイメージしたという「地宙船」のモチーフが、直線構造の中でいきなり目に飛び込んでくる。しかし、目玉である楕円の吹き抜けは、全体構造がよくわからない。上から見える線路も渡り廊下のような床があって電車が行き交う様子は見えない。
防火用の扉のガラス面に貼ってある解説図でその全貌と、自然の対流現象を利用した「自然換気システム」を導入した画期的な構造だということがやっとわかる。
吹き抜け空間がシンボリックなデザイン的な象徴としてだけではなく、ホームからの熱をコンコースへ、そして外へと逃がすための機能性と地下空間としての閉塞感や不安感を解消する役割も担っているのだろうと推察できた。
しかし、まだ土木工事の途中という感じで、完成した状態でどう街との一体感が醸成されるのかが楽しみだ。

Dscf1249
Dscf1250

Dscf1247

ちなみに半蔵門線の渋谷駅は、確か昨年から管理が東京メトロから東急に移り、サインシステムも東急のデザインに一新された。この副都心線の新渋谷駅は、駅の中心から池袋方面半分が東京メトロ、横浜方面半分が東急の管轄なのだそうだ。今日、私が見たエリアは、東急の事業領域ということになるようだ。だからサインシステムは東急のデザイン仕様なのだろう。全体がモノトーンの無機的な質感の中で、ひときわ目を引くのが乗り換え路線への誘導光り壁。その光がメタリックな柱に反射して、結構効果的な演出にはなっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月 5日 (土)

伊勢佐木町

Dscf0600

ちょっと用があって、イセザキモールへ。

ここ横浜の伊勢佐木町は、戦前、商店、百貨店、劇場映画が立ち並び、銀座に匹敵する程の二本で有数の繁華街だったという。今は見る影も無い程、地方の一商店街だ。横浜大空襲の戦渦で焼け野原となる中、戦災を免れた建築物は、米軍に昭和30年頃まで接収されていたため復興が遅れたのだそうだ。

訪れるたびに歴史的建築物の健在ぶりを確かめ、温故知新に浸る。

Dscf0602

不二家と言えば,GINZA FUJIYAのロゴから、銀座が本店とイメージをするが(現在の本社所在地は銀座ですが)、実は横浜の元町が発祥の地だ。その2号店として伊勢佐木町に開店した。
ちなみに元町の1号店は関東大震災で焼失、その後再開はせず、そこにはなんと今でも昔懐かしい味とスタイルのケーキで有名な「喜久家洋菓子舗 」がオープンして現在に至っている。

イセザキモールの不二家は、白くてなんてことのない古びた普通のビルにあって、何気なく前を通り過ぎてしまうだろう。
実はこのビル、昭和13年(1938年)に竣工した築70年の由緒ある建物なのだ。
フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日したチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドによって建てられたものである。その後日本に留まり、日本の建築にも大きな影響を与えた。
白い壁、ガラスブロックと大きな窓で垂直と水平を強調したそのモダニズムは新鮮で、戦前のインターナショナルスタイルの代表例を今に伝えている。

アントニン・レーモンドの建築物は、 横浜市内にエリスマン邸(1926年/元町公園内に移築)、フェリス女学院10号館(1927年)などがある。そうそう、音楽関係者ならよく知っている群馬交響楽団の本拠地、群馬音楽センター(1958年)もそうで、今年になって立て替え解体への異論がでて議論になっているようだ。

正式な建物の名称は「 不二家センタービル (不二家横浜センター店)」施工は 戸田組(現在の戸田建設)。戸田組はその後、横浜市庁舎も手がけている。ちなみに、私の自宅のあるマンションも戸田建設の設計、建築なので、ちょっと親近感を感じている。

昨年1月にシュークリーム、プリンの賞味期限切れ品の表示を偽装して販売していた事が発覚、いわゆる一連の「食品偽装問題」の発端となり、その後 洋菓子の販売中止、店舗の営業中止に追い込まれた。ここ伊勢佐木町の店舗も営業休止をしていたのだと思う。確か、以前来た時は、「不二家レストラン」だった。今はPEKO'S KITCHEN横浜センター店 としてリニューアルされていた。そうそう、私が幼稚園、小学生だった頃、名古屋駅前の毎日ビル地下にあった不二家レストランに祖母に連れて行ってもらって、よく二段重ねのホットケーキを食べさせてもらった。幼い頃の思い出の味だ。

ここ伊勢佐木町の不二家も、親子何代かにわたる懐かしい思い出を刻んだ、まさに横間の歴史そのものなのでしょう。

Dscf0605

そして、その不二家の斜め前にそびえたつのが紅白歌合戦の「ゆず」のライブ中継の場所にもなった横浜松坂屋本館。

ここは先の 不二家センタービルよりさらに古い。1921年というから大正10年の竣工だ。現在のファサードデザインは1934年(昭和9年)の増改築時のものだという。こちらは純国産で、竣工時の設計は出浦高介、その後、名古屋を代表する建築家、鈴木禎次が1929年と1934 年、1937年と3回の増改築を担当したらしい。松坂屋は名古屋が本店であり、その建築も鈴木氏は手がけている。鈴木禎次氏の作品は、名古屋生まれの私は子供の頃、名古屋の鶴舞公園の噴水塔や奏楽堂はじめ、広小路通リの古い銀行の建物で、ごく自然に目にしていたことになる。何だかどこかで見た事のある懐かしさを覚えたのはそういう理由だったのかもしれない。

Dscf0603外観もさることながら、 エスカレーターの外側に施された凝った装飾や、階段の階数表示などにアールデコ調の雰囲気を感じることができる。

ここの4階ギャラリーで開催されていた、アンセルアダムスとアートポスター展というのをちょっとだけ覗いたんだけど、渋かったなあ。



Dscf0604




帰り道,地下鉄の関内駅まで歩いていたら、「近代街路樹発祥の地の碑」というのを見つけた。参道や街道の並木と街路樹は違うのだそうです。
そう、街路樹というのも,アイスクリーム発祥の地、横浜の馬車道で各々の商店が松や柳を競って連植したのが始まりなんだそうです。

近代都市の先駆け、横浜、恐るべしです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月12日 (月)

創造する図書館

 Dscf9192
Dscf9202_3
Dscf9205_2
Dscf9209_2

ここは多摩美術大学図書館です。
昨年の10月伊東豊雄 建築 I 新しいリアル 展を見て、
ぜひ、この建築の完成後を体感したい、とずっと思っていた。

今日 その念願が叶った。
情報デザイン学科の吉橋先生を訪ねた折りに
館内を一緒に案内していただいた。

上は、利用者の視点での写真。
とても居心地のいい空間に仕上がっています。
ここの学生さんがうらやましい。
北側に開いた大きな窓から見える多摩丘陵の緑に向って
白木のダイニングチエアに座り、白いランプシェードの温かい光の下に佇むと
時がたつのを忘れそうです。

Dscf9191

空間的モチーフである「洞窟」が、不連続に重なり合うアーチで表現されていて
見る角度により表情を変える姿はとても面白い。
構成している形、素材や記号がシンプルなため、
アーチが空間を分断しているようで、
実はとても連続的に美しい空間の構成を実現していた。
よく見ると、アーチは直線ばかりではないし、
もの凄く美しいカーブを描いているアーチもある。
さらにどこにも直角がないことに気付いた。

Dscf9215

什器もところどころウイットに富んでいて、
偶発的な出会いや知的な遊びを演出している。

Dscf9201

Dscf9183

Dscf9229
Dscf9221

Dscf9186 このアーチは非常に繊細で、根元を見る限り、これで構造的に大丈夫なのか、と思わせる。
実は、最先端の技術により建物全体が免震構造の上にのかっている状態で、それによりこの今まで体験したことのない空間を実現しているのだそうだ。


それにしても1階の床は 傾斜地に沿って斜めのままだ。

Dscf9185

北側の窓は非常に微妙なカーブを描いた大曲面ガラスだ。



Dscf9260
Dscf9219

そしてこのアーチの蔭を効果的に演出しているのが
天井から下がる円盤状のシンプルな間接照明。
白色の蛍光灯が放射状に配置されているのだった。

それにしても この建築を実際に見て思うことは
伊東氏の卓越した発想とそれを実現するための設計力
そして何より現場でのせめぎ合いが相当あったのだろうと
容易に想像できるディティールへのこだわりと技術力の凄さだ。

Dscf9178
Dscf9264

いずれにせよ、多摩美術大学は知的な試みを実行し
伊東豊雄氏により非常にユニークでシンボリックな建築物を創造したことには間違いない。

この図書館の見学後、情報デザイン棟、芸術学棟も案内していただいた。
18時を過ぎても学生さんがたくさんいて活気がある。
Dscf9239_2

情報デザイン教育の今や
経営とデザインの関係、デザインの可能性など
いろいろな話を延々とした。(していただいた、と言う方が正しい)

多摩美の八王子キャンパスは
プロダクト研究室と産学をやっていた頃、
いよいよ大詰めの10月には数日置きに通ったこともある場所だ。
日が落ち、外がシンシンと冷え込むデザイン棟での学生さんたちとの話し合いは思いで深い。
その後、特別講義や企業説明会に来て以来、多分3〜4年ぶりだ。
橋本からトンネルを抜けてから何もなかった場所の変貌ぶりにも驚いたが
多摩美のバス停、正門からこの一体の建築群とランドスケープの進化には
目を見張るものがあった。

教育の現場には、時々 実際に来てみるべきだ。
とても充実した午後になった。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年11月 8日 (木)

同志の熱い同窓会

Dscf9119

今日は、小さなレストランで関係者が集まっての記念パーティーだった。

かつて経験したことのないプロセスの
苦楽をともにしたメンバーが、
ひとつの成果を祝い合った。

私は、そのプロジェクトに途中参加することになった。
すでにその時点で、大きなコンセプトはほぼ決まった状態だった。
器が出来た後の 魂を入れていくための活動で、これはまさに現在進行形だ。

プロジェクトはほとんど土日で合宿、議論してコンセプトをつくり、提言をまとめていった。

そんな関係者も、少しずつ顔を合わせる頻度が減り、ご無沙汰になっていた。
今日は、久々に中心となった十数名のメンバーが一同に介し、
まさに同窓会のような状態で、2時間程度の立食パーティーの予定が
4時間以上にわたり延々盛り上がる事態となった。

今日、メンバーからキックオフの頃の話を初めて聞いた。
今までにない新しいものを生み出そう、このチャンスを生かそうと
携わるメンバーが異常な程の情熱と熱意を持って取り組んだこと、
そして、全員が幸せだった!ということと
大きな財産になった!ということを口にしたことに
全てが表れていたように思った。

私自身、新しい考え方に触れ、
まさにそれを具体化するためには
デザイナーの力がとても大きく発揮できる可能性を知り、
大きな刺激を受けることができた。

新しいことを学べる面白さに
まさに一時は寝食を忘れて没頭した。
これは、一生忘れがたい貴重な経験と財産になった。

そして一緒に仕事を成し遂げ、
このような成果を皆で共有し合えたということはのは
これからの生き様に大きな転機となりえる機会だったのではないかとつくづく思う。

具体的に様々な場面で その知見や人脈を実践で応用展開する糧にもなっている。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月17日 (月)

都市デザイン

Dscf8493

年に1度行くか行かないかの土地に行くとその変化に驚く。
ここは多摩ニュータんの南大沢駅前。
そう、15年前には「ベルコリーヌ南大沢」という
「イタリアの世界遺産都市“アッシジ”の旧市街の丘をモデル」にした
旧住宅都市整備公団の分譲マンションの中古を見に来たことがある。
「冬彦さん」で有名になった「誰にも言えない」というドラマのロケ地でもある。
バブル期の何十倍、何百倍という超人気物件が
10年目の大規模修繕工事で露呈した瑕疵問題を姉歯の構造設計問題と絡められ
公団の欠陥工事住宅として国会レベルで取り上げられる程、脚光浴びた。
いま再び、建直しされた低層棟の物件が、
100平米超のゆとりある間取りと周囲の環境が評価されて随分と好評らしい。

今、南大沢にはお墓参りの帰りに
アウトレットの「ラ・フェット多摩」に寄るくらいだ。
イメージコンセプトは
「“南仏プロヴァンスの“とある丘”に住んでいた4人家族の物語“をベースに、
 ”南仏の丘にある“とあるプチホテル”の中庭“」だ。
10年間の限定オープンだからか
安っぽい、ハリボテ風ではあるが、背景となる首都大学東京の校舎群や
前述の公団の住宅群に配慮された外観や色彩に配慮した建築ではある。

ラ・フェット多摩」もビジネスとしては大成功しているらしく、
店舗数を75店から約110店に拡大、駐車場だった場所に増床工事中だった。

で、駅前の空地に新たに出来た立体駐車場が写真の建物。
建築的にも構造的にもなかなか斬新だ。
建築事務所は西森事務所 というところだそうだ。
が、ここ南大沢全体の景観コンセプトからは逸脱していて
周囲の環境からすれば奇抜だ。

外観同様、構造も内装も意欲的な立体駐車場のなのだが、
導線に無理があり、車路が狭いので、地元の奥様族には不人気な予感だ。
入り口の壁にはいきなりこすったり凹ませた跡があったし。
駐車場としてはオープンしたものの
ここは竣工直前に転売され、結局1〜2階は24時まで営業の
パチンコ店になるらしい。

南大沢と言えば「マスターアーキテクト」が
「マスタープランとデザインコード」を呈示、
複数の建築家が相互に影響を及ぼしあいながら街並の景観を形成していく、
集合住宅における都市デザインを実践した前例として取り上げられる。
しかし時間の経過とともに社会の経済や環境の変化で
多様性や多元性に応じて行くうちに秩序や調和は失われ、結局は混沌としていく。

日本の行政の非力な面を凝縮して垣間みたようだった。

 

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月 5日 (日)

ベリーニ



Dscf8181

この湯沸かしポットを見て
ZOJIRUSHI D’(ディーダッシュシリーズ)「ミニデカ」 
デザインはマリオ・ベリーニ とまで言える人は
80年代にデザイン業界にいた方でしょう。

1984年発売ですが、23年を経たいまでも色褪せない、
それどころか、今どうしてこのような電気ポットがないのか不思議なくらい
秀逸なデザインだと思う。

ベリーニがデザインしたホテルの客室にありました。

このホテル、「リゾナーレ」そのものがマリオ・ベリーニの作品である。
中世イタリアの山岳都市をイメージしてつくられている。
八ヶ岳の麓の森の中に突如としてあらわれるが
周囲のロケーションともよくマッチしている。

Dscf8121

このホテルは1992年のオープンなのでまさにバブル期の遺産だ。
会社の労働組合が福利厚生施設として契約していたこともあって
10年くらい前に夏休みに家族で利用した時に
そのデザイン性や周囲から隔離されていながらゆっくりとくつろげる
不思議な空間構成、部屋のインテリア性が気に入ってしまった。

当時はマイカルグループが経営にあたっていたが、その後 破綻。
今は リゾート再生請負人で名高い、星野リゾートがその経営を担っている。
4年前に訪れた時には そのホスピタリティが著しく向上したのを感じたが
今年はさらにサービスやアクティビティも向上し、
やっとハードとソフトが融合してきている。

Dscf8135

長いドライブの後に
ロビーに並ぶ数え切れないほどの「キャブ・アームチェア」に座って
チェックインを待つ時間は、
まさにゆったりとした至福の時間が流れて迎え入れてくれる。

Dscf8182

そんな 夏休みなのだが、
1週間前に会ったばかりの S社のOさんに
朝食で、全く偶然に隣の席になってご家族でお会いした。

そして ランチをパティオでとろうとして入ったカフェでは
横浜の地元でよく行くショップの店員さんがにっこり。
こちらが地元なんだそうだ。

いやはや 世の中狭いです・・.


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月27日 (水)

改装中

Dscf7525

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月30日 (月)

集結

Dscf6950

Dscf6938 お昼に長女の出演する演奏会を青学講堂で聴いた。その後、次女が「モネ展」を是非見てみたい!というので、そのまま国立新美術館に移動することにした。
毎年GW中の都内は道路も駐車場も空いているので、移動は車が楽だ。快晴になると気温もグングン上昇し、車のクーラーを入れるのはいつもGWのころだ。青山通りでDscf6939_2は外気は32度を示していた。
ベロタクシーのドライバーも大変そうだ。

「モネ」といえば私も妻も、約20年前のGWにマロニエの花が満開のパリで、まだ開館間もない頃のオルセーと、オランジェリー美術館でのモネの睡蓮に囲まれて過ごした至福の時間を思い出す。だからぜひ行きたいと思っていた。

今まで、東京での大きな企画展といえば大抵は上野だったので、東京の向こう側にはちょっと遠くて、でかけるにしても距離も交通の便などを考えるとつい億劫になってしまっていた。東京の西側に国立新美術館が開館したことは、私たち神奈川都民にとってもなかなか朗報だ。
昨年の今日は、東京都庭園美術館「北欧のスタイリッシュ・デザインーフィンランドのアラビア窯」展 をやはり次女と三人で楽しんだ。
今年も偶然だが、4月30日にまた3人で美術鑑賞のひとときを過ごすことになった。

この 「MONET 大回顧展モネ」は、モネの97作品がまさに世界中から集結していた。キリスト教絵画のように多くの予備知識を必要としない、自然を対象物とした絵画が多いモネの作品群は日本人にも親しみやすいのだろう。世界の美術館はもとより、国内からの貸し出しも多く、いかに日本人にモネ好きが多いか伺い知ることができた。

この展覧会の特徴は、作品を年代順ではなく、5つの大きなセクションに構成し、テーマ毎に並べているところにあった。
それぞれにサブタイトルが付いていて、さらにそのテーマに沿った現代美術が的確に挟まれ、同系統の作品を見比べながらその差 異を楽しむという趣向になっていた。
モネは86歳と長寿であったので、作品数も多く、 年代が前後してしまうこのような構成では作品同士のつながりが希薄になってしまう、との賛否両論ありそうだ。
しかし、テーマごとの比較によって制作年代による特徴もかえって分かりやすかったし、展覧会全体が一つの作品のようにメッセージが明確に伝わってきたもで、私はとても楽しむことができた。

もちろん 次女も小泉今日子の「音声ガイド」のサポートもあって、大満足の様子だった。
意外に知られていないようだが、ちなみに小中学生の入場料は無料だ。
我が家の娘に限らず、今日もちらほらいた子供達の純粋無垢な質問や発見には、持てる知見を振り絞って答える大人が結構なる程と思う程、新鮮で新たな気づきも多い。世のお父さんお母さん方はぜひこの機会を活用すべきだとつくづく思った。

しかし、ひとつだけ残念だったのは、身長130〜140cmの子供達の視線で絵画を見ると、少し離れた所から浅い角度で照明がされた作品は、褪色を防止するガラスに光が写り込んでしまって(紫色だったり)非常に見え難くなってしまっていたことだった。以前とあるデパートの展覧会では ことごとく照明の配置が悪くて、学芸員の配慮や経験の浅さを随分と感じたことがあった。子供に限らず、車椅子での鑑賞による視線も同じことだと思う。

最新の設備で、老若男女が楽しむことが出来る好企画なのだからこそ、もう少し配慮を工夫するだけで、誰もが同じ素晴らしい体験をすることが可能になると感じた。

ちょうど我々が美術館に着いた頃がピークだったようで入場の待ち列は20分という表示だった。夕方はかなり空くという情報を知っていたので、テラスの木陰で少し休憩をしてるうちに切符の待ち列も入場待ち列もほとんど解消してしまった。
16時を回れば休日でもかなり空いてしまうようだし、情報によれば金曜の夕方から20時までなら日により貸し切りになってしまうくらい空いているのだそうだ。

質・量ともに相当見応えがあるので、ゆっくり鑑賞できるようにタイミングを見計らっていくといいと思う。

Dscf3843 ちなみに左の写真は昨年の10月26日に開催された建築見学会の時に撮影した企画展示室"2E"の何もないオープンの状態だ。
ちょうどこの大きさの展示室と同じ大きさの"1E"で、このモネの大回顧展という企画展示をやっている。

Dscf3849_1 国立新美術館にはこの大きさの展示室が3つ、半分の大きさの展示室が8つある。
その巨大さは想像以上だ。
パブリックスペースも心地よい空間になっていて、今日も3人でエッグチェアとスワンチエアで疲れた足をしばし休めた。

私にはかなりお気に入りの場所になってきた。
トイレが少ない,小さいなどの批判も多いようだが、まずはこの空間、オープンを記念するにふさわしい企画展、まさに六本木ならではの体験をぜひ多くの方々にお薦めしたい。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2007年4月 4日 (水)

CH25

Dscf6565

ちょっと肌寒かったが、東京ミッドタウン内の午後一で用ができたので、昼休みに国立新美術館までちょっとお散歩。
実は、オープンしてからは初めて中に入る。
オープン前の建築内覧会で、地下1階から4階までの主要な施設は一度見学している。
10月26日のこの日記で紹介している写真のように、その時は展示室もロビーもまだ什器はほとんどない状態だった。

ロビーにはさまざまな名作椅子が置かれ、展覧会を見終わった人や、カフェ、レストランに来た人、そしてふらりと立ち寄った人 思い思いにくつろいでいた。
写真は、今年になって先頃没したハンス.J.ウェグナーのCH25/EASY CHAIRが並んでいる千代田線連絡口側のロビー。座面を支える部材が伸びやかにカーブを描いて後脚となっている姿は、単純化と安楽性の調和が見事だ。職人技の編み込みに寄る背面と座面も触覚、視覚両面で心地よい。クールで近未来的な透明のガラスウオールを通してみる青山墓地の緑と桜と名作椅子のコントラストが素晴らしい空間を生み出していた。
そのガラスの光と影が織りなす模様がまたフォトジェニックだ。

また今度、ゆっくりとここで時間を楽しんでみるために訪ねてみたいと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月28日 (水)

21_21 DESIGN SIGHT

Dscf6456

Dscf6444

Dscf6443

Dscf6454

Dscf6457

Dscf6468


Dscf6462


30日にオープンする東京ミッドタウンの
21_21 DESIGN SIGHTのオープニング特別企画「安藤忠雄 2006年の現場 悪戦苦闘」 の内覧会に行くことが出来ました。

招待状もないのに社内の縁が縁を呼んで
急なトンボ帰りでしたが貴重な体験でした。
会場で偶然出会った知り合いの方に
「すごいから まあ見てご覧」と連れて行かれたのがトイレ。
佐藤卓さんのシンプルなサインも秀逸だが
大ガラス1枚の自動ドアから
ステンレスオンリーの内装のこだわりも必見です。

主役の安藤忠雄さん、三宅一生さん 、深沢さん、佐藤卓さんらも当然いたのですが
まあとにかく、著名なデザイナーや文化人勢揃いで、ちょっと居場所がありまえんでしたが、たくさん生顔を拝ませてもらいました。

それにしても展示を見て感じたのは、この建築、安藤さんはかなり楽しんだのでは、と思える。
悪戦苦闘したのは まさに現場の人たちですな。
コンクリートのは地肌はすべすべ
鉄板1枚の大屋根は真っ平ら。
日本の職人技が見事な感性を表現し切っています。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月25日 (日)

プレビュー

Dscf6385_1

朝、マンションの駐車場を出てかなり強い風雨の中を走り出した途端 J-WAVEの生放送で地震があったことを告げた。数十m先の視界もまならない首都高の風雨の中、ニュースが次第に震源と規模の大きさを告げていった。

Dscf6398_1 東京ミッドタウン の関係者プレビューの招待券をいただいので家族で訪ねてみた。予定の10時30分からちょっと遅れてオープンした時はわずか数十人が並んでいた程度だった。午後から別件の用があったのでお昼過ぎまでの短い時間ながら、大混雑前に商業施設だけは一通り回遊することができた。

 

Dscf6384_1

「無印良品」ではなくて、海外展開している「MUJI」ブランドの国内初店舗という位置づけの店舗前も、和を意識している。
商業施設のコンセプトは「ライフスタイル ミュージアム」だそうだ。「感性豊かで独自のライフスタイルを確立している人」をターゲットに、「都心の上質な日常」を楽しめる施設を目指したとしている。来訪者Dscf6473自身 が自らの感性を磨いて、
自らを演出していただく場ということだが、日建設計による商業棟のアーキテクトデザインはかなり保守的だ。
一方で公園に面した隈研吾氏によるガーデンサイトは対照的にその外観の曲線とテナントとしてのレストラン群のインテリアは切れるような繊細さと斬新さが同居していて興味深い。
オープニングイベントのフォーラムとして「建築家の証言」など無料の興味深い講演会が企画されているが、あっさり満員だった。

Dscf6463 商業施設のサインシンボルはちょっと楽しげで面白い。 東京ミッドタウンのもうひとつの開発テーマがデザインだ。DESIGN HUBという新拠点、そして21_21DESIGN SIGHT は注目の的だ。
これについては、別途ゆっくりとその動向を見極めて行きたい。


Dscf6394_1ま、そうはいっても家族でここに来ることは当分ないような、ということでせっかくなんで、ランチをいただくことにした。目的のNapuleのPizzaは、今日は試食だけ、ということで店頭はすでに黒山の人だかり。
席が空いていた、ということだけで、Pâtisserie Sadaharu AOKI Paris に入ってしまった。
青木氏の代表作にして出世作の「抹茶のエクレア」「ゴマのエクレア」はまた今度にして、私はパニーニ、妻はクロックムッシュ、子供達は店頭からキッシュを選んだ。
店員さんのオペレーションは不慣れで、異常な程時間はかかるは配慮はないは、 まだオープン前の練習中じゃなければ席をたつか、マネージャー呼びつけちゃうくらいひどかったが、その美味しさに免じて許してあげましょう。
(青木氏は元TBSアナウンサーの雨宮さんの旦那です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月 9日 (金)

再開発地区

Dscf6101

JTの工場跡地が再開発されてできた巨大な新しい街、品川シーサイドフォレスト。
ここに最近仕事でしばしばやってくる。
が、私はどうもこのモノトーンな色彩と、周囲の環境になじめない。
りんかい線のホームからもくもくとエスカレーターを登ってビル内に延々と入って行く人並みも寡黙で、ビル内もエレベーターから廊下、天井に至るまで無彩色に統一され、流行のガラスと金属の構成による未来感もない非常に機能的、合理的な空間だ。高層住宅と大型ショッピングセンターがあるのだが、生活感も人のにぎわいも感じられない・・。

オフィスからの眺めは京浜運河を挟んで大井火力発電所の煙突やら大井埠頭のコンテナクレーンはいかにも工業地帯の趣で、私はちょっと癒されない。

海と反対側には 昔ながらのツタの絡まる工場と、それに並んで以前の台形が特徴のパナソニックのショールームが廃墟のようにたたずんでいる。

業務・商業・住宅の都市型複合開発、「地域に開かれた親しみのある街」、「地域、時代とともに成長しつづける街」、「地域の人々が実際につかえる街」がコンセプトだそうだ。当然 街つくりには時間がかかる。

汐留シオサイトや六本木ヒルズとは条件も環境も違うので比較は出来ないが、都市再生というと,どうしても器をまず見てしまう。が、そこで働く人、訪ねる人、住む人、一番大事なのはその多様性なはずだ。
私がこの街にちょっとなじめないのは、ひょっとしたらその多様性の仕掛けが物足りないと感じているからかもしれない。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 1日 (月)

築70年

Dscf5077

元旦、早々に川崎へ戻る大学生の姪を名古屋駅まで送る。
ついでに通っていた小学校の場所を通ってみる。
子供の頃通っていた銭湯は
築70年の大正時代の建物そのままに
今は居酒屋になっていた。

左に少し見える3階建てが小学校の校舎。
明治6年創立、開学133年と伝統はあるが
今は住民も少なく1クラス10〜20名で、
帰国児童を積極的に受け入れているらしい。
卒業した時の校舎は4階建てだったので
完全に建て直されていた。
中はアスベストむき出しの天井だったので当然でしょう。

右端に少し見えるの53階建はJRセントラルタワーズ
正面の47階建てビルはトヨタのミッドランドスクエア

同級生のお寺、お米屋はまだあったが、
饅頭屋や理容器具卸、ピアノ調律屋の親友宅は皆ビルになっていた。

大正時代の銭湯と超高層近代建築の同居する街並、
出身地名古屋の凄い変貌の中で
まだしっかりと思い出を垣間みることができる光景があって
ちょっとホッとした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年12月 4日 (月)

akarium

Dscf4556

Dscf4549 「表参道アカリウム」
表参道の冬の風物詩だった欅並木のライトアップが8年ぶりに復活と話題だ。
以前の欅一本に3000個、総数40万個という豆電球を使っての温かで壮観な景色は、見物客の増加や渋滞を引き起こした。そのため生活環境が悪化Dscf4552したという住民の反対運動と豆電球による温度で欅が 傷むという環境保護団体の指摘でスポンサーが撤退してしまい、イルミネーションは中止になったそうだ。

今年からは新しいアイデアとして、ケヤキには触れずに既設の街灯を布製の幕とアルミ材などで囲んだ「行灯」にして、現代のLED技術とコンピュータープログラムによって色彩を自在に変化させるという環境配慮とインタラクションを実現したのだそうだ。

光の量ではなく光の質で、
少ないエネルギーで街を楽しくする
という環境配慮型のライトアップが昨今多いが、その好例となるだろうか。

ということで12月5日から1月8日までとニュースにはあったが、今日からすでに点灯していた。見物のために訪れる人はまだ少なく、欅の落葉もまだこれからのようだが、同じように歩道橋の上から写真を撮る同輩(ほとんど女性)が引きも切らない様子だった。

華やかさはないが、本来の明治神宮の表参道という役割にふさわしい「和」の雰囲気と TODS Dior  表参道ヒルズ  という現代建築の最先端の光の表情との対比は結構面白い。

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月26日 (木)

建築 I 新しいリアル

Dscf3986

そして 東京オペラシティのアートギャラリーへ
伊東豊雄 建築 I 新しいリアル 展を見る。

生き生きとした力強さを感じた。
なかなか企画構成がユニークで魅力的な展覧会だった。
いきなり 「台中メトロポリタン・オペラハウス・プロジェクト」の
大型模型の展示につい惹き込まれ、 発想と実現への意欲に圧倒される。
劇場建築は大好きで、いろいろ知っているが
ほんとうにできるのか?出来たらぜひ体感してみたい。

作品の多くはやはり鉄とガラスの造形なんだが、
これもまたコンピュータテクノロジーを駆使し
構造による表現の解放に果敢に挑戦すり姿勢は驚異的だ。

この展示では、建築そのもではなく
靴を脱いで目線を落として模型を覗き込み
一分の一のリアルな型枠、配筋でそれを体感できるのである。

なんて 新鮮で刺激的な午後だったのだろう。

あ、これ 今やっているこれから先のお仕事のヒント、ネタ 判断材料集めです。
ここでは紹介できませんが、これはあの時の、という時が必ずやってくる
という信念をもって進めておりますです。

東京都写真美術館の「パラレル・ニッポン」も行かねば・・

ちなみに 写真は ミュージアムショップで売っていたMoMA(ニューヨーク近代美術館)のPaperClipだ。
ちょうど20年前の年末に私がMoMAを訪れて、MoMA1階のミュージアムショップで職場へのお土産として買ってきたものとほとんど同形のものが未だに、それも日本で売っていることにちょっと感動して買ってしまった。
少しだけちがうのは、4色のプラの部分が透明になってより黒いクリップが際立ったことか。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

国立新美術館

Dscf3864

Dscf3915 来年1月21日にオープンする国立新美術館の内部を見学した。

9月末に10月13〜16日にかけて実施するとして往復はがきで募集のあった解説付き建築ツアーは、事務局の予想を遥かに上回る定員の15倍を超す応募があり、急遽この二日間、午Dscf3749
後の3時間のみ追加で自由見学のイベントが開催されたのである。

すでに CMの撮影や 新車発表会などに使用されているらしい。
会社の窓からはよく見える場所なので、徐々に姿を現して行く様子をここ数年にわたり観察をDscf3800 してきたが、いつの頃からか内部照明が全点灯され、オレンジ色に浮かび上がる夜の波打つ不思議な建築をこの半年をほど眺めていた。

正面玄関前からは 六本木ヒルズと来春オープンする東京ミッドタウンの高層ビルが目前に迫っている。Dscf3764

3階のレストランからは、青山墓地の緑を背景に、西麻布から青山までのスカイラインが美しく広がる絶好のロケーションである。

近未来感を現実に表現する手段として、鉄とガラスによる無機質な水Dscf3806_1平垂直表現が現代建築の象 徴の様に都会溢れている日、コンピューターテクノロジーがまさに新たな表現を解放したことを体現するかの様なファサードである。
周囲の森と移ろい行く空の表情を写すことで環境と融和し、中の空間には開放感を与えることに この巨大な存在感は挑戦していた。

Dscf3812 逆に展示部となる内部は、いたってオーソドックスなグリッドで構成されていた。回廊を思わせる展示室前のホワイエは天井高があり、白熱球色の光と木桟による壁とフローリングの温かみ、そして溢れる外からの光で心地よい。

複数の展覧Dscf3837会が同時開催できるよう工夫された 機能的な導線もなかなかのものである。

特徴的で開放的なガラスの外壁面は、日射熱、紫外線を100%カットする省エネ設計である、といただいたパンフレットにあるが、それだけでなく、床にはいたるところに空調口があり、貴重な作品を展示するこの巨Dscf3839大空間には最 新のエネルギーコントロールシステムが導入されているはずだが、今日の見学には解説がないのが惜しい。

展示室も、様々なパターンが可能であることを理解しやすいように デモンストレーションされたパーティションDscf3845構成になっていた。

それにしても巨大だ。
オープニングは「20世紀美術探検」というテーマで500点を超える作品と大規模な新作インスタレーションをこの広大な展示空間一杯に繰り広げるという。

Dscf3866 新名所 新建築、話題の展覧会ということで、新年には人で溢れかるのであろう。

1階のひらまつが運営するというカフェも心地良さそうな趣を今から感じさせている。

ちなみに正面入り口前にある帽子Dscf3914状の建物がちょっと気になる。天井照明がなく、中に入ると円の中心の下から照らす照明のみで 空間演出している。



Dscf3878実は傘立てのみが円形に設置してある雨の日専用の傘置き場なのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 9日 (月)

みんなのコンサート

Dscf3360

今日は、妻と次女のピアノ発表会だった。
会場は、横浜市開港記念会館の講堂。
象牙の鍵盤が、少しすり減っていた。
空調音と外を走る救急車の音が時々気になるが、
温かみのある音響、 重厚感ある外観とアールヌーボ様式の内装には代え難い。
講堂でコンサートが聴けることになるとは思ってもみなかった。

昨日まで、横浜ジャズプロムナードの会場として
熱気溢れる演奏が奏でられていたはずだ。
昭和2年に再建された(外壁は大正6年の竣工時)重要文化財という
歴史的建造物なのに資料館としてではなく
現役の中区の公会堂として使用されているところがすごい。
隣では猟銃説明会が開催されていた。

今日の発表会では
小学校1年生からオトナまで23人がそれそれの日頃の成果を披露した。
次女はバルトークのソナチネ、妻はラベルの水の戯れ。

出だしの音から、私もみんなも惹き込まれた。
それぞれに よく頑張りました。

大桟橋の駐車場に車を停めて、
快晴のみなとみらいをちょっぴり緊張して眺め
夕暮れのみなとみらいを気持ちよく眺められました。

今日は、オペラシティリサイタルホールでも
学生時代の友人達の弦楽オーケストラが25回目の記念演奏会で
素晴らしい音楽を奏でていたはずだ。

そちらのお手伝いも、聴きに行くこともできなかったが
同じ青空の下で、それぞれの音楽を奏で、
多くの人が幸せな気分になれたことでしょう。

Dscf3427

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 2日 (水)

明治の意匠

Dscf0585

Dscf0617

Dscf0613

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 1日 (火)

北軽井沢ミュージックホール

Dscf0446

Dscf0443_2東京方面から軽井沢に向かうには、関越から上信越道に入って、碓氷軽井沢ICから北上するのが一般的だ。今回、私は藤岡JCTから上信越道に入らず、そのまま関越を北上、渋川伊香保ICから国道17号、353号、145号を使って長野原へ、そして146号を南下するルートを辿った。目指すは26年ぶりの軽井沢ミュージックホールだ。

Dscf0444_1大学に入学して入ったオーケストラでビオラを初心者で始め、4ヶ月後、合宿を通してやっと合奏の楽しさ、面白さを経験した思い出の場所だ。上野に集合して電車で長野原へ、そこから北軽井沢までバスに乗って初めてきたときのことを今でも覚えている。音楽に対する厳しさで有名だった金管トレーナーの今井先生指揮で、ブルックナー4番のtuttiは、最初にに音が出る

Dscf0452その瞬間までの団員全員の極度の緊張感は凄かった。
最終日の室内楽演奏会では、先輩たちの数々の室内楽を羨望のまなざしで聴きほれた。自分も1年先輩の編曲によるビオラ科のみ11名全員によるパッヘルベルのカンンを演奏して参加し、ビオラパートの結束力と仲の良さは、そのときから今もって続く仲間として記念すべき場だったのだと今になってつくづく思う。

小沢征爾が桐朋の若いメンバーの手ほどきをする機会がメディアで紹介されたり、サイトウキネンのメンバーが「北軽井沢でパート練習、分奏、個人練習などをたっぷり合宿しながらやったわね。その時と同じ」というインタビューで答える場面にしばしば出会うにつけ、ちょっと気になっていた。やはりこの「北軽井沢ミュージックホール」は桐朋の夏の練習場所だったのだ。数年前に小沢征爾氏から寄贈を受けた町は、雨漏りのするホールの屋根にビニールシートをかけたり、映画大会などのイベントをして修復、保存を手探りしてきたらしい。今後 町の芸術拠点とし維持管理していくことが長野原町の総合計画の中にも盛り込まれている。ちょうど私が訪ねたその時、桐朋の関係者の方が、4日のこのホール存続のためのチャリティーコンサートの準備のためにいた。少し話をしたが、ここでクラリネットの講習会を開いたりするのだそうだ。

プロのみならず、日本のアマチュア音楽、とりわけ大学のオケマンにとっては、計り知れないほど貢献した合宿所だ。1980年を最後に老朽化のためほとんどのアマチュアオケが志賀高原に合宿先を移動して、忘れ去られた存在となっていたが、今もこうして、当時の面影のまま存続していることは、我々の思い出とともに大きな意味があると思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月23日 (日)

上野の森 満喫

Dscf0209_1

Dscf0162 夏休み子供音楽会「上野の森文化探検」 というプログラムに次女と参加した。コンサートの入場券を買うとパスポートをくれて、上野の森にある文化施設に無料では入れるという企画だ。10時に上野 の東京文化会館へ行って、当日券を買った。午前中は上野動物園、ランチを挟んで、東京文化会館で、大友直人指揮/都響の演奏会、終演後、目の前の国立西洋美術館の常Dscf0221設展、隣の国立科学博物館 新館の3階、4階の展示を見て回ってきた。どれも最高のパフォーマンスで素晴らしく充実した一日となった。

東京文化会館はショルティ/シカゴ響のマラ5を聴いて以来20年ぶりくらいだ。すっかり、どの席の音がよくて、見やすいかなど記憶がおぼろだ。空いている座席でどこがいいかな、と選んでいると、受付の方が「3階Dscf0235の最前列がいいですよ」と薦めてくれた。右端だったが、これが正解。なんと、「ローマの松」のアッピア街道では2階席下手に金管のバンダがいて、指揮者とバンダ両方が見える席だったの だ。

サントリーホールの出来る前、前川国男建築の宇宙を体感する意味でも学生 時代にはよくこのホールに聴きにきたものだ 。その後、1986 年Dscf0247のサントリーホールをはじめ首都圏にも音響
のよいホールが次々と誕生し、オペラ、バレエ中心の会場へと変わってからは、遠ざかっていた。リニューアルされた館内は独特の造形美、世界観そのままで懐かしかった。都響を聴くのも、秋山さんの指揮、古澤巌のモーツァルトのバイオリンコンチェルト、マーラーの5番という1980年代のコンサート以来かもしれない。
大友さんの指揮は、妻はいやといDscf0195_1う程やってるらしいが,私はプロオケでの生は初めて。
都響のメンバーは私の知っている限りでは現役ではビオラの中山さんを見つけた以外、大きく若返りで世代交代していた。しかし、機能性は大幅に向上し、素晴らしい本物の音楽を響かせてくれた。プログラムも子供向けということではなく、ブラームスの第3交響曲から第3楽章などという渋いオトナ好みの選曲もあり、艶やDscf0181_1かな演奏も聴かせてくれたり、カジュアルなトランペット吹きの休日では、アップテンポでトランペットの見事なアンサンブルは、奏者本人も周囲と笑みを浮かべる程の快演だった。

演奏会の前に、まずは次女が上野動物園に行ったこと を覚えていないので、ぜひ行きたいということで午前中 はジャングルのように蒸し暑い動物園へ行く。ゴリラがひょっこり、首からピDscf0227ンクのタオルをかけて顔を出した。何だこのパフォーマンスは!前の降りそうな梅雨時の動物園は穴場だ。人は少なく、旭山動物園の影響もあるのだろう、展示や見せ方、ガイドにも随分と工夫がしてあって、 結構活発に動く動物達を、自由に見れて大満足だ。

ランチを挟んで演奏会のあとは、西洋美術館の常設展を見た。
Dscf0264_1企画展には来たことがあるが、常設展をこんなにゆっくりと見るのは初めてだった。ストロボ、三脚を使わなければ写真撮影もOKという気
軽さで、コルビジェの建築を堪能しながら名作をこんな間近で、子供と一緒に話をしながら楽しむことが出来るとは、至福の時間である。ここもリニューアルされていて、彫刻作品に対する免震技術も模型でわかりやすく解説してあっDscf0269たり、「いろいろメガネ」という、先入観や感情を通してモノをみる「色めがね」にかけた人それぞれの作品の見方を紹介するイベントやワークショップの紹介もとても意欲的で楽しかった。

そして最後に、国立科学博物館 新館を見学し
た。本当なら一日かけてゆっくり回ってみたり体験したいところだDscf0310が、すっかり足も疲れてきたので、2004年にリニューアルオープンし、ITを駆使し、また斬新な展示方法と内容は3階、4階だけをみたのだが、ここも十分見応えがあった。世界で初の・・・の実物オンパレードは圧巻だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年4月23日 (日)

ヨコハマ

Dscf9011

毎年4月の第4日曜日、我が家は恒例で山下公園ファミリー写生大会 に参加している。
長女が小学校2年、次女は幼稚園の頃から参加しているから
多分6〜7回目だ。今年は私と小学校5年の次女と二人だけ。

朝、山下公園についてみると、雨はまだ降っていなかったが
雨のため本日中止、29日に延期の看板・・・。

急遽予定変更、大桟橋 に車を停めて、建築 を堪能。

床、壁、天井の境目のないうねる空間は絶えず景色が変化して凄い。
コンペでは図面が理解できない、
実施設計では結局予算を何十億もオーバー、
完成してみれば屋根部分のデッキは、メンテに莫大な経費がかかる、
私はそれでもこういう公共の空間が生まれ、存在したことに感動を覚える。
毎回訪ねるたびにワクワクする。

そして、昨年まで野毛だけだった大道芸大会が、みなとみらいや
馬車道、伊勢崎町まで拡大され「ヨコハマ大道芸」 として賑わっているというので、それを見ることにした。
いつも野毛の大道芸は写生大会と重なっていて、見れなかったから。

赤レンガ倉庫 前の広場で
皿回しとディアボロ、お手玉が自由に触れた。
はい、皿回しできるようになりました。
思わず得意になって皿回しセット買ってしまった。

神奈川県立歴史博物館 (この建築もいい味です)前で
小雨の中、ミュージカルパフォーマンスを楽しんだ。
大桟橋に戻ったら、ロビーでジャズコンサートをやっていた。

思わず、ヨコハマを楽しんでしまった一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)